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しおりを挟むラグルはこれ以上ないくらい不機嫌だった。
フィーナディアとの時間も、自分の睡眠時間もフィーアルテに邪魔をされている。滞在を許可したのは自分だが正直ここまでひどいとは思わなかった。
「不敬で糾弾するには十分過ぎるほどですね」
ローディムがあきれたように言った。
「他の主家には連絡が行っているか?」
「決め手にはかけますが、あの女については我々以外の証言も含めて書面にまとめてばらまいていますよ。夜会で何かしでかしてもらえれば十分でしょう。あとはフィーナディア様ですが――」
「フィーナディアはよくやっている――」
ローディムが片眉をあげた。
「彼女の研究のことは前に話した通りだが、結果が出ればすぐに実用化できなくても十分彼女の功績になるだろう」
「それから、エリーディアの四つの旗手からの書類がこちらに。現当主の妹君――フィーナディア様の叔母上が尽力してくださったようです」
「妹や弟はまともなのにエリーディアの当主はなぜああなったんだ」
書類を確かめながらラグルはやれやれとため息をついた。先々代の国王もまともだったと聞く。フィーナディアの姉であるフィーアルテは父親に似たのだろうが、現当主であるファラグレスはある意味突然変異だ。
「どうも、旗手を含めた臣下がよくなかったようですね。エリーディアが王家であった際の利権が惜しかった方々がいたようで」
「他の主家の目は考えなかったのか?」
いかに主家やその直下の旗手といえども、一つの国の一部である以上、他の主家から白い目で見られれば生きづらくなるのは明白だ。実際、現在のエリーディアは主家会議でいいように発言権を奪われている――主にローディムの父であるアーケアの当主によってだが。
「この書類は次の主家会議に必要なものだ。お前が保管をしておいてくれ、ローディム」
「かしこまりました」
「俺はフィーナディアに会いに行く」
フィーナディアの部屋を訪れると、先ぶれを出さなかったせいで彼女は留守だった。部屋の前にいた騎士にたずねれば、気晴らしに散歩に出かけたという。美しい庭園はフィーアルテと鉢合わせをすることもあるため、そうではない場所をこの頃はよく散歩しているらしい。
仕方なくラグルはフィーナディアを見かけなかったかたずねながら彼女の姿を捜した。そしてその姿を、まだ彼女がトゥーランに来たばかりの頃に決して近づかないように言ってあった鉱山の入口付近の作業員の小屋の前で見つけたのだった。
「フィーナディア」そう呼びかけると、最近は沈んでいることが多かった顔が明るい色を帯びてパッとあがった。一緒にいたアルマや少し離れたところでフィーナディアを見守っていた護衛騎士がサッと頭を下げる。ここで働いているらしいエプロン姿の女性は、フィーナディアがラグルの名前を呼んだことでその正体に気づき、顔を青くして平伏した。
「楽にしていい」
全くここに来ないわけではないが、ここで働く人たちが委縮しないようにラグルが表立って鉱山を訪れることは少なかった。来てもきちんと名乗ったことはない。ただ、その稀有な瞳の色で彼の正体に気づく者もいる。
「フィーナディア、ここには危険だから近づかないように言ってあったはずだが?」
「も、申し訳ありません、ラグル様」
当てもなく歩いていたらこの近くまで来て、小屋が見えたのが気になってやって来たのだという。
「アルマや騎士たちは叱らないでください。わたしが無理にこちらに来たのです」
「何かあってからでは遅い。それにもし何かあればここで働く者たちも責任を問われることになる。次からは必ず俺に声をかけるんだ」
「はい……申し訳ありませんでした」
しゅんとしたフィーナディアにラグルはため息を一つ落とすだけで終わらせた。「それで」と当たりを見渡す。この女性と話していたのだろうか? この水が入ったたらいは?
