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蘭秀、客を迎える。
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蜃気楼の太夫、蘭秀の朝はゆっくりとしたものだ。
前日の大門が閉まる前にその日の客を送り出し、久々にゆっくりと独り寝をした。
実際には、途中途中で目覚めてはうとうとするという具合で、いつもとそう変わるわけではないが、客と共寝とするのはもっと眠れない。
瑯炎が姿を見せなくなってからと言うもの、蘭秀は精彩を欠くようになった。
夜は眠れず、おかげで日中も客の相手をする夕方から閉門までもぼうっとすることも多い。
蘭秀自身、それを自覚していてどうにかしようといろいろと伝手を頼り、薬を飲んでみたり健康法などを試してみたりするのだが、なんともはかばかしくない。
それでも蜃気楼の看板を背負う太夫としての誇りが彼女を支えるのか、傍目にはそうおかしなところも見られないが、日に日に蘭秀らしい爽やかで健康的な明るさを失っていくのは、常日頃傍で蘭秀を手助けする新造や禿達にはよくわかっていた。
眠れず、食欲も落ち、客がいるのにその言動や動作などへ気を配れなくなる。
集中力を欠き、動きもどこか緩慢でやり取りもあいまいになる。
そういう蘭秀に気づき、中にはほかの妓楼の妓女に贔屓先を変える客も出てくる。
最近の蘭秀は、そういった客の反応にすら鈍くなにもせずにぼうっとしていることが増えていた。
それなのに、酒量だけは着実に増えている。
客がいない間は酒に手を伸ばすことも多くなりつつあった。
今朝もゆっくりと朝寝をした後、昼の客を取る気にもなれず、酒を厨房からもらってくるようにと禿に命じた。
酔っていれば、寂しさも紛れると言うもの。
けれど心は満たされない。
蘭秀の心はいつしか渇き、ひび割れて心を潤わせていた何かが失われていく。
瑯炎さま。
逢いたい。
蘭秀が想ったのは、水揚げ前の新造の時から蘭秀に何くれとなく構い付け、蘭秀の水揚げの相手となりそして蘭秀の客の一人となっていた瑯炎だった。
瑯炎はある時を境に蜃気楼にもぱたりと姿を見せなくなった。
しかも、職場であった工房にもすでに居らず、瑯炎の自宅もわからない。
瑯炎の知人と思しきあの金茶の髪に青い目の若者と、軍人だと言う黒髪の男。
あの二人ならば、瑯炎の行方も知っているだろうか。
瑯炎は金払いもよかったから、特にその身元を確かめる必要性もなかった。
だから、こうやって独りで蘭秀はいまだに恋々としている。
*
求めに応じて、琵琶をつま弾く。
漆と貝の薄片で飾られた一級品だ。
美術品としても目を楽しませるその精緻な楽器を蘭秀はこともなげにつま弾き、客を楽しませる。
今日の客は先だって延琉でもそこそこの大店の旦那に連れられ、接待した新規の客だ。
外国人だとのことで、顔立ちも髪の色も服装もすべてが変わっている。
やたらと背の高いしるくはっととか言う帽子も、体にぴたりと沿わせた裁断と縫製をしたふろっくこーととか言う衣服も、ほっそりと長い脚を強調するような下袴もぴかぴかに顔が映るくらいに磨きこまれた革靴も、なぜかいつも手に持っている銀で作られた握りのついた杖も何もかもが、蘭秀が見たことのないものばかりに身を包んでいる。
ビィン、と最後の音を象牙で作られた撥で弾くと、ぱちぱちと手を叩く音がした。
そちらへ顔を向けて微笑み、禿に琵琶と撥を渡す。
体調が万全でないにしても、長年の倣いで客のあしらいくらいはできる。
それでも、贔屓筋の何人かはほかの妓女へ鞍替えしてしまったけれど、太夫の名に恥じることのないふるまいくらいは体が覚えている。
できるだけ優雅に見えるように裾をさばき、男の傍に侍ると、にこやかに笑いかけた。
「いかがでした? ここのところ、延琉で流行りの曲ですの」
「なんとも不思議な音色ですね。故国でもリュートと言う楽器はありますが、あまり聞いたことがない」
この男とは前回の紹介を兼ねた初会を終え、今日は蘭秀が裏を返して持て成している。
そして、また男が来たら。
床入りになるだろう。
いつもの手順だと思いはするが、蘭秀は心の奥底に痛みを覚えていた。
にこやかで楽しく機知に富んだ会話。
そして美女と美味い酒と食事、歌や踊り時には盤上遊戯であったり詩作やいろいろな書物を題材に会話を愉しむ。
そしてお互いが気に入れば枕を交わし、束の間の逢瀬での快楽をともに味わうのだ。
いつもであれば、新規の客にどう自分を売り込み、次回に繋げるか蘭秀はそれこそ自らの誇りに掛けて全力を尽くす。
しかし、今日は気もそぞろだ。
そもそも延唐の人でもない外国の客。
今日の床入りで心を掴めなければ、そのまま帰国してしまうか別の妓楼に行ってしまうか。
それもわからない。
気は乗らないが、客を掴まねば太夫を名乗る資格もなくなる。
蘭秀は笑みを貼り付け、客を見る。
白い髪に、白く長い髭を編んで小さく幅広の紐で飾り結びをしている。
きっと男の国では、きちんと合わせて紳士的な装いなのだろうけれど、その髭が愛らしさを感じさせている気がする。
前日の大門が閉まる前にその日の客を送り出し、久々にゆっくりと独り寝をした。
実際には、途中途中で目覚めてはうとうとするという具合で、いつもとそう変わるわけではないが、客と共寝とするのはもっと眠れない。
瑯炎が姿を見せなくなってからと言うもの、蘭秀は精彩を欠くようになった。
夜は眠れず、おかげで日中も客の相手をする夕方から閉門までもぼうっとすることも多い。
蘭秀自身、それを自覚していてどうにかしようといろいろと伝手を頼り、薬を飲んでみたり健康法などを試してみたりするのだが、なんともはかばかしくない。
それでも蜃気楼の看板を背負う太夫としての誇りが彼女を支えるのか、傍目にはそうおかしなところも見られないが、日に日に蘭秀らしい爽やかで健康的な明るさを失っていくのは、常日頃傍で蘭秀を手助けする新造や禿達にはよくわかっていた。
眠れず、食欲も落ち、客がいるのにその言動や動作などへ気を配れなくなる。
集中力を欠き、動きもどこか緩慢でやり取りもあいまいになる。
そういう蘭秀に気づき、中にはほかの妓楼の妓女に贔屓先を変える客も出てくる。
最近の蘭秀は、そういった客の反応にすら鈍くなにもせずにぼうっとしていることが増えていた。
それなのに、酒量だけは着実に増えている。
客がいない間は酒に手を伸ばすことも多くなりつつあった。
今朝もゆっくりと朝寝をした後、昼の客を取る気にもなれず、酒を厨房からもらってくるようにと禿に命じた。
酔っていれば、寂しさも紛れると言うもの。
けれど心は満たされない。
蘭秀の心はいつしか渇き、ひび割れて心を潤わせていた何かが失われていく。
瑯炎さま。
逢いたい。
蘭秀が想ったのは、水揚げ前の新造の時から蘭秀に何くれとなく構い付け、蘭秀の水揚げの相手となりそして蘭秀の客の一人となっていた瑯炎だった。
瑯炎はある時を境に蜃気楼にもぱたりと姿を見せなくなった。
しかも、職場であった工房にもすでに居らず、瑯炎の自宅もわからない。
瑯炎の知人と思しきあの金茶の髪に青い目の若者と、軍人だと言う黒髪の男。
あの二人ならば、瑯炎の行方も知っているだろうか。
瑯炎は金払いもよかったから、特にその身元を確かめる必要性もなかった。
だから、こうやって独りで蘭秀はいまだに恋々としている。
*
求めに応じて、琵琶をつま弾く。
漆と貝の薄片で飾られた一級品だ。
美術品としても目を楽しませるその精緻な楽器を蘭秀はこともなげにつま弾き、客を楽しませる。
今日の客は先だって延琉でもそこそこの大店の旦那に連れられ、接待した新規の客だ。
外国人だとのことで、顔立ちも髪の色も服装もすべてが変わっている。
やたらと背の高いしるくはっととか言う帽子も、体にぴたりと沿わせた裁断と縫製をしたふろっくこーととか言う衣服も、ほっそりと長い脚を強調するような下袴もぴかぴかに顔が映るくらいに磨きこまれた革靴も、なぜかいつも手に持っている銀で作られた握りのついた杖も何もかもが、蘭秀が見たことのないものばかりに身を包んでいる。
ビィン、と最後の音を象牙で作られた撥で弾くと、ぱちぱちと手を叩く音がした。
そちらへ顔を向けて微笑み、禿に琵琶と撥を渡す。
体調が万全でないにしても、長年の倣いで客のあしらいくらいはできる。
それでも、贔屓筋の何人かはほかの妓女へ鞍替えしてしまったけれど、太夫の名に恥じることのないふるまいくらいは体が覚えている。
できるだけ優雅に見えるように裾をさばき、男の傍に侍ると、にこやかに笑いかけた。
「いかがでした? ここのところ、延琉で流行りの曲ですの」
「なんとも不思議な音色ですね。故国でもリュートと言う楽器はありますが、あまり聞いたことがない」
この男とは前回の紹介を兼ねた初会を終え、今日は蘭秀が裏を返して持て成している。
そして、また男が来たら。
床入りになるだろう。
いつもの手順だと思いはするが、蘭秀は心の奥底に痛みを覚えていた。
にこやかで楽しく機知に富んだ会話。
そして美女と美味い酒と食事、歌や踊り時には盤上遊戯であったり詩作やいろいろな書物を題材に会話を愉しむ。
そしてお互いが気に入れば枕を交わし、束の間の逢瀬での快楽をともに味わうのだ。
いつもであれば、新規の客にどう自分を売り込み、次回に繋げるか蘭秀はそれこそ自らの誇りに掛けて全力を尽くす。
しかし、今日は気もそぞろだ。
そもそも延唐の人でもない外国の客。
今日の床入りで心を掴めなければ、そのまま帰国してしまうか別の妓楼に行ってしまうか。
それもわからない。
気は乗らないが、客を掴まねば太夫を名乗る資格もなくなる。
蘭秀は笑みを貼り付け、客を見る。
白い髪に、白く長い髭を編んで小さく幅広の紐で飾り結びをしている。
きっと男の国では、きちんと合わせて紳士的な装いなのだろうけれど、その髭が愛らしさを感じさせている気がする。
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