国王陛下はいつも眠たい

通木遼平

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 エリーディアのファラグレスは常に怒りを抱えていた。彼はこのフォルトマジア王国の国王の嫡男として生まれたが、その王位を継ぐことができなかったからだ。周囲の国々を見れば王位とは血で継いでいくのが当たり前だと言うのに、この国は違う。かつて八つの別々の国々が集まって一つの国となったフォルトマジアの王位は、そのかつての王家が順に継いでいくことになっていたからだ。

 そのことが、幼い頃からファラグレスには不満だった。

 建国して随分とたつ。そろそろ一つの家が王位を継いでいくべきだ。そして血で継ぐべき一人目は優秀な――ファラグレスは自身をそうだと信じていた――自分こそふさわしいと。
 彼は自分が次の王であるべきだと言ってはばからなかったし、今もそう考えている。ファラグレスから言わせると、彼の父の後に王位を継いだセチュアも、今のトゥーランも簒奪者だった。特に自分の息子ほどの年齢の現国王は許しがたかった。
 主家会議でアーケアに「娘を嫁がせればいい」だのなんだの言われて王位を認めたが、それでもいずれは――という気持ちを抱きつづけ、その時になって娘のフィーナディアには王となったラグルを陥れ、王位から引きずり下ろすように命じたのだ。
 ところがトゥーランに向かわせて以降、フィーナディアからは何の音沙汰もなかった。道中で死んだとも聞いていない――もしそうだったら、トゥーランに住む愚弟が騒ぎ立てるだろう――おそらく到着はしているはずだ。ファラグレスの方から連絡するということは考えもせず、連絡をよこさないフィーナディアにファラグレスはいらだった。元々、フィーナディアは愚かな娘だ。自分の役割もわかっていないに違いない、と。

 優秀な方の娘のフィーアルテに様子をうかがわせようとトゥーラン行きを命じると、トゥーランに到着するなりフィーアルテからは連絡がきた。フィーナディアはトゥーランに染まって自分の役目を忘れるどころか思い出させても裏切るだろうと。

 王妃となったフィーナディアがラグルを陥れ王座から引きずり下ろし、その権力をもってエリーディアを王家とする。当然自分が玉座に座り、その後を継ぐのはフィーアルテだ。不出来なフィーナディアは隠居としてどこか田舎に幽閉するつもりだった。

 しかしその計画は変更せざるを得ないだろう。





***





 ラグルとフィーナディアがその名を呼ばれて夜会の会場へと足を踏み入れた時、広間はどこかざわめいていた。もちろん国王であるラグルに対する礼を忘れた者はいなかったが。
 しかしラグルのあいさつの後、フィーナディアを紹介する時にざわめきがまた広がったのはきっと気のせいではないだろう。そしてそのざわめきが向く先に、ラグルとフィーナディアは同時に視線を向けた。

 憎々しげにラグルを見るエリーディアの当主ファラグレスと、そのとなりで口元に笑みを浮かべているフィーアルテ。

 無意識に握りこんだ手に、ラグルの手が重なった。見上げれば虹色の瞳がやさしくフィーナディアを見つめている。ラグルは決して表情豊かではないが、フィーナディアに向ける瞳だけは雄弁で、フィーナディアはその瞳に自分の姿を見つけるといつも心があたたかくなる。
 父に対しても、姉に対しても、もう憤りも諦めも感じる必要はなかった。恐れることも何もない。フィーナディアは表情を緩め、ラグルの手を握り返した。広間に視線を走らせ、中央から少し外れた場所に妻を伴って立っている叔父と視線を合わせた。しっかりとうなずいた叔父は、厳しい目をファラグレスとフィーアルテに向けている。このざわめきの理由を知っているのだろう。そしてフィーナディアもラグルも、広間から聞こえた声によってすぐにその理由を知ることになった。

「陛下の婚約者は、エリーディアのフィーアルテ嬢では?」

 フィーナディアが知らない声だった。心底疑問に思っている、という調子だったがどうもそれだけに思えなくて声がした方に視線を向ける。「アーケアめ……」とラグルが嫌そうにつぶやいたのが耳に届くと同時に、ローディムがあきれた顔をとなりに立つ男性に向けているのが見えた。ローディムと同じ髪色と瞳の色――

「何をもってそう言うのだ?」

 「お、おそれながら陛下……」と別の人物が言葉を発した。

「先ほど、ご令嬢自身がそうおっしゃっておりました……」

 フィーアルテは悠然と微笑んでいる。その首元にあるネックレスが鈍く光ったのが見え、フィーナディアはラグルをちらりと見上げた。

「どういうことだ? エリーディアのファラグレス、フィーアルテ」

 フィーナディアの手を握ったままラグルは二人に冷めた視線を向けた。フィーナディアとラグルが広間に来た時のざわめきは、フィーアルテが自分こそラグルの婚約者だと言いふらしていたためだったらしい。
 フィーナディアはそれを告げたアーケアの当主へと視線を向けた。死んだ目をしているローディムのとなりでアーケアの当主はどこか楽しそうだ。ラグルが悪態をつくのもわかる気がする……が、事態を動かしやすくなったのもまた事実だった。

