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漣華、思い悩む。
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結局、よくわからないままに瑯炎はやってきた衛士たちが捕らえて引きずって行ったあの肉塊とは別に、謝家の当主と話をしてくると言ってその場から消えてしまった。
漣華たち三人は衛士に簡単な事情聴取をされ、解放してもらう。
祝い事のある日にこんなことに巻き込まれて、宴が始まる前にとても疲れてしまった。
三人は近くの空き部屋に転がり込んで、崩れ折れるように椅子に腰を下ろし、使用人を呼んで茶の用意を命じる。
この後の宴でどうせしこたま飲み食いさせられるのだが、宴席の間は客の相手をせねばならぬ。
祝われる当人である家刀自以外はきっと接待に追われ、飲み食いすらほぼままならないかもしれない。
毎年の事なので、ある程度予測はついているから、散々飲まされるのがわかっているので、その前にある程度何か腹に入れておこうという事でもある。
甘いものもいいのだが、どうせなら多少しょっぱくて腹持ちが良いものがいい。
使用人にはそう頼んでおく。
漣華は甘いものも好むが、義兄二人はそうではない。
使用人も仕える主人の好みを把握しているのか、ささっと用意を整えてくれた。
茶はすっきりとした緑茶だ。
さっと湯で茶葉を洗い、ゆっくりと葉を開かせる。
それから何杯でも楽しめるのが茶の良いところだ。
用意してもらった点心は、蒸かした饅頭の間に甘辛く煮た豚肉をおおぶりに切って挟み、そこに針のように細く切った生姜とネギを一緒に挟んである。
それから蒸した餃子。
祝い事には餃子が欠かせない。
宴席に出す余りでもあったのか、三色に中身が透けて見える上品な蒸し餃子の皿とは別に溶いた卵を流し込んだ上品な出汁で作った吸い物が大ぶりの鉢に注がれている。
後は勝手に取り分けるから、と使用人を下がらせる。
厨房も今頃は忙しいのだろう、数が用意できないと申し訳なげに言ってきた使用人をねぎらい、漣華はお茶の香りを楽しんでから目の前の皿に手を出した。
長い箸を手に取って、餃子を摘まみあげ、れんげに載せる。
蒸したてだから、小さな蒸籠からもさかんに湯気が上がり、手に触れては柔らかくなった熱を伝えてくる。
れんげの上の餃子を少し割ると中から出汁が勢いよく流れ、れんげの皿を満たす。
そこに少しの醤油と黒酢、細く刻んだ生姜などの薬味を入れて味を好みに整え、口に入れても火傷しない温度まで冷ましてから出汁ごと口に含んだ。
それでもなお熱いから、はふはふ、と少し冷たい外気を口中に取り入れて口内の温度と混ぜながら出汁と肉、野菜と皮が酢や薬味と混じりあって口内を満たすのを楽しむ。
十分に口内で咀嚼し、嚥下して次の獲物を物色する。
さて、次は吸い物かそれとも饅頭か。
先ほどの騒ぎで漣華は非常に疲れてもいたし、これからの事を考えるととにかく、何か腹に入れなければ宴席を乗り越えることはできない。
先ほどの無礼極まる男のような慮外者は別として、親戚はそれなりに本家である謝家の隙を伺っている。
漣華は求婚されたとは言え、まだ婚約も決まっていないからその正妻の座、もしくは夫の座に自らの娘や息子を送り込もうとして鵜の目鷹の目で欲望をぎらぎらとさせている。
少なくとも家刀自や義祖父母、義両親たちが健在な間は親戚連中のそんなよこしまな要求など相手にすらしないだろうが、時は移ろうもの。
できれば家刀自が健在である間に、安全への布石は打っておきたい。
そうすれば……。
漣華はふと、実家の婚約が調ったばかりの妹を思い出した。
近在に嫁ぐとは言え、神官の娘である。
庶民からしてみれば庶民の間でも知識階層でそれなりに身分は高い方だ。
両親や兄夫婦は大丈夫だとしても、神官の娘が貴族に召し上げられて側室であったり妾であったり、形は様々だが奉公に出るのはよくあることだ。
それが本人の意思とは一切関係がなくとも。
漣華はぞくり、と背筋を這いあがってくる悪寒を止めることができない。
母や、妹。
それに幼い兄夫婦の子供たち。
そして、老いた父の顔が脳裏に浮かぶ。
漣華は勢いよく動かしていた箸を止めて、考え始めた。
勢いよく皿の上のものを口に運んで咀嚼していた義兄たちも、義弟の突然の変化に気づく。
