謝漣華は誘惑する。

飴谷きなこ

文字の大きさ
上 下
32 / 51

旺昭儀、密会する。

しおりを挟む
 今や旺妃おうひ改め、旺昭儀おうしょうぎとなった夏遥かようの宮はとても静かだ。
しわぶき一つ聞こえず、仕える侍女も女官も宦官も、下働きたちですらも声ひとつ立てもしない。
大司農であった父が勅勘ちょっかん(皇帝の怒り)を賜り、外宮内に設けられた牢に収監されてからと言うもの、遥の周りの状況も一変した。

 父の罪に連座して、本来であれば冷宮送りになるものを皇子を産み参らせた母であると言う立場を考慮されて、位を妃から昭儀に格下げし、蟄居閉門ちっきょへいもんとなった。
まだ父が関わったという事件は調査中ということで、これ以上の罰はないだろう。

 しかし、遥の産んだ皇子であるりょうは、静まり返った宮で不安に思うのか、ぐずる回数が増えた。
遥自身もあやしたりするのだが、産後すぐに乳を含ませることもなく乳母に渡してしまっているせいか、いまいち遥を母だと認識していない気がする。
正妻ではない遥の場合、母親もしくは母方親族になんらかの問題があれば、子は嫡母である正妻、つまりは皇后が養育するかもしくはほかの妃嬪が養育に当たることになる。
今回は遥には直接の咎はないとされて、諒は手元で養育することを許されたが、いつまた子と引き離されるかもわからない。
それも遥にはとても腹立たしいことだった。

 自分が生んだ唯一の子であると言うこともあって、諒はかわいいと思う。
機嫌よくきゃっきゃと笑い声をあげているのを見ると、自然と頬も緩み、その乳の匂いのする顔にみずからの頬をすり寄せたりするのだ。

 乳母に抱かれて緩やかに体を揺らされながら機嫌よく笑う我が子を見るにつけ、遥は今自分が置かれている現状が怖くなる。
このまま父がかかわった事件で、父に罪があるとなれば、遥の連座は免れるかどうかわからない。
たった一度の幸運で生まれた諒の誕生を、皇上は殊の外喜んでくれて、遥に妃の地位を与えてくれたが、今、父が勅勘を賜ったことで連座されて位を簡単に引き下げられた身としては、将来が不安で仕方がない。
今まではとにかく諒を次の帝位に付けようといろいろと根回しなどをしてきたのだが、このままではもしかすると母子そろって殺されてしまうこともあるかもしれない。

 諒自身は命長らえたとしても、わたくし自身はどうなるのか。

 良くて冷宮送りかもしれないが、場合によっては賜死の可能性もある、と思うと体がぶるりと震えた。

 この子の為に、無事に育て上げる為、生き延びる為に。
先の東宮は梅貴人に命じて、どこかの国の商人だとか言う者から献上された毒を少しずつ飲ませて病気に見せかけて殺した。
その東宮が薨去してから、すぐに別の成人した皇子が立太子したが、これも同じように毒を少しずつ盛っていけばいいだろう。
幸い、当今の皇子は先の東宮を含めてたったの三人だ。
皇女はそれなりにいるが、全て降嫁したか出家して尼となったか女道士として神仏に仕えている。

 父の事件でみずからの地位が格下げになったり、待遇がここまで変わるとは思わなかった。
やはり、上位の妃嬪の地位は必要だ。
それとやはり金はどうしても要る。
遥は実家から連れてきた腹心の侍女、小青しょうせいを側に招き寄せて、耳打ちをする。
小青はその言葉に耳を傾け、頷くと遥の耳飾りなどの装身具を持ち出す。
正門の警備をしている責任者へ渡し、梅貴人へ使いを出した。





 梅貴人が旺昭儀の宮を訪れたのは、辺りがすっかり暗くなってからだった。

「お召しによりまかりこしました」

 跪礼をして、許しを得て顔を上げるが、その目は伏せたままだ。

「梅貴人。先日のお薬の事なのだけど」

 かちゃり、と茶器の蓋をずらして優雅に茶を飲みつつ、旺昭儀が何でもないことのように口火を切った。

「とても良く効いて助かったわ。もう少し、欲しくて」

 茶器を小卓へ置くと、梅貴人に向き直る。

「お願いできないかしら」

 可愛らしく小首をかしげてお願いとは言うが、命令である。
格下げされたとは言え、嬪の位に留め置かれている旺昭儀とたかが側女の一人にすぎない梅貴人とでは、その地位は天と地ほどの差がある。
それほどまでに後宮内における地位とは絶対なのだ。

「……お使いになるのは、旺昭儀さまでいらっしゃるのでしょうか? 」
「そうね……時たま、わたくし不安になるの」

 ほっそりとした指を団扇の柄に添えて、華奢なあごに当てて思案して見せる。
梅貴人はそれを聞いて、背中に冷たい汗が伝い落ちるのを感じる。
小さな青磁の香炉から、薄く煙が立ち上り、すがしい香りが辺りに漂った。

「ほしいものってしっかりと手の中に握りこんでおかないと、いつの間にか誰かのものになっていたりするでしょう?」

 そう言って遥はそのまま小首をかしげて見せた。

「あなたもそう思わなくて?」

 仕草はあくまで優雅で可憐だ。
けれどその愛らしい花びらのような口から出てくる言葉は、猛毒を含んでいる。

「おねがいできるかしら」

 既にひと一人手にかけてしまった梅貴人に拒否権はない。
優雅に一礼をすると、闇に紛れて旺昭儀の宮を退出する。
旺昭儀が謹慎を命じられている以上、訪問は目につかないようにしなければならない。
急いで自分の宮に戻った梅貴人は腹心の侍女を呼んで何事か命じた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

新・大東亜戦争改

みたろ
歴史・時代
前作の「新・大東亜戦争」の内容をさらに深く彫り込んだ話となっています。第二次世界大戦のifの話となっております。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

狩野岑信 元禄二刀流絵巻

仁獅寺永雪
歴史・時代
 狩野岑信は、江戸中期の幕府御用絵師である。竹川町狩野家の次男に生まれながら、特に分家を許された上、父や兄を差し置いて江戸画壇の頂点となる狩野派総上席の地位を与えられた。さらに、狩野派最初の奥絵師ともなった。  特筆すべき代表作もないことから、従来、時の将軍に気に入られて出世しただけの男と見られてきた。  しかし、彼は、主君が将軍になったその年に死んでいるのである。これはどういうことなのか。  彼の特異な点は、「松本友盛」という主君から賜った別名(むしろ本名)があったことだ。この名前で、土圭之間詰め番士という武官職をも務めていた。  舞台は、赤穂事件のあった元禄時代、生類憐れみの令に支配された江戸の町。主人公は、様々な歴史上の事件や人物とも関りながら成長して行く。  これは、絵師と武士、二つの名前と二つの役職を持ち、張り巡らされた陰謀から主君を守り、遂に六代将軍に押し上げた謎の男・狩野岑信の一生を読み解く物語である。  投稿二作目、最後までお楽しみいただければ幸いです。

藺相如と愉快な仲間たち

Tempp
歴史・時代
趙の恵文王の配下に藺相如という男がいた。 全4話。3話以降は6/1以降にUP予定。気長にお待ち下さいまし。

処理中です...