国王陛下はいつも眠たい

通木遼平

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「はぁ……」

 図書館のいつもの席で、フィーナディアはため息をついた。姉のフィーアルテがトゥーランに押しかけて来て三日ほどたつが、エリーディアの悪評を抜きにしてもフィーアルテの評判は最悪だ。フィーナディアも姉のせいでこのトゥーラン城の人たちが嫌な思いをしているのを見ると気分が沈む。
 実家にいた時のアルマがそうであったように、フィーナディアの侍女たちは特にフィーアルテや彼女が連れてきた人たちに絡まれるようで、それがまたフィーナディアの心を痛めた。最初に付けられた侍女たちとは違って、今の侍女たちはフィーナディアを慕ってくれて、フィーナディアもまた侍女たちを姉や妹のように思っていた。

 ラグルたちが今後どうするつもりなのかわからない。一応たずねてはみたが、悪いようにはしないと言われただけで具体的なことは教えてもらえなかった。まだ色々と手を回している最中だという。叔父も心配して様子を見に来てくれたが、フィーアルテは叔父にかなりきつく当たるので、フィーナディアは申し訳なくてできるだけ顔を見せないように伝えてある。

 いっそ自分がここから去れば、姉はここに滞在する理由がなくなるはず――フィーナディアはそんなことさえ考えていた。元々、父や姉をどうにかできたら自分は好きに生きようと思っていたのだ。ローディムにアーケアへ移住する方法を聞いておこうか……。

「フィーナディア」

 低い声に名前を呼ばれ、フィーナディアは顔を上げた。不機嫌そうな顔をしたラグルが、いつものように一人でそこに立っていた。今日は眠そうだからというより、本当に不機嫌そうだ。

「ラグル様――え?」

 しかしいつもと違って、ラグルは向かいの席ではなくフィーナディアのとなりに座った。その虹色の瞳に自分の姿さえ見ることができる距離に、フィーナディアの心臓が大きく跳ね上がった。

「ど、どうしたのですか?」
「……元気がないな」

 いつもフィーナディアは神話研究に打ち込んでいる時、その瞳は生き生きと輝いている。ラグルはその姿を見るのが好きだったが、今日は浮かない顔をしていた。もっとも、原因は想像がつくが。

「俺があの女の滞在を許可したからだな……」
「いえ、そんな」

 姉のことをあの女と呼んだことはスルーしてフィーナディアは首を振った。

「仕立て屋も呼べていないし――」
「仕立て屋?」
「ドレスを贈ると言っただろう?」

 自然な動作でラグルがフィーナディアの髪を指の背で撫でた。姉のことで頭がいっぱいで、ドレスのことをすっかり忘れていた。当然、夜会のこともだ。夜会の準備もしなければ。

「フィーナディアには何色が似合うのだろうな」
「どうでしょう? 落ち着いた色合いが好きですが……」
「宝石を見てから考えるか? 使って欲しいものがあるんだ――母が祖母から譲られたものなんだが……」

 トゥーランの当主の妻が受け継いでいるもので、ラグルの母が亡くなってからは彼の祖母――トゥーラン河のそばにある別荘で今は暮らしている――が保管していたらしいが、ラグルがフィーナディアと仲睦まじいと聞いて夜会で使うように送ってきたらしい。

「では、それにあったドレスがいいかもしれませんね」
「後で部屋に届けさせよう。このトゥーランの鉱山で採れた石を使ったものだ」

 トゥーラン城の裏にある山は鉱山で、城内にその入口があった。フィーナディアは危ないから近づかないように最初の頃に言われて一度も訪れたことはない。

「ほとんど色のない石だから色は何色でも大丈夫だろうが」
「ダイヤモンドですか?」
「いや、違う。名前はないが、この鉱山でしか採れないから貴重なものではある」
「だからトゥーランの主家に伝わっているのですね」
「そうだな。きっとフィーナディアにもよく似合う」

 薄灰色の瞳を瞬かせて、フィーナディアはラグルを見た。頬が熱くなるのがわかる。その様子を見つめるラグルの虹色の瞳が優しく細められるのに、またフィーナディアは鼓動がはやくなるのを感じるのだった。





