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9.
しおりを挟む長い夢を見ていた気がする。
ぼんやりと浮上した意識の中で、フィーナディアはそんなことを考えた。どんな夢かは覚えていないけれど、不思議と胸の奥にしあわせが満ちていた。
その一方で体は重く、少しずつ覚醒してきた頭でフィーナディアは記憶の糸をたぐり寄せた。ラグルとのお茶会があった日、雪が降っていて――部屋に戻ると暖炉に火がなかっただけでなく、寝室の窓が開けられ部屋は凍えるような寒さだった。しっかりと入浴してからこれでもかというくらい毛布と衣服にくるまれて寝たけれど、翌朝目が覚めて、寒さと熱さ同時に襲われ気持ちが悪く、体中が軋んで、とてもではないがベッドから起き上がることはもちろんアルマを呼ぶこともできず、時間がたてばたつほど悪寒がひどくなって朦朧として――その後はもう覚えてない。
きっと風邪を引いたのだ――自分がどのくらい寝ていたのか、フィーナディアにはわからなかった。部屋のカーテンからはぼんやりと光が見えるから、きっと朝だろう。最後の記憶では凍えるようだった部屋の中は、すっかり暖かくなっている。が、暖炉に火の気配はない――動こうとして、フィーナディアははじめて自分がかぶっている布団に何か重みが加わっていることに気がついた。
そっと視線を動かすと、ベッドに突っ伏して眠る、黒髪の頭が目に入った。そっと伸ばした手で触れたその髪はさらりとして手触りがよく、フィーナディアは微笑む代わりにそっと目を細めた。
「ん……」
その感触にふと声が漏れ、ラグルは目を覚ました。昨晩はフィーナディアのそばにずっとついていたのだが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。顔を上げると、ぼんやりと自分を見つめる薄灰色の瞳とラグルの虹色が重なった。
「フィーナディア、目が覚めたのか?」
こくりと、フィーナディアはうなずいた。のどがなんだかはりついている気がして、うまくしゃべれる自信がなかった。ラグルはフィーナディアが声を出さないのを気にすることなく手を伸ばし、フィーナディアの額に触れる。「まだ熱があるな……」とつぶやいた声は、誰が聞いても心配そうだ。
「昨日よりは下がったが……」
「……へい、か」
ゆっくりとフィーナディアはラグルを呼んだ。
「わたしは、どのくらい……寝ていたのですか?」
「夜が一度明けただけだ」
ラグルは答えた。
「気分はどうだ? 辛くないか?」
「だい、じょうぶです」
額から離れようとしたラグルの手を、フィーナディアはそっと捕まえた。困惑した様子のラグルは、いつもの不機嫌に見える表情からはほど遠い。捕まえた手と同じ、温かみのある表情だった。それに、
それに、この部屋も――この部屋の暖かさも、ラグルの手の温かさと似ている。
「陛下が、魔法で……部屋を暖めてくれたのですね」
フィーナディアは気づいていた。
「叔父様のお屋敷も、陛下の魔法で暖かかったのですね」
「……特に寒い日だけだ」
ラグルはますます困った顔をした後、そう答えた。
「それにいつもは城の中には魔法を使わない……使っていれば、フィーナディアは風邪を引かなかった……俺のせいだ。全て……すまなかった」
「いいのです」
まだ体はだるかったが、なんとか微笑みを作ることができた。それに自分もラグルに侍女や騎士たちのことを報告するべきだったのだ。それにトゥーラン城中にも魔法を使うなんて、無理をしてほしくなかった。
「もしかして陛下はウィアーデ中に魔法が行き届くように、しているのでしょう……? だからいつも、眠そうなのですよね?」
ラグルは自分の魔力を民のために使えないかといつも考えていた。それこそ即位する前からだ。最初にはじめたのは夜の街に灯りを点すことで、厳しいトゥーランの冬に薪の代金も心もとないような家でも暖かく過ごせるようにと魔法を使いはじめたのは去年の冬からだ。
もっともトゥーランどころか首都であるウィアーデとその周囲くらいしかラグルの魔法は行き届かない。その前に魔力がつきてしまう。いや、その範囲だって限界まで魔力を使い、ラグルはいつも睡魔と戦う羽目になっていた。
「俺の魔力を活かす、もっといい方法があればいいのだが」
民が優先なので、この城の中は後回しだ。城内の暖房代は十分あるし薪などの備蓄もある。しかしもし魔法をこの城の中にも行き届かせていたら……ラグルは自分の手を摑まえたままのフィーナディアの手を握り返した。
「もう少し寝ていろ、フィーナディア。アルマと医者を呼んでくるから」
「陛下もお休みになってくださいね……」
「俺はいつも寝ている」