「どうした?」
もぐもぐ、と口中にまだものを含みながらしゃべろうとするのは桐華だ。
きっと義母や義祖母が見たら眉をしかめるに違いない。
対して、梨華はきちんと口中のものを飲みこんでから漣華に問いかける。
「何か気になるのか?」
漣華と同じ卓を囲む義兄たちは、漣華の実家を知っている。
漣華を謝家に迎え入れる際、義母となった凌佳が出した条件のひとつに、『生家との交流を絶やさぬこと』と言うのがある。
謝家は貴族だ。
貴族とは言え、庶民で辺境の部族の出身である漣華を養子に迎え入れるのに、一族から相当な反発があったと言う。
曰く、辺境の賤民なぞ奴隷としてしまえばいいものを、その美貌で謝家の当主は骨抜きにされたか、と。
それは義母である稜佳の神経を逆なでし、そんなことを口走った親類縁者は、ことごとく吐きだしてしまった自らの言葉を後悔する羽目になったのだ。
事あるごとにまだ幼い漣華につらく当たっていた親類縁者が謝家に訪れることもなくなり、ごくたまに会ったとしてもさっと目を逸らしてそそくさと帰っていくのに気づいたのは何時だっただろうか。
引き取られた直後から数年間は頻繁に謝家にも寝泊まりをしていたのだ。
もちろん生家に戻ることもあったが、基本的には瑯炎の邸宅での暮らしが軸とはなるのだが。
あの天を貫くほどに高い矜持を誇る、美貌の義母がいったい何をやらかしてくれたのか。
想像するだに恐ろしい。
だが。
漣華の生家は、謝家と瑯炎ができうる限り秘匿していると聞く。
実際に漣華が訪問する際は、目立たない恰好でこっそりと行くことが多い。
いかにも貴族然とした格好で訪問するのは流石に目立つし、頻繁に貴族をもてなすとなればどこでそういた情報が漏れてどこかの盗賊などに目を付けられないとも限らない。
漣華の出身母体である部族は、辺境に於いては美貌で知られる部族でもある。
だから、気を付けていないと誘拐されて売り飛ばされるという被害に遭うこともよくある話なのだ。
父や兄はそう言った暴力に対抗する為に神官でありながらもそれなりの武術を身に付けて、身を守ることもできる。
だが、母や妹、そして兄嫁はその限りではないだろう。
それに、兄の子供たちのことも気にかかる。
漣華は額に手を当てて、知らず溜息を洩らした。
その様子を箸を止めずに次々と口に放り込みながら見ていた双子は視線で言葉を交わす。
だいたい漣華の考えそうなことは、そこそこ付き合いが長ければわかることでもあるのだ。
双子にとってこの義弟の思考回路など、手に取るようにわかりやすい。
「郊外の家には、衛士の巡回があるだろう?」
「そうそう。なんなら、妹の方は一時的にうちで行儀見習いをさせてもいいわけだしさ」
漣華を見ながら、次々と慰めの言葉を口にする義兄たちの優しさが心底ありがたいと思う。
うら若い娘ひとり、拐ってしまおうと思えばすぐにできてしまうだろう。
だが、そういう事態はできるだけ避けたいのも本音。
漣華は頷きを返し、双子は使用人を呼んで何事かを言付ける。
暫くすると、礼記がやってきた。
「何事です?」
三義兄弟がそろったところに呼び出されたのだ、なんとなくだが物々しいような空気もある。
「揮将軍に折り入ってのお願い事がございまして」
「漣華のことなのですが」
そう前置きして、漣華の事情を説明すると礼記は眉間に皺を寄せて顔をしかめてしまった。
これは、流石に図々しかっただろうか。
漣華は知らず顔を俯けてしまう。
謝家の事や瑯炎のことも大事ではあるが、生まれてからずっと共に居た実の家族の事も大事なのだ。
どうにか他に方策がないものか。
礼記の力を借りずに生家の家族の安全を図りたい。
そう思いを巡らしては、悩む。
漣華は、技官だ。
武官ではなく、文官に属する。
武官との縁もありはするが、自分の部下は荒事には得意である者はそうそう居らず、ましてや生家の警備を頼める人材などありはしない。
そう言った面でも礼記とはそれなりに近しく、頼みごとをするには心強くもあるのだ。
漣華はちらりと礼記を見やると、漣華の事を優しくそして愛し気に見る礼記の視線に気づく。
その視線は漣華の心を温かく、優しく包み始めるような気がする。
心臓の鼓動が、どきどきといつもより少し強めに胸を叩いているような。
一体、どうしたことか。
心の中に礼記が居場所を作った気がする。
