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しおりを挟む温室と言ってもさすがに冬は花が少ない。それでも用意された席の周囲は最低限彩られていた。もっともフィーナディアは