国王陛下はいつも眠たい

通木遼平

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 なぜ自分がこんなところに入らねばならないのか――フィーアルテは何もかも納得できなかった。彼女がいるのはトゥーラン城の地下にある牢の一つである。と言っても、その中は貴人が入っても問題ない最低限には整えられてはいた。ただし、天井の近くにある小さな窓には鉄格子がはまっており、洗面所や浴室は厚いカーテンで仕切られているものの部屋はわかれていない。たった一つの入口の前は普通の牢獄と同じように一面に鉄格子があり、そこについた小さな扉には鍵が三つもつけられていた。

 ここから出たらフィーナディアはもちろんあのラグルとかいう男もその側近も苦しめて苦しめて処刑してやる――美しく整えられた爪を噛む音と同時に、部屋の扉が叩かれる音がした。

 フィーアルテが顔を上げると、彼女の許可も得ず扉が開く。不快そうに顔をゆがめたフィーアルテの薄灰色の瞳に星の光を溶かしたような銀色と、やけに印象が残る瑠璃色が映った。





 穏やかな風貌からいつもの温和な表情を消し、カランズは立っていた。詰襟と膝下までの長さのブーツが印象的な衣装を身にまとう彼は、武芸に秀でたデュアエルの者らしい威圧感を身にまとっている。
 連れてきた騎士たちを入口のそばに控えさせ、入口と室内を区切る鉄格子に近づく。誰の目から見てもフィーアルテはいら立ち、不快そうな顔をしていたが、カランズもまたそんな彼女を不快に思っていた。

「何を見ているの? 早くここから出しなさい!」

 黙ったまま視線だけ投げるカランズにフィーアルテが声を荒げる。その首元にちらりと視線を向け、カランズは「それはできない」と冷たく告げた。

「ラグル陛下もエリーディアの当主もあなたをここから解放する許可を出していない。私の役目は、あなたがフィーナディア様から盗んだネックレスを回収することだ」
「これは妹が譲ってきたと言ったでしょう」
「フィーナディア様はそれを否定なされた」
「わたくしよりあの愚か者の言うことを信じるというの!?」
「あなたの言葉の方を信じる理由が一体どこにある?」

 カランズはため息をついた。

「どちらにしろそれはトゥーランの宝。トゥーランに関係のないあなたが持っていていいものではないし……ごねずに早く渡した方が身のためだと思うが?」

 瑠璃色の瞳がネックレスを映す。美しい宝石は鈍く光っているように見えた――いや、実際、鈍く光っているのだろう。しかしそれは決して美しい光ではなく、まとわりつくようなものだった。

 カランズにはそれが、よくないものだとわかっていた。

 デュアエルの真実の目は邪なもの、悪しきものをその目に映す。トゥーランの当主の妻がこのネックレスを身につけているのを幼い頃から何度か見たことがあったが、こんな鈍い光を帯びていることはなかった。こんな――冷たく、鈍い……虹色の光を。

「あなたがあの場で罰せられず、私がこうして穏便に盗んだものを回収しに来たのはラグル陛下の寛大さのおかげだ――が、陛下はお怒りだ。陛下の怒りがあなたの首を絞める前にそれを渡した方がいい」
「未来の女王たるわたくしが、そんな脅しに屈するとでも?」

 フィーアルテは鼻で笑った。ラグルはこの部屋の様子を見聞きしているのだろうか……? カランズはふとそう思った。ネックレスの虹色の光が強くなった。それは見慣れた美しい光ではなく、鈍いというよりももはやどこか禍々しさを感じさせる。
 それとも時間がたつほどそうなっていくのだろうか? カランズは夜会を抜け出してここに来たので、今、ラグルはフィーナディアと仲睦まじく夜会で過ごしているはずだ。こんな女のことを気に留める隙間は彼の心にはないだろう。

「愚かなのは一体どちらだ……」
「何ですって!?」
「この状況でそんな態度しか取れないなんて……少しは察するということをした方がいい」

 部屋の空気が一段下がった気がしたのは、カランズのせいなのかそれともトゥーランの宝のせいなのか、その場にいた騎士たちには判断ができなかった。

「残念だ」

 瑠璃色の瞳がおぞましいものから目をそらすように伏せられた。

 それを見ることができるのは、間違いなくこの場にいる中ではカランズだけだ。彼の真実の目だけが目にすることができる。

 しかしフィーアルテは、カランズの言葉を合図にするようにネックレスをつけた首が一瞬締まったような、ゾッとする感触を覚えた。思わずネックレスに触れると、まるで氷でできているかのように指がはりつきそうなほど冷え切っている。が、同時に焼けるような熱を、ネックレスに触れている指先ではなくそれをつけている首元に感じた。
 「ひっ……!!」とその恐ろしい感覚にフィーアルテはむしり取るようにネックレスを外し、遠くへ――カランズの足元へと放り投げた。その石たちはまだ鈍い虹色の光を帯びているようだった。