ほわり、と心がほどけて、白い繭の中に礼記が入って来て、そこに座る。
そしてその繭の中に居る漣華に笑いかける。
そんな気がする。
漣華たち三人は衛士に簡単な事情聴取をされ、解放してもらう。
祝い事のある日にこんなことに巻き込まれて、宴が始まる前にとても疲れてしまった。
三人は近くの空き部屋に転がり込んで、崩れ折れるように椅子に腰を下ろし、使用人を呼んで茶の用意を命じる。
この後の宴でどうせしこたま飲み食いさせられるのだが、宴席の間は客の相手をせねばならぬ。
祝われる当人である家刀自以外はきっと接待に追われ、飲み食いすらほぼままならないかもしれない。
毎年の事なので、ある程度予測はついているから、散々飲まされるのがわかっているので、その前にある程度何か腹に入れておこうという事でもある。
甘いものもいいのだが、どうせなら多少しょっぱくて腹持ちが良いものがいい。
使用人にはそう頼んでおく。
漣華は甘いものも好むが、義兄二人はそうではない。
使用人も仕える主人の好みを把握しているのか、ささっと用意を整えてくれた。
茶はすっきりとした緑茶だ。
さっと湯で茶葉を洗い、ゆっくりと葉を開かせる。
それから何杯でも楽しめるのが茶の良いところだ。
用意してもらった点心は、蒸かした饅頭の間に甘辛く煮た豚肉をおおぶりに切って挟み、そこに針のように細く切った生姜とネギを一緒に挟んである。
それから蒸した餃子。
祝い事には餃子が欠かせない。
宴席に出す余りでもあったのか、三色に中身が透けて見える上品な蒸し餃子の皿とは別に溶いた卵を流し込んだ上品な出汁で作った吸い物が大ぶりの鉢に注がれている。
後は勝手に取り分けるから、と使用人を下がらせる。
厨房も今頃は忙しいのだろう、数が用意できないと申し訳なげに言ってきた使用人をねぎらい、漣華はお茶の香りを楽しんでから目の前の皿に手を出した。
長い箸を手に取って、餃子を摘まみあげ、れんげに載せる。
蒸したてだから、小さな蒸籠からもさかんに湯気が上がり、手に触れては柔らかくなった熱を伝えてくる。
れんげの上の餃子を少し割ると中から出汁が勢いよく流れ、れんげの皿を満たす。
そこに少しの醤油と黒酢、細く刻んだ生姜などの薬味を入れて味を好みに整え、口に入れても火傷しない温度まで冷ましてから出汁ごと口に含んだ。
それでもなお熱いから、はふはふ、と少し冷たい外気を口中に取り入れて口内の温度と混ぜながら出汁と肉、野菜と皮が酢や薬味と混じりあって口内を満たすのを楽しむ。
十分に口内で咀嚼し、嚥下して次の獲物を物色する。
さて、次は吸い物かそれとも饅頭か。
先ほどの騒ぎで漣華は非常に疲れてもいたし、これからの事を考えるととにかく、何か腹に入れなければ宴席を乗り越えることはできない。
先ほどの無礼極まる男のような慮外者は別として、親戚はそれなりに本家である謝家の隙を伺っている。
漣華は求婚されたとは言え、まだ婚約も決まっていないからその正妻の座、もしくは夫の座に自らの娘や息子を送り込もうとして鵜の目鷹の目で欲望をぎらぎらとさせている。
少なくとも家刀自や義祖父母、義両親たちが健在な間は親戚連中のそんなよこしまな要求など相手にすらしないだろうが、時は移ろうもの。
できれば家刀自が健在である間に、安全への布石は打っておきたい。
そうすれば……。
漣華はふと、実家の婚約が調ったばかりの妹を思い出した。
近在に嫁ぐとは言え、神官の娘である。
庶民からしてみれば庶民の間でも知識階層でそれなりに身分は高い方だ。
両親や兄夫婦は大丈夫だとしても、神官の娘が貴族に召し上げられて側室であったり妾であったり、形は様々だが奉公に出るのはよくあることだ。
それが本人の意思とは一切関係がなくとも。
漣華はぞくり、と背筋を這いあがってくる悪寒を止めることができない。
母や、妹。
それに幼い兄夫婦の子供たち。
そして、老いた父の顔が脳裏に浮かぶ。
漣華は勢いよく動かしていた箸を止めて、考え始めた。
勢いよく皿の上のものを口に運んで咀嚼していた義兄たちも、義弟の突然の変化に気づく。
「どうした?」
もぐもぐ、と口中にまだものを含みながらしゃべろうとするのは桐華だ。
きっと義母や義祖母が見たら眉をしかめるに違いない。
対して、梨華はきちんと口中のものを飲みこんでから漣華に問いかける。
「何か気になるのか?」