「何をしていたんだ?」
「実はラグル様、紋章の研究が実を結んだのです!」
一転、フィーナディアが表情を輝かせた。
「このたらいの水ですが、わたしが紋章とわたしの魔力を使って発生させたのです!」
「これを?」
何の変哲もない水だ。フィーナディアが底に描いた紋章はよく目を凝らすと何か描かれているのがわかる程度しか残っていない。ラグルは袖が濡れるのも気にせずにその水に手を入れた。確かに魔力を感じるが――。
「フィーナディア、手を」
水に入れていない方の手をフィーナディアに差し出した。首をかしげながら差し出された手を握る。そういえば、こんな風に手を取るのははじめてかもしれない――華奢な手だ。指に小さなペンだこがあるが。
「魔力を手のひらに。できるな?」
「は、はい」
フィーナディアが集中してしばらくすると握った手がほのかに温かくなった。フィーナディアの魔力を感じる。この水から感じる魔力と同じものだ。
「確かに魔力で発生された水のようだ」
ラグルはフィーナディアの手を離し、水からも手を出した。濡れた手をフィーナディアが差し出したハンカチでふきながら考える。実際にこの目で実践しているところを見てみたいが……。
「紙とペンはあるか?」
騎士がすぐに小屋の中から紙をペンを持ってきてくれた。フィーナディアになんでもいいので研究の成果を見せて欲しいと頼むと、彼女は同じように水の神の紋章の一部を描き、手をかざす――が、今度は何も起きない。
「さっきは、確かに……」
肩を落とすフィーナディアの代わりにラグルも魔力を込めてみたが何も変化はなかった。
「あの水を出した時はどんな感じだった?」
「この線を伝って魔力がしるしを満たして、それから水が出てきました」
「線を伝ってか……あのたらいの底は何で紋章を描いたんだ?」
「その辺りで落ちていた石で」
フィーナディアはたらいの傍に転がっていた、さっき自分が使った石を手に取ってラグルに渡した。ラグルはしばらく考えながらそれを見ると少し待っているように言って休んでいた作業員の元に行き、それからフィーナディアのところに戻るとひとまず城内へ戻ることを告げた。
女性にあいさつをしたフィーナディアを連れて、ラグルは自分の執務室へと戻ってきた。その応接セットのテーブルの上をきれいに片づけてあり、部屋は無人だ。しばらくしてローディムが部屋にやってくると、彼は深皿にきらきらとした粉を入れたものを持ったカランズを伴っていた。
「これは?」
「この石を砕いたものだ」
ラグルはフィーナディアが使った石をまだ手に持っていた。
「これはおそらく原石だ。あの鉱山で採れる。祖母が贈ったアクセサリーに使われていた石だ」
「宝石を砕いたのですか!?」
「さすがに宝石として売るものは使わない。これはクズ石だ。それで――この石は魔力に反応すると言われている」
「えっ? じゃあ……」
「フィーナディアが最初に水を出した時、うまくいったのはこの原石を使ったからかもしれない。それを確かめる。この石を砕いた粉でさっきのように紋章を描いてほしい」
「ここでですか?」
水が出れば大変なことになる。
「そうだな――何か皿か、盆のようなものをくれるか?」
すぐにアルマが大きめのお盆を一つ持ってきてくれた。それをテーブルの上に置き、カランズが持ってきた粉でゆっくりと紋章を描いていく。ペンなどで描くのとは違って慣れないやり方で時間を取ってしまったが、なんとか描き切ることができた。
「カランズ、ここに魔力を流してくれ。この線を満たすように」
「わかりました」
「えっ、わたしがやりますよ?」
「フィーナディアはあまり魔力が多くない。放出だけとはいえ、一日に何度もやるべきじゃない」
ラグルは言った。
「それに普段から魔力を使っているわけじゃないから度が過ぎれば眠くなるだけならいいが体調を崩すこともあるだろう」
「そうなのですね」とフィーナディアはぱちりと瞬きをした。カランズの方を見ると彼も微笑んでうなずいた。
「私はトゥーランの方々ほどではないですがそれなりに魔力がありますし、普段から魔力を使っていますから心配はいりませんよ」
「失礼します」と言ってテーブルに近づいたカランズが紋章の上に手をかざす。そして先ほどフィーナディアが試した時よりもずっと早く紋章から水が滲みでて、そして――
「きゃっ!」
「す、すみません!!」
思った以上に早く量が増え、あっという間にテーブルは水浸しになった。
「カランズ……」
「か、加減がわからず……申し訳ありません、お召し物が……」
座っていたラグルもフィーナディアもすぐに立ち上がったが、それでも少し濡れてしまった。
「乾かせばいいので、気になさらないでください」
「しかしこれは素晴らしい成果ですね」
しっかり離れたところで様子を見ていたローディムが冷静に言った。
「この研究を進め、いずれ実用化できるとわかればフィーナディア様の功績となります」
「わたしのですか? いえ、わたしは功績は特に……ただ、民の生活の役に立てばと思って」
フィーナディアの薄灰色の瞳が、ラグルを遠慮がちに見上げた。
「それにラグル様のご負担も減ればと」
「そうですか――」と向けられたローディムの視線にラグルは不機嫌そうに眉を寄せた。「よかったですね」とでも思っているのだろう。ローディムにそう思われるのは腹が立つが。
「それでも功績は必要です」
「どうしてですか?」
「それは俺から話そう――」
テーブルや床を掃除するものを取りに行こうとしたアルマを止めて、ラグルはテーブルに向って手を払うように振った。ずぶ濡れだった部分はあっという間に乾き、水をあふれさせていた紋章からはもう一滴の水も出てこない。カランズやローディムは、ラグルがそこに込められていたカランズの魔力を打ち消したのだとすぐに気がついた。
「もう座り直して大丈夫だ。アルマ、人数分の茶を用意してくれ」
「かしこまりました」
アルマがお茶を用意すると、カランズとローディムも席に着く。アルマはフィーナディアの後ろに立ち、それ以外の人物は部屋の外へと出された。ラグルはまた手を振るしぐさをし、この部屋の中の会話が決して外に漏れないようにした。
「この紋章についての研究をフィーナディアの功績として、それをフィーナディアを俺の妃にする最たる理由にしようと思う。フィーナディアがエリーディアの令嬢だからではなく」
「えっ――?」
「俺と結婚するのは嫌か? フィーナディア」
ラグルの虹色の瞳が真っ直ぐにフィーナディアを見た。純粋に驚きに満ちたその薄灰色の瞳を。
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