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しおりを挟む「まあ……」
姿見に映ったドレス姿の自分に、フィーナディアは思わず声をもらした。
夜会の日は着々と近づいている。日付がたつにつれて忙しさは増して行ったが、幸いなこともあった。夜会の準備を理由にフィーアルテがエリーディアに帰ったのだ。夜会のためのドレスを作るにはギリギリの時間だったし、まさかトゥーランでドレスを作るわけにはいかない。
フォルトマジアの八つの主家がそれぞれ治める地方は、言語や宗教は同じでも元々は八つの別々の国だったため、文化的には全く同じではなかった。衣装にもそれはよく表れていて、夜会などではそれぞれの地方の特色が表れた衣装を着るのが一般的だった。
フィーナディアはラグルの婚約者として今回トゥーランの仕立て屋でトゥーランのドレスを身にまとう。が、フィーアルテは父と同じでエリーディアが正当な王家だと思っているし、自分のことを未来の女王だと信じている。他の地方のドレスを着るはずもないし、エリーディアのドレスを作るならエリーディアの職人が一番だ。
そういう事情もあってフィーアルテはエリーディアに帰ったのだが、帰る間際にも問題を起こしそうだと思っていたのに予想を裏切ってあっさりと帰っていった。逆に夜会が心配になる……。
「きついところはありませんか?」と仕立て屋にたずねられフィーナディアは首を振った。逆にウエストが緩い気がする。エリーディアのドレスは胸の下に切り返しがあり、あまりウエストを締め付けないデザインだがトゥーランはきっちり細くウエストを締めた方が美しいデザインのドレスが多い。エリーディア出身のフィーナディアがそういうデザインのドレスを着慣れていないだろうと少し余裕をもたせてくれたようだった。
ドレスは品のある紫色の美しい生地で作られていた。大きく開かれた襟元にフィーナディアの細い鎖骨がよく映えている。飾りは少なめで、ラグルの祖母から贈られたネックレスをつければ際立つだろう。
スカートには黒い糸でトゥーランに流れる河のほとりでよく見かける、雫草という野花をモチーフにした繊細な刺繍が施されている。散りばめられた小さな石は鉱山で採れる宝石で、光に反射すると虹色に輝いて見えた。
ふくらんだスカートはエリーディア出身のフィーナディアにはあまり馴染みのないものだが、エリーディアのドレスの特徴を取り入れて後ろが長くなっている。それがかえって個性的で、デザイナーは新しいアイデアを活かせて満足のいく仕事ができたと始終笑顔だった。
「デザインはこちらで決めましたが、色に関しては陛下がお決めになられました」
ウエスト部分の調整をしながら仕立て屋が言った。フィーアルテの来訪で、仕立て屋を呼ぶ予定が流れてしまったのだが、ラグルがフィーナディアの希望を聞いて仕立て屋に依頼だけしたのだ。採寸はアルマが提出をしてくれたものの、直接顔を合わせたわけではなかったので作る方も試行錯誤したらしい。
「フィーナディア様は色白だとおうかがいしていましたから、きっと濃い色が似合うと思っておりましたわ」
「紫はトゥーランの色なのです」
傍に控えていたポーラが言った。
「陛下は虹色の瞳を持っていらっしゃいますが、トゥーランの主家の方々はみな神秘的な紫色の瞳をしていらっしゃるんですよ」
「そうなのね」
ラグルの血縁者で存命なのは祖母だけだが、もちろん主家の血筋ではない。そのため、今は紫色の瞳を持っている者はいなかった。もし――フィーナディアは思った。もし、自分とラグルとの間に子どもが生まれたら……その子は紫色の瞳をしているのだろうか? 紫色の瞳をした子どもを抱くラグルの姿を想像して、フィーナディアは頬を赤らめた。
調整が終わり、あとは完成を待つばかりだ。元々着ていたドレスにフィーナディアが着替え終え、仕立て屋が退室してすぐにあわてた様子で衣裳部屋の整頓をしていたラナが飛び込んできた。
「フィーナディア様!」
「ラナ」とアルマの厳しい声が飛ぶ。あわてて居住まいを正したラナだったが、その目は落ち着きなく揺らいでいる。
「どうしたの? ラナ」
「はい、フィーナディア様。フィーナディア様が夜会で使う予定のアクセサリーや小物を用意していたのですが……大奥様からいただいたネックレスがみ、見当たらないのです……!」
大奥様はラグルの祖母のことだ。厳密に言えば大奥様という呼称はラグルの母が該当するのだが、ラグルがトゥーランの当主になる前に母親は亡くなっていたため、祖母が未だに大奥様と呼ばれてこの城の使用人たちからも慕われている。
それはともかく、フィーナディアはすぐに心当たりを思いつき、「きっとお姉様だわ」と顔を曇らせた。他に考えられない。実際に最後にネックレスを確認したのはフィーアルテが帰る直前のことだった。
「……とりあえず、最後に確認した日から今日までのこの部屋の出入りを調べましょう。陛下にはわたしから報告しておくから」
ラグルは怒るだろうか? 控えていた騎士の一人が早速部屋の出入りを調べに出て行くのを見送りながら、フィーナディアはそれだけを不安に思った。