漣華と同じ卓を囲む義兄たちは、漣華の実家を知っている。
漣華を謝家に迎え入れる際、義母となった凌佳が出した条件のひとつに、『生家との交流を絶やさぬこと』と言うのがある。
謝家は貴族だ。
貴族とは言え、庶民で辺境の部族の出身である漣華を養子に迎え入れるのに、一族から相当な反発があったと言う。
曰く、辺境の賤民なぞ奴隷としてしまえばいいものを、その美貌で謝家の当主は骨抜きにされたか、と。
それは義母である稜佳の神経を逆なでし、そんなことを口走った親類縁者は、ことごとく吐きだしてしまった自らの言葉を後悔する羽目になったのだ。
事あるごとにまだ幼い漣華につらく当たっていた親類縁者が謝家に訪れることもなくなり、ごくたまに会ったとしてもさっと目を逸らしてそそくさと帰っていくのに気づいたのは何時だっただろうか。
引き取られた直後から数年間は頻繁に謝家にも寝泊まりをしていたのだ。
もちろん生家に戻ることもあったが、基本的には瑯炎の邸宅での暮らしが軸とはなるのだが。
あの天を貫くほどに高い矜持を誇る、美貌の義母がいったい何をやらかしてくれたのか。
想像するだに恐ろしい。
だが。
漣華の生家は、謝家と瑯炎ができうる限り秘匿していると聞く。
実際に漣華が訪問する際は、目立たない恰好でこっそりと行くことが多い。
いかにも貴族然とした格好で訪問するのは流石に目立つし、頻繁に貴族をもてなすとなればどこでそういた情報が漏れてどこかの盗賊などに目を付けられないとも限らない。
漣華の出身母体である部族は、辺境に於いては美貌で知られる部族でもある。
だから、気を付けていないと誘拐されて売り飛ばされるという被害に遭うこともよくある話なのだ。
父や兄はそう言った暴力に対抗する為に神官でありながらもそれなりの武術を身に付けて、身を守ることもできる。
だが、母や妹、そして兄嫁はその限りではないだろう。
それに、兄の子供たちのことも気にかかる。
漣華は額に手を当てて、知らず溜息を洩らした。
その様子を箸を止めずに次々と口に放り込みながら見ていた双子は視線で言葉を交わす。
だいたい漣華の考えそうなことは、そこそこ付き合いが長ければわかることでもあるのだ。
双子にとってこの義弟の思考回路など、手に取るようにわかりやすい。
「郊外の家には、衛士の巡回があるだろう?」
「そうそう。なんなら、妹の方は一時的にうちで行儀見習いをさせてもいいわけだしさ」
漣華を見ながら、次々と慰めの言葉を口にする義兄たちの優しさが心底ありがたいと思う。
うら若い娘ひとり、拐ってしまおうと思えばすぐにできてしまうだろう。
だが、そういう事態はできるだけ避けたいのも本音。
漣華は頷きを返し、双子は使用人を呼んで何事かを言付ける。
暫くすると、礼記がやってきた。
「何事です?」
三義兄弟がそろったところに呼び出されたのだ、なんとなくだが物々しいような空気もある。
「揮将軍に折り入ってのお願い事がございまして」
「漣華のことなのですが」
そう前置きして、漣華の事情を説明すると礼記は眉間に皺を寄せて顔をしかめてしまった。
これは、流石に図々しかっただろうか。
漣華は知らず顔を俯けてしまう。
謝家の事や瑯炎のことも大事ではあるが、生まれてからずっと共に居た実の家族の事も大事なのだ。
どうにか他に方策がないものか。
礼記の力を借りずに生家の家族の安全を図りたい。
そう思いを巡らしては、悩む。
漣華は、技官だ。
武官ではなく、文官に属する。
武官との縁もありはするが、自分の部下は荒事には得意である者はそうそう居らず、ましてや生家の警備を頼める人材などありはしない。
そう言った面でも礼記とはそれなりに近しく、頼みごとをするには心強くもあるのだ。
漣華はちらりと礼記を見やると、漣華の事を優しくそして愛し気に見る礼記の視線に気づく。
その視線は漣華の心を温かく、優しく包み始めるような気がする。
心臓の鼓動が、どきどきといつもより少し強めに胸を叩いているような。
一体、どうしたことか。
心の中に礼記が居場所を作った気がする。
ほわり、と心がほどけて、白い繭の中に礼記が入って来て、そこに座る。
そしてその繭の中に居る漣華に笑いかける。
そんな気がする。
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