 カランズは黙って腕を伸ばし、それを大切に拾い上げた。彼の手元におさまるとそれはごく普通のネックレスに戻ったように見えた。カランズの仕事はこれで終わりだ。ちらりと視線を向けたフィーアルテは、怒りと脅えが滲んだ瞳でカランズと彼の手元にあるネックレスを睨んでいる。この部屋には鏡がないが、カランズは何も言わなかった。

 ネックレスがあったフィーアルテの首元が、一体どうなっているかなんて。

 形だけのあいさつをし、カランズは騎士たちを連れて牢を後にする。フィーアルテは罪人としての処分を言い渡されるまでここですごすことになるだろう。処罰を決めるのはカランズの仕事ではなかった。しかし父という後ろ盾を失ったフィーアルテの罪が重くなることはあっても、決して軽くはならないことをカランズは知っていた。





***





 夜会に招待された主家の当主とその家族だけはトゥーラン城に客室を用意されている。怒りのままに会場を後したファラグレスは、その区画に向かう途中で騎士たちに足止めされた。薄暗い廊下に現れた騎士の姿を睨みつけたファラグレスは、すぐにいぶかしげに眉をひそめた。騎士の着ている服がこのトゥーランのものではなく、よく見知ったエリーディアのものだったからだ。

 ファラグレスはエリーディアに仕える騎士の顔を覚えていない。連れてきた護衛の顔さえも。しかし彼らは間違いなく、エリーディアを守る騎士だった。ファラグレスは気づいていなかったが、彼らはファラグレスがエリーディアから連れて来た騎士ではなく、ファルトーンが呼び寄せた騎士だった。

「そこをどけ」

 ファラグレスは言った。部屋に戻り荷物をまとめさせ、この不快なトゥーランからすぐにでもエリーディアに帰るつもりだった。そして他の主家がそれぞれの地に帰らない内に武力をもってトゥーランから玉座を奪還するのだ。

「用意された部屋に戻る必要はありません、ファラグレス様。我々とご同行願います」

 騎士の一人が淡々と告げた。

「私に命令するつもりか!? エリーディアの当主たる私に!!」
「エリーディアの当主はファルトーン様です」

 きっぱりとした声だった。

「ファルトーン様のご命令です。ファラグレス様をすぐにエリーディアに送り届け、塔に移送するようにと」
「塔だと……!? ふざけるな!!」

 エリーディアの城で塔と呼ばれるそこは、主家の中で問題を起こした者を幽閉するための部屋だ。そこに入った者のほとんどが急な病で早死にしている。

「抵抗するようであれば、武力を行使してもかまわないと許可を得ています。大人しくご同行願いましょう」

 先ほどよりも強い口調で騎士は言った。その目の冷たい光と威圧感にギリリと奥歯を噛みしめ、ファラグレスは騎士を睨む。しかし現状が好転することはなかった。
 当然だ。怒りのままに会場を出た彼には護衛がいない。客室から夜会の会場へ向かうときは、王家の騎士がつき添っていたため自身の護衛は客室の近くに待機させていた――ファラグレスは知らないが、今はもう捕らえられている――ファラグレス一人で、ここにいる騎士たちに敵うはずがなかった。

 ファラグレスは自分こそ王だと思っていたが、エリーディアに仕えるまともな者なら当主のその考えがいかに愚かなのかよくわかっていた。動こうとしないファラグレスの腕を騎士たちがつかめば、彼ははじかれたようにまた自分が王だと言い、エリーディアに戻ってこのトゥーランを攻める準備をするのだと騎士たちに命じた。

 その言葉に、騎士たちはもう何も答えなかった。彼らは新しい当主の命に従って、この愚かな男を塔に閉じ込めるだけだ。騎士たちは若くしてエリーディアを離れた新しい当主のことをよく知らなかったが、今回はじめて顔を合わせ、彼は自分たちが仕えるにたる主だと感じていた。

 この愚かな男の命に従えば、エリーディアはトゥーランだけではなく他の主家からも攻められ、滅ぼされるだろう。トゥーランを攻め玉座を奪還するのに成功したとしてもそれは同じだ。むしろ他の主家にエリーディアを滅ぼすための理由を与えるだけだった。
 騎士たちはそれがわかっていた。しかし自身がこの国の誰よりも上の存在だと信じてやまないファラグレスにはもうそんなこともわからないのだった。


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