国王陛下はいつも眠たい

通木遼平

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 あれ以来、フィーアルテはラグルの姿を見かけるたびに彼に付きまとうようになっていた。それをフィーナディアが知ったのはラグルとの温室でのお茶会で、当たり前のようにフィーアルテがそこに同席したからだ。
 フィーアルテは始終、ラグルが自分をちやほやして当然という姿勢を貫き、フィーナディアをこき下ろし、ラグルが自分に媚びないと明らかに不機嫌な顔をした。ラグルは当然苛立ち、いつものお茶会のように昼寝をすることもできず、フィーナディアはただただ申し訳なくてうつむくことしかできなかった。姉をいさめるべきなのだろうが、今までの経験上そんなことをすれば姉の態度はますますひどくなるのはわかりきっている。

「申し訳ありません、ラグル様」

 場所をラグルの執務室に移し――さすがに姉もここまでは押しかけてこない――フィーナディアは頭を下げた。応接セットのテーブルの上には仕切り直しとばかりにお茶とお茶菓子が用意されている。

「姉があのような態度を……」
「あなたはあの女の妹ですが、今は陛下の婚約者という立場です。注意しても問題はないのですよ?」

 お茶会の様子を聞いたらしいローディムが、書類に視線を向けたまま口をはさんだ。「よせ、ローディム」と不機嫌な声がそれをいさめる。

「どうせエリーディアでもあの女はフィーナディアにああいう態度を取っていたのだろう? フィーナディアが委縮するのも無理はない」
「いえ、ローディム様の言うとおりです……」
「だがフィーナディアが口を出せば余計にやかましくなるだろう?」
「それは……そうなのですが」

 ラグルは紅茶に手を付けず、大きなあくびを一つした。

「ラグル様がお休みになる時間も削ってしまいましたね……」
「そう気にするなフィーナディア。冬よりも魔力は使っていないし……別にこれから少し寝ればいい」

 ローディムが何か言いたそうにラグルを見たが、ラグルはそれをしっかりと無視した。

「考えたのですが――わたしはしばらくトゥーランから離れた方がいいのではないでしょうか?」

 紅茶の水面に映るフィーナディアの顔は頼りなく揺れている。

「そうすれば、姉はここに滞在する理由はなくなります」
「……フィーナディアがトゥーランから離れる理由がない」
「それはどうにでもなります。元々、父の問題が片付いたらここを離れるつもりでしたし」
「は?」
「ラグル様が即位された時の口約束があったとはいえ、父が強引に押し付けた婚約です。父の企みをどうにかできればわたしは家から出て一人で暮らしていくつもりでした」
「エリーディアはどうする?」
「叔父がおります」
「たしかにファルトーンなら――いや、だがここやエリーディアを離れてどこで暮らしていこうと?」
「アーケアに」

 ローディムが顔を上げた。

「その、個人的な希望なのですが、知の都と名高いアーケアのエーゲルシュタットで神話について学びながら暮らしていけたらと……」
「神話の研究ならここでもできるだろう……」

 ラグルの声が一段と低くなった。眠気のせいとは明らかに違う不機嫌さを顔に浮かべている。ローディムも視線を書類から上げ、眉間にしわを寄せていた。

「確かにフィーナディア様の研究成果を考えれば、エーゲルシュタットに学者として受け入れられる可能性は十分ありますが」
「余計なことを言うな、ローディム」
「……申し訳ありません」
「フィーナディア、お前がトゥーランを離れることは許さない」
「どうしてですか?」
「それは……」

 口ごもったラグルの虹色の瞳がフィーナディアを見て、ローディムを見て、それからまたフィーナディアを見た。「とにかくダメだ」と口にした彼からそれ以上理由を聞き出せそうにない。フィーナディアは困ったように眉を下げた。





***





 その後、何度かトゥーランから離れることについてラグルに進言してみたがいつも反対されて終わった。しまいには、ローディムやカランズからこれ以上そのことについてラグルに話すのはやめてくれと言われてしまったほどだ。理由は教えてもらえないが、ラグルが少しでも結婚について前向きに考えているから――と考えてもいいのだろうか?
 少なくともフィーナディアは、できればラグルと一緒にいたいと思っている――しかし実家がかける迷惑を思うと、身を引いた方がいいのでは……? となってしまうのも正直なところだ。

 ひとまずお茶会の回数は減らし、ラグルと二人で会うのはもっぱら図書館になった。エリーディアでもフィーアルテが読書をしたり家庭教師以外で勉強したりすることはほとんどなかったので、きっと近づかないだろうと思ったのだ。
 実際、フィーアルテが図書館に近づく気配はない。それ以外の時間も、妃教育や執務の手伝い、夜会の準備で忙しいこともあってフィーナディアはあちこち出歩き、人に会い、図書館以外でのラグルとの時間を意識的に減らすようにした。自分とラグルが一緒にいるとフィーアルテが目ざとくそれを見つけてラグルの昼寝さえ邪魔をするから。

