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花吐くエルフ 2

六話 スカビオサ

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 首筋にぴりりとした痛みが走る。頭がぼうっとして、何も考えられない。

「おい、耳長!おい!起きろ!」

さっき、何があった。目の前の男はなぜ泣いている。

「ガゼラ!なぜ、耳長をとらえた。なぜお前が、わたしを」

 泣いた男が、黒い何かに詰め寄る。強い口調がだんだんとか細く細くなる。泣いているそいつは、きっと、なぜ裏切ったと紡ごうとしたのだろう。黒い影が、男に重なる。

焦点が定まらない。思考がまとまらない。

「なぜ…?なぜと、あなたが聞くのですか。」

きんいろの髪、緑の目、となり、黒い肌…。目に留まる薄ぼんやりした物体を、認識し形を理解するより先に、はるかかなたへ、眼球が廻る。

ーー

 がやがやとうるさい市場は、怒号や値引きの猫なで声……、そして据えたにおいが立ちこめていた。売りに出され、屋根があるだけの簡易テントの前でずっと立っていた。

「ーーーー?ーー」

 目の前に男があらわれる。俺にしきりに話しかけていたが、俺には…、発言権がない。喉にまかれた皮と銀のバレッタの首輪がぐっと締まる。

「ーー。買うーー。ー花ーーーすぐ死ぬーー、金貨ーー。」

「かまわない」

「契約ーー、!!ーーおい!お前!」

「はい、ごしゅじんさま。」

 張り付いていた喉から、花以外のものをひさしぶりに出した。ガリガリに痩せこけた商人は、首輪を引っ張り、俺を呼ぶ。

 ふと、鉄の匂いがした。指から血がプクと浮き、羊皮紙に垂れる。首が、また焼けるようにいたい。びりり、と痺れた銀のバレッタを両手で押さえる。脊椎から、脳天にかけて痛みが駆ける。うずくまり、頭を下げる。主人が書き換わっていると気づくのは、新たな主人に声をかけてもらってからだった。

「ーーー、名は…?」

「…、すぴかです、ご主人様。」

 涙が滲み、それが頬から流れ視界がクリアになると、目の前の人影が像を結ぶ。

「っ!きょうより、貴方様の僕でございます、なんなりとお申し付けください。」

 声が悲鳴を作るより先に定型文を絞り出す。体は首輪に操られ、四日何も食べなかった体がふらりと綺麗に礼をする。

「……よろしく、スピカ。」

 逢いたいと願った彼が目の前にある。燃える夕日のような赤い癖のついた髪。お前が、なぜここに。どうして、奴隷商のところに、あいたかった。生きててよかった。すき…全ての言葉が…閉められた首輪に阻まれて出て来なくなる。

「うっ、ゲェ……」

「なっ、だ、大丈夫かい。」

「だい、じょう……うぇ…!近づかないで…、近づかないでください!」

 葉が、青々とした茎が、粒揃いの花が…喉を流れ出る。

「ご主人様、私は…このような奇病を患っております。あなたにうつしたくはないです。おねがいします。近づかないで…。」

 白い百合はその中にはない。あたりまえだ。この病は治ってない。きたない水音を立てて、植物が、彼に向けた様々な想いが、喉から口からまろびでる。こんな再会、望んでいなかった。

「…おねがい、します。みないで…」

「…ああ、わかったよ。おちついたらでておいで」

 その優しい声音にまた喉が開いて、花がぼたぼたと落ちる。

 吐き慣れたはずなのに、苦しかった。

ーーー

 静かな夜。エルフの森であれだけか細く欠けた月は、もう見る影もなく、空は星がいくつか瞬くだけだった。燭台に火がつき、ゆらゆらと揺れる。久方ぶりの自室に、私とガゼラだけがあった。

「…ガゼラ。なぜ、わたしを。なぜお前は…」

 声が震える。私は柔らかな椅子に座らされ、ガゼラは私の顔に剃刀を当てていた。産毛がプツプツと、剃刀の上に重なり、それをハンカチで拭き取っていく。切れ味は十分。鈍色のそれを、ガゼラは手放さない。顎を掬い、少し浮いた髭を至近距離で、傷つけないようにと剃刀を滑らせる。ふっ、と吐息が触れるほど近くに彼はいた。

「ルダス様、あなたの心を翳らせていたものは全て私が打ちこわしました。人間と争うエルフも、あなたを戦場に送り込み殺そうとした奥様方も、奥様の甘言に加担した教会の神官たちも…全て全て、殺してきました。あなたのために。」

 毛を剃り落とした頬を慈しむように香油を薄く広げるガゼラ。

 彼が、母上を、ころした。壊れそうな胸を押さえながら、私は言葉を絞り出す。

「わたしは、そんな命令はしていない。作戦の目的は、母上が兄上を殺したかどうか、事実を確認することだっただろう!」

 滑り出た言葉は止まらず、彼を責めるような激昂にも似た怒気を帯びた。

「ルダス様を謀ろうとした疑いがある時点で、彼らには罪があります。」

 黒曜石のような目が、無機質に私を写す。ガゼラが、こわい。彼が何を考えているかわからない。

「…なぜ、そこまで私に尽くす」

 この言葉は、懇願にも似ていた。あなたが私の全ててんあの言葉を聞きたかった。ガゼラが、心変わりせず私だけを見ていると、彼の口から証明して欲しかった。

 唇が開く。彼の白い歯が覗く。

「…それは、私があなたの従者だからでございます。」

「……ウ…」

 ガゼラを突き飛ばし、口を押さえ蹲る。喉奥がぱか、と開きくぐもった唸り声が口腔に響く。腹がひっくり返るかのように蠕動し、食道を何かが駆けていく。

 ガゼラが近くで狼狽えている気配を察知する。

 柔らかな花弁が、口から出た。みずみずしい芳香が香るそれは、枝葉を伴い喉から、次から次へとこぼれる。望み通りの言葉が彼から得られなかったと駄々をこねているかのような、極彩色のその花弁は…あの耳長の吐くものと違い、醜い。

「ぁ…あぁ…」

 くらり……と目がくらむ。近づくガゼラにみられないように必死にかばいながら、気を失った。

ーー

マツビオサ「不幸な愛」「私は全てを失った」

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