 フィーナディアの部屋に届けられたそれは、まるでレースのように繊細な模様を描いた透明な石を使ったネックレスで、不思議とフィーナディアの鎖骨周りを美しく見せるのにちょうどいい長さだった。透明な石と言っても薄っすらと虹色の光を帯びているように見え、フィーナディアはそれが魔力の輝きのように思えた。
 ラグルの祖母からの手紙が添えられており、これがトゥーランの当主の妻に代々受け継がれているもので、不思議なことに持ち主が変わると色味が変わり、手直ししなくてもちょうどいい長さになること、これを付けたフィーナディアに夜会で会えることを楽しみにしていることが書かれていた。

 ラグル様も楽しみにしてくれているのかしら――?

 姉のことで迷惑をかけるならいっそここを出て行きたいという気持ちもあるが、ラグルの瞳――この宝石と似た光を帯びたあの虹色の瞳を思い出すとためらいが大きくなる。

 姉はいつまでここにいるつもりなのだろう――そう気持ちが落ち込んだ矢先、部屋の扉が大きく開かれた。ぎょっとして振り返るとタイミングよく姉が取り巻きを連れて立っていて、フィーナディアは思わず顔をしかめそうになった。

「あら」

 自分と同じ色のフィーアルテの瞳がフィーナディアの手元にそそがれ、しまったと思った時には近づいて来た姉にあっという間にネックレスを盗られてしまう。「お姉様!」とさすがにフィーナディアは声を上げた。

「返してください。それに突然部屋に来て――何かご用ですか?」
「まあまあいい品じゃない。あの男からの贈り物?」

 フィーナディアの厳しい声を気にもせず、ネックレスをしげしげと眺めながらフィーアルテは言った。

「陛下のおばあ様からの物です……返してください」

 手を伸ばし、強い視線でフィーアルテを見つめると、姉はつまらなそうに鼻を鳴らして乱雑にネックレスをフィーナディアに押し付けた。

「あの男からではないのね。まあ、婚約者と言ってもあなたみたいなできそこないに宝飾品なんて贈ってもねぇ?」

 クスクスと笑い声がつづくのはいつものことだ。フィーナディアはネックレスを箱にしまい、控えていたポーラに渡して寝室の方へとしまいに行かせた。さすがに姉も奥の部屋までは入ってこないだろう。

「……用がないのなら、お引き取りいただけますか? 今日はまだやることがあるのです」
「なんて言い方なのかしら? できの悪い妹を心配して様子を見に来てあげたのよ?」

 当然のようにフィーアルテはソファに座る。居座るつもりだ。

「ちっともかわいげがないのね。男から贈り物一つももらえない。それでお父様に言いつけられた仕事をこなせるのかしら?」

 こなすつもりなどさらさらない。フィーナディアは口を結んでうつむいた。言うだけ言えば、飽きて帰るだろうと思ったのだ。「まあ、でも――」とフィーアルテはつづけた。

「やり方を変えるのはいいかもしれないわ。あなたじゃ役に立たなそうだもの――ねぇ、フィーナディア? あの男、ラグルと言ったかしら? 顔だけはまあいいじゃない? 女王となるわたしの伴侶にふさわしいと思わなくて?」

 「は?」と口からこぼれそうになった声をフィーナディアは飲み込んだ。「あの男もきっと喜ぶでしょうね」とフィーアルテは勝手な言葉をつづけている。ラグルを? 伴侶に……?
 「ラグル様はわたしの婚約者です!」とフィーナディアは叫びたかった。しかし余計なことを言えば、姉がどう出るかわからない。フィーアルテはいつだってフィーナディアのことを見下して、妹をいたぶることに喜びを感じるのだ。
 もし今、フィーナディアが抱いているラグルへの気持ちがかけらでもこぼれたら、姉は嬉々としてラグルにつきまとう――その可能性は十分にあった。そうすれば、ラグルに迷惑がかかるのは明白だ。

 フィーアルテの話はもうトゥーラン城の使用人への悪口に変わっていたが、フィーナディアはラグルのことばかり考えていた。


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