 まだ自分一人がからまれる方がマシだとフィーナディアは思う。ラグルはもちろん、トゥーランの人たちが理不尽に虐げられているのを見るのは辛かった。フィーナディアが直接かばうと攻撃は余計にひどくなるため後からフォローするしかないのも辛い……折角、トゥーランの人たちに認められてきたのに。叔父もまた肩身が狭い思いをしているようだ。

「フィーナディア様」

 少し焦ったようなアルマの声にフィーナディアはハッとして立ち止まった。時間ができたので気分転換に散歩をしていたのだが、フィーアルテが近づきそうな華やかな庭園を避けて歩いていたら随分と裏手の方に来てしまったらしい。

「この辺りは使用人たちがよく通る場所なのであまり近づかない方が……」

 身分が高い者がいるのにふさわしくないのもあるが、使用人たちを委縮させてしまうのもかわいそうだ。生活をするスペースは完全に分けなければ、使用人たちの気が休まらなくなってしまう。しかし引き返そうとしたフィーナディアの視界に、ふと気になるものが入ってきた。

「あれは……?」

 小屋――と呼ぶには少し大きいかもしれないが――のある、広場のようなものが見える。それからあまり、かぎ慣れないにおいが。何となく興味を惹かれたフィーナディアは「少しだけだから」とアルマを説得して気になる方へと足を進めた。

「鉱山の入口だわ」

 休み時間なのか、今日の作業が終わったのかわからないが、小屋の近くには作業員たちがのんびりとくつろいでいた。ラグルには危険だからあまり近づかないように言われているが見慣れないものに対する好奇心の方が勝ってしまう。

「あら、珍しい人がいるね?」

 フィーナディアとアルマの姿に最初に気づいたのは、ちょうど小屋から出てきた恰幅のいい女性だった。エプロンと三角巾を付けた女性は「どこかの旗手のお嬢さんかい?」と臆せずフィーナディアに話しかけた。アルマはその気軽な口調を気にした様子だったが、フィーナディアは親し気な距離感に驚くと同時に好感を抱いた。

「エリーディアのフィーナディアといいます。突然お邪魔してしまい、申し訳ありません。散歩をしていたらこちらが目に入って、興味を惹かれたものですから」
「エリーディアの? ああ! 国王陛下のご婚約者様――こんなしゃべり方じゃ不敬だったね」
「いいえ、お気になさならいでください」
「そうかい? 育ちが悪くて、丁寧な言葉遣いってやつができなくてね……ここのやつらはみんなそうさ。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ。お嬢様もあたしらになんて気を遣わないでおくれよ」

 女性は作業員たちの食事の世話や洗濯などをしているらしい。「旦那が昔からここで働いている縁でね」と笑いながら言った。危険も多いが性別に関係なく働きやすい職場で、鉱山の人たちはみなラグルを慕っているようだ。

「あの辺で転がっているやつらにもあいさつをさせないとね」
「お休み中なら、無理にあいさつにこなくて大丈夫よ?」
「いいんだよ。正規の休憩時間じゃなくて、作業がひと段落してさぼってるだけなんだから」
「まあ」
「それにあたしもあいつらに水汲みを頼みたくてね」

 洗濯をするのに汲み置きしてあった水では足りなそうらしい。

「それならわたしが手伝うわ」
「えっ? お嬢様が? でも水汲みなんて力仕事、できないだろう?」
「水汲みは――でも水を用意する方法はあるわ」
「でも――」
「わたしも試したいことなの」
「それなら、まあ――でもどうやるんだい?」

 洗濯用のたらいを空のまま用意してもらい、その辺に転がっていた石でマークを書く――これはフィーナディアの研究の成果だ。水の神アーシリェアードの紋章から、水だけを示す部分を抜き出したものだった。

「このしるしでどうするんだい?」

 女性とアルマがたらいをのぞきこむ。「まあ、見ていて」とフィーナディアは腕まくりを――アルマの非難の目を受けながら――した。空のたらいの底に書かれた紋章の上にそっと手を乗せる。実践するのははじめてだ。深く深呼吸して、フィーナディアは自分の体の中にある魔力に集中した。

 魔法を使えるのは一部の人間だが、魔力を持つ人間は少なくはない。フィーナディアもそうだった。そして彼女は神話の紋章に興味を持った頃から、魔力が放出できないかも研究と練習を重ねてきたのだ。

 手のひらが熱い――魔力が滲み出てくるのがわかった。フィーナディアが書いた線の上に流れたその魔力がしるしに満たされると、そこから清潔な水が湧きおこった。

「まあ! すごいです、フィーナディア様!」

 アルマが感嘆の声を上げる。ぱしゃりと音を立てて、フィーナディアはすっかり水で満たされたたらいから手を取りだした。手のひらはまだ熱い。魔力の放出は、まだまだ練習と研究が必要そうだ。

「うまくいったみたいね」

 しかしはじめてにしては十分すぎる成果に、フィーナディアはにっこりと笑ったのだった。


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