「そもそも陛下の結婚相手に我がエリーディアの娘を、という話で娘のどちらかということはなかったはず」

 前置きもなく話し出したファラグレスに出席者の一部が眉をひそめるのがフィーアディアの立っている場所からはよく見えた。

「先日までトゥーランに滞在していた姉のフィーアルテの話では、フィーナディアは王妃として不十分だとのことだったのでそれならば姉の方をと考えていたのです。明日にでも陛下にはご相談する予定だったのですが、フィーアルテが気がせいでつい、口がすべったまでのこと」
「決まってもいないことをこのような場で言いふらす人間が王妃にふさわしいと?」
「それだけ娘が陛下に夢中だという証拠でしょう? それに陛下には相手が誰だろうと問題はないのでは?」

 ファラグレスの口ぶりには明らかに含みがあった。フィーナディアは顔を曇らせた。父はおそらく、すぐにでもラグルが陛下と呼ばれる身分ではなくなると考えているのだろう。

「むしろ陛下の方もフィーアルテを気に入っていると思っておりましたが?」

 ぴくりとラグルの片眉が跳ねた。

「フィーナディアもそれを察して姉にこのネックレスを譲ったと」
「お姉様がそう言ったのですか?」

 思わずフィーナディアは父に問いかけていた。威圧的な視線を返されて身を固くすると、それが伝わったのかラグルはフィーナディアの手を握っている自分の手の力をほんの少し強めた。励まされるようで肩の力が抜ける――フィーナディアは真っ直ぐに、父の視線を見つめ返した。

「お姉様がどう言ったのかわかりませんが、そのネックレスは陛下のおばあ様であるイングリット様から譲り受けたもので、先日わたくしの部屋から盗まれたものです」

 今日一番のざわめきが会場に広がった。

 父はますますフィーナディアを睨み、姉のフィーアルテも顔を真っ赤にしている。フィーナディアの言葉は誰がどう聞いても姉のフィーアルテがトゥーランに滞在した折に妹の元から大切な贈り物を盗んだと示していた。
 しかもそのネックレスがトゥーランの当主の妻に伝わっているものだと、この場にいる上位の者のほとんどが知っていた。ラグルの母や祖母が重要な場で身につけているのを見たことがある者も多くいる。

 何よりフィーナディアの今日の装いは、明らかに首を飾るアクセサリーが足りていなかった。本来あるべきものが、フィーナディアの元から盗まれたためだと誰もが察していた。

「なぜお姉様のところにあるのかわかりませんが……」

 そう言いながら、フィーナディアは父や姉、それから会場にいる人間の様子を注意深く見つめていた。フィーアルテはトゥーランに滞在中、ラグルに対しても不敬な態度をとっていた。姉は父と違って取り繕うことを知らない――自分が女王だと平気で口にする。その上でネックレスの件だ。
 父、ファラグレスは姉に対してどういう態度を取るのか――フィーナディアもラグルもそれを気にしていた。

「フィーアルテは妹から譲られたとはっきりと言っていました」

 きっぱりとファラグレスは言った。「お父様……!?」と悲鳴のような声が上がる。

「そうではなかったと?」

 フィーアルテを無視してファラグレスはラグルにたずね返す。ラグルはちらりと父親と一緒にいるローディムに視線を向け、それからフィーアルテを見て、ファラグレスに向き直った。

「そのような事実はない」
「なるほど……」

 父の冷めた目が姉を見た。父にとって姉は自身の考えを受け継ぐできのいい娘だったが、きっと自分のためなら簡単に切り捨てるのだろうとフィーナディアは覚った。適材適所というだけで、父にとって玉座を手に入れるための駒でしかなかったのだ。自分はもちろん、姉のフィーアルテもまた。

「しかし娘が直接盗みを働いたわけではないでしょう――実行犯と共に罪を償わせましょう」
「お、お父様! 何をおっしゃっているのですか!? わたくしがこれを持ち帰った時はわたくしにこそふさわしいとおっしゃっていたではありませんか! トゥーランのラグルなら、いずれ女王になるわたくしの伴侶にふさわしい、フィーナディアへの贈り物もどうせわたくしのものになるから持っていてもかまわないだろうと!!」
「お前の娘はそう言っているが?」
「何のことだかわかりませんな」

 フィーアルテは真っ青になって父を見ていた。が、フィーナディアはそんな姉の姿にひとかけらも同情できなかった。
 姉が何を訴えても父は知らぬ存ぜぬを通している。会場はそんな父娘の様子よりもフィーアルテがラグルを呼び捨てにしただけではなく、「自分こそラグルの伴侶にふさわしい」ではなく「ラグルこそ自分の伴侶にふさわしい」と上からものを言ったことに不快感を示していた。

「エリーディアのフィーアルテ」

 わめくフィーアルテに冷たい声を浴びせたのはいつの間にかラグルのそばに来ていたローディムだった。「あなたは」とつづけるローディムは、そう丁寧に呼びかけることすら不快だと言わんばかりの表情をしていた。

「たった今、陛下がフィーナディア様に贈られたトゥーランの宝を勝手に持ち出したことを自供した。更に、トゥーランの滞在中、陛下やその妃となられるフィーナディア様に対して不敬な態度を取りつづけたことは周知の事実。その罪は重いものである」
「わたくしは未来の女王! 不敬なのはお前たちの方です!!」
「その言葉と態度が不敬なのだ」

 ローディムはつばを吐くように言った。

「エリーディアのフィーアルテを捕らえよ」

 女性の騎士たちがすぐにフィーアルテを抑えつけ、後ろ手で拘束をした。会場から連れ出されてもなお、フィーアルテのわめき声がその場に留まっているようだった。


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