ラグルはそう言って笑うと、フィーナディアの手を一度ぎゅっとしっかり握りしめ、その手をそっと布団の中に入れてやった。最後に頭をそっとなでると、フィーナディアは少しくすぐったそうに目を細めたのだった。
***
フィーナディアがベッドから出る許しが出たのは最初に寝込んだ日から一週間後のことだった。熱は三日ほどで下がったのだが、ラグルからもアルマからも医者からも大事を取ってもっと休むようにとベッドから出るのを許されなかったのだ。
その間にフィーナディアは新しい騎士と侍女を紹介された。カランズからは謝罪も受けた。彼は騎士たちの職務放棄を知らなかったらしい。騎士たちは隊長である彼に虚偽の報告をしていたのだ。
「私はこの見た目なので騎士たちに侮られているのです」
カランズと話すようになってから、ある時彼はふとそうこぼした。確かにカランズの見た目は勇猛な騎士たちには侮られそうだ。「これでもデュアエルの人間なのですが」とカランズは苦笑いをしていた。主家の一つであるデュアエルは、武芸に秀でている。かつて国だった頃のデュアエルは勇猛な騎士の国だったのだ。
「新しい侍女や騎士たちはどうだ?」
風邪から回復して十日ほどたち、やっと時間が取れたとフィーナディアはラグルにお茶に誘われた。場所は前回と同じ温室で、前回と同じく二つのカウチとローテーブルでお茶の準備がされている。
「よくしていただいています」
元々なのかラグルが何か言ったのかわからないが、エリーディアの人間だからと嫌味の一つも言われることはない。アルマも休みが取れるようになり、フィーナディアはほっとしていた。
「陛下にもお気遣いいただいて、ありがとうございます」
「いや、そもそもこちらが悪かったのだから当然のことだ」
そう言うラグルは今日も眠そうだ。昨日は特に冷えたので、随分と魔力を使ったのだろう。
「陛下、お休みになってもいいのですよ?」
「茶会をはじめたばかりでか?」
濃く淹れた紅茶を飲み干してラグルは言った。
「考えたのですけれど、今わたしがやっている紋章の解読と研究が進めば陛下の負担が減らせると思うのです」
「どういうことだ?」
「紋章は神話の神々の力の源だと言われていますし、他国で魔法が使える者の中には背中に神話の紋章に似た痣があったという噂もあります。神々の紋章と魔力を組み合わせれば、もしかしてわたしのように魔力があっても魔法が使えない人間でも魔法のようなことができるのではないかと」
魔力がある者はそれなりにいるが、魔法はそうではない。使える者も何となく感覚で使っているので人に教えることもできないのだ。実際、ラグルも火をつけたいと思ったらついた、といった感じなので周囲に魔法を教えて欲しいと言われてもお手上げだった。
「……罰当たりではないのか?」
「人の生活が便利になるためなら神様だって認めてくださいますよ」
そうだろうか……? ラグル自身信心深いわけでもないが内心首を傾げた。
「陛下の負担が減れば、眠くない陛下とゆっくりとお茶ができますね」
そう言って笑うフィーナディアに、ラグルは眠気が吹っ飛んだ気がした。目を丸くする彼に、「どうしたのですか?」とたずねるフィーナディアには、それはきっと無意識からこぼれおちた願いだったのだろう。
「俺もずっと眠いわけじゃない……結婚して多くの時間を共に過ごすようになれば、そういう時間だって増えるだろう」
「ですが結婚したら、わたしの父がまた愚かなことを考え出すでしょうし、わたしは陛下を陥れるよう急かされる決まっています」
それはないとは言い切れない。
「結婚、するつもりはないと……?」
「無理になさらなくても、ということです。父を糾弾するのにわたしを利用されてからでも――わたしとしてはエリーディアは叔父に治めて欲しいと前々から思っていましたから……ことがすんだら、わたしはここから出て行きます。わがままをお許しいただけるなら、エーゲルシュタットに移住したいのですが……」
「なぜアーケアなんだ?」
「学者が多く集う土地ですし、素晴らしい蔵書の図書館もあるとか」
「知の都と呼ばれるくらいだからな……」
しかし何かが気に入らなくて、不機嫌そうにラグルはカウチに横になった。
「お休みになられるのですか?」
「他の主家のことに口を出すのは問題になるが、エリーディアのことはできる限り考えよう……お前はこのウィアーデに残ることを考えておけ、フィーナディア」
ラグルは虹色の瞳をしっかりと閉じ、すぐに眠りに落ちていった。眠る彼が残した言葉をうまくのみこめず、フィーナディアはパチリと瞬きを一つした。
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