しかし意外にも、ラグルは怒るどころか気にしないようにフィーナディアに言い、事情はラグルから祖母に伝えてくれると言う。さすがにフィーナディアからも謝罪の手紙を送ることにしたが、ラグルの態度にフィーナディアは安心したような、戸惑ったような、複雑な心境だった。
「腹立たしくないわけじゃないが」
フィーアルテがいなくなって平和が戻った温室のお茶会で、カウチに寝そべりながらラグルは一つあくびをした。
「あの女はどういうものなのかわかって盗んだんだろう? きっと夜会につけてくる。こちらにはその方が都合がいい――」
「ですがラグル様のおばあさまがどう思われるか……」
「あの人は最終的にフィーナディアがきちんとネックレスを身につけたところを見られれば気にしない。それにエリーディアの当主のことを嫌っているからこの展開には喜ぶだろうな。フィーナディアの実父に対してすまないが」
「父のことは気になさらないでください。父と姉に対してはわたしもいい感情は抱いていませんし……」
「そうか」とラグルはうなずいて、またあくびをこぼし、今度は虹色の瞳をまぶたの向こう側にすっかり隠してしまった。
「――夜会のドレスはどうだった?」
眠そうな、くぐもった声でラグルはぽつりとたずねた。
「とても素敵でした。ラグル様がいろいろ考えてくださっていて……」
「当日が楽しみだな」
眠そうな声だったがやさしく細められた虹色が、愛しげにフィーナディアを見つめていた。
***
不思議な灯りで満たされた大広間はフォルトマジア王国の各地から集まった主家の人間やその四旗手の人々であふれかえっていた。それぞれがそれぞれの特色を持った美しい衣装を身にまとっている――その様子をフィーナディアが目にするのはまだもう少し先だ。
朝からはり切った侍女たちにもみくちゃにされてすでにやや疲れた気分のフィーナディアは、緊張した面持ちで控えの間に用意された椅子に座っていた。金茶の髪はやわらかく結い上げられ、いつもよりしっかりと施された化粧のおかげで大人っぽい雰囲気に仕上がっている。なんのアクセサリーもない首元が少し寒い気がして、フィーナディアは白い手袋で覆われた手を首元に持っていき、触れる前に思いとどまった。夜会の前に手袋を汚すわけにはいかない。
扉の向こうからラグルの訪れを告げる声がして立ち上がり、礼をする。複数の足音が止まり、「顔を上げてくれ」と優しい声が降ってきて顔を上げたフィーナディアははっと息をのんだ。
いつもはセットされていない艶やかな黒髪は、今日は後ろに撫でつけられてラグルの整った顔立ちをあらわにしている。虹色の瞳は真っ直ぐにフィーナディアを見つめていた。身にまとっているのはトゥーランの男性の正装で、右肩から流れるマントは光に当たると美しく銀色にきらめいているようだった。
フィーナディアは自分の頬が熱くなるのを感じた。ラグルは何も言わず、ただじっとフィーナディアを見つめているだけだ。その奇妙な沈黙をやぶったのは一つのせきばらいだった。
「いつまで見つめ合っているのですか」
はきはきとした声が、あきれよりもいたずらっぽい色を含んで二人に告げた。ハッとしてフィーナディアが視線を向けると上品な貴婦人がラグルの背後に立っていた。真っ白な髪をきっちりとまとめ、顔には年齢を感じるしわがあったが、背筋の真っ直ぐとした美しい婦人だ。
「しょうがない孫ですこと」
ラグルが苦虫をかみつぶしたような顔をした。強い光を帯びた美しい緑色の瞳を持つその人はラグルの祖母だった。
「フィーナディア、紹介しよう。俺の祖母だ」
「エリーディアのフィーナディアと申します」
ラグルの祖母の視線がフィーナディアの空っぽの首元に向けられ、彼女は気まずさで身を縮めた。が、祖母はにっこりとどこか楽しそうな笑顔を浮かべた。
「ラグルの祖母、イングリットです。色々とお話はうかがっています。あなたのような方がラグルに嫁いできてくれるなんて、わたくしもやっと肩の荷が下りるわ。ラグルのことをよろしくお願いしますね」
「は、はい」
「ああ、ネックレスのことは気にしないで。色々と役に立ちそうだと聞いていますから――でもそうね、この夜会の間につけているところを見せてちょうだいね。そのために他のネックレスを用意しなかったのでしょう?」
祖母の視線を受けて、ラグルは肩をすくめた。
「それでは、わたくしは先に広間に行っています。また後でゆっくりとお話ししましょう」
イングリットが部屋を出ると、使用人が息をひそめるように壁に控えているのを除いて部屋の中はラグルとフィーナディアの二人だけだった。またじっとフィーナディアを見つめるラグルの視線が熱を帯びているのを感じてフィーアナディアは熱くなる顔を隠すようにうつむいた。
「綺麗だ」
耳元でラグルの声がする。
驚いて顔を上げれば、至近距離にラグルの顔があった。
「よく似合っている」
「ラ、ラグル様もすてきです……」
しぼりだすようにフィーナディアはそう言った。ラグルは微笑んでフィーナディアの手を取ると、その指先にそっと唇をよせたのだった。
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