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龍祥、休養する。
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東宮が後宮で襲われ、東宮が東宮殿に籠ったというのは翌朝には内裏中を駆け巡っていた。
中には東宮はすでに泉下に旅立ったのではないかとか、生きてはいるのだが重傷で枕も上がらぬだとか、皇帝はかかる事態を重く見てすでに東宮の席を誰に渡すかの選定に入っただとか、情報が錯綜している。
工房でも同じように東宮の不明に対しても皇帝の心のうちについても、色々と憶測が飛び交い、皆なんとなく浮足立って落ち着かない。
ここに瑯炎が居れば、引き締めてくれるのだろうが。
そう思うと、瑯炎がいきなりここを辞めてしまったのはどこかしら恨めしい。
漣華もここではそこそこの地位には居るが、まだまだその身は軽い。
瑯炎が去った後は次席の人間がその後を埋めた。
それなりにうまく回ってはいるが、瑯炎がいた時の方が賑やかでなんとなく楽しかったように思う。
それに、と思う。
謝家の家刀自の誕生祝の宴の後、礼記は一度訪ねては来たものの、あの後から顔を合わせていない。
あの時、何をしていたのか、礼記にはすぐに悟られてしまった。
礼記はとろけるような笑みを見せて、指先に口づけを落としたが、その際に言われたのだ。
『次は、こういうことをせずに済むように私に愛させてくださいね』
人知れず顔を赤くするが、作業に没頭しているように見せかけ、記憶を振り払う。
礼記にはまた会いたいと思う。
彼のことは、好きだ。
ようやく自覚した自分の想いを大事にしたいと願う。
巾に包まれた髷に挿した簪に触れる。
指先に、硬い二本の金属の感触。
しゃらり、と小さく繊細な音を立てて細かく彫りこまれた飾りと、そこに揺れる小さな石が指先に触れた。
求婚の証。
礼記と、師匠であった瑯炎から贈られたものだ。
師匠のことを思うと、胸にズキンと痛みが走る。
狂おしくて仕方がなくなる。
礼記のことを思うと、心の奥に明かりが灯ったようで、温かく幸せな気持ちになる。
漣華はみずからの心のうちを計りかねていた。
礼記のことは、好きだ。
だけど、瑯炎のことは?
そう思うと、心の奥を何かがきゅっと締め付ける。
なんなんだろう、これは。
漣華はこの想いにまだ何も名を付けられずにいる。
*
龍祥は東宮殿に戻ると、門を閉めさせ窓も扉もきっちりと閉めさせた。
対外的には龍祥は襲撃で何らかの怪我を負い、その為に寝込んでいるという風に見えるように。
太医院からは、毎日定期的に侍医が訪れるようには取り計らうが、実際に診察はしない。
さも重傷を負ったかのように見えて、実際にはなんらかすり傷すら負っていないのだから、侍医は訪れても茶菓を喫し、束の間のおしゃべりを楽しんで帰ってゆく。
侍医は子供の頃から親しんでいる内科医ではなく、金創(金属で負った傷。刀傷など)の処置などに長けた、叙加覧に依頼する。
噂の信憑性に真実味を持たせるためだ。
叙加覧は三十がらみの男だが、二つ返事で依頼を引き受けてくれた。
いつもは軍からの治療の依頼が多いのだが、あまりに多すぎて少々休憩が欲しかったのでちょうどいいと笑っていた。
礼記と李将軍、それに二人の上司である磊阿亮と言う大将軍の地位を占める男に、今後について話をし、根回しをする。
しかし龍祥のことについて知っているのは、祖母と皇帝を除けばこの三人とあとは副官と外科の叙くらいなものだ。
こういったものは内情を知る人間が少ないほど良い。
根回しが済んだ後、龍祥は工房の技官の衣装を纏い、大内裏から密かに抜け出した。
中には東宮はすでに泉下に旅立ったのではないかとか、生きてはいるのだが重傷で枕も上がらぬだとか、皇帝はかかる事態を重く見てすでに東宮の席を誰に渡すかの選定に入っただとか、情報が錯綜している。
工房でも同じように東宮の不明に対しても皇帝の心のうちについても、色々と憶測が飛び交い、皆なんとなく浮足立って落ち着かない。
ここに瑯炎が居れば、引き締めてくれるのだろうが。
そう思うと、瑯炎がいきなりここを辞めてしまったのはどこかしら恨めしい。
漣華もここではそこそこの地位には居るが、まだまだその身は軽い。
瑯炎が去った後は次席の人間がその後を埋めた。
それなりにうまく回ってはいるが、瑯炎がいた時の方が賑やかでなんとなく楽しかったように思う。
それに、と思う。
謝家の家刀自の誕生祝の宴の後、礼記は一度訪ねては来たものの、あの後から顔を合わせていない。
あの時、何をしていたのか、礼記にはすぐに悟られてしまった。
礼記はとろけるような笑みを見せて、指先に口づけを落としたが、その際に言われたのだ。
『次は、こういうことをせずに済むように私に愛させてくださいね』
人知れず顔を赤くするが、作業に没頭しているように見せかけ、記憶を振り払う。
礼記にはまた会いたいと思う。
彼のことは、好きだ。
ようやく自覚した自分の想いを大事にしたいと願う。
巾に包まれた髷に挿した簪に触れる。
指先に、硬い二本の金属の感触。
しゃらり、と小さく繊細な音を立てて細かく彫りこまれた飾りと、そこに揺れる小さな石が指先に触れた。
求婚の証。
礼記と、師匠であった瑯炎から贈られたものだ。
師匠のことを思うと、胸にズキンと痛みが走る。
狂おしくて仕方がなくなる。
礼記のことを思うと、心の奥に明かりが灯ったようで、温かく幸せな気持ちになる。
漣華はみずからの心のうちを計りかねていた。
礼記のことは、好きだ。
だけど、瑯炎のことは?
そう思うと、心の奥を何かがきゅっと締め付ける。
なんなんだろう、これは。
漣華はこの想いにまだ何も名を付けられずにいる。
*
龍祥は東宮殿に戻ると、門を閉めさせ窓も扉もきっちりと閉めさせた。
対外的には龍祥は襲撃で何らかの怪我を負い、その為に寝込んでいるという風に見えるように。
太医院からは、毎日定期的に侍医が訪れるようには取り計らうが、実際に診察はしない。
さも重傷を負ったかのように見えて、実際にはなんらかすり傷すら負っていないのだから、侍医は訪れても茶菓を喫し、束の間のおしゃべりを楽しんで帰ってゆく。
侍医は子供の頃から親しんでいる内科医ではなく、金創(金属で負った傷。刀傷など)の処置などに長けた、叙加覧に依頼する。
噂の信憑性に真実味を持たせるためだ。
叙加覧は三十がらみの男だが、二つ返事で依頼を引き受けてくれた。
いつもは軍からの治療の依頼が多いのだが、あまりに多すぎて少々休憩が欲しかったのでちょうどいいと笑っていた。
礼記と李将軍、それに二人の上司である磊阿亮と言う大将軍の地位を占める男に、今後について話をし、根回しをする。
しかし龍祥のことについて知っているのは、祖母と皇帝を除けばこの三人とあとは副官と外科の叙くらいなものだ。
こういったものは内情を知る人間が少ないほど良い。
根回しが済んだ後、龍祥は工房の技官の衣装を纏い、大内裏から密かに抜け出した。
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参考文献:
ロシア原書年代記(名古屋大学出版会)
中沢敦夫 『イパーチイ年代記』翻訳と注釈 /富山大学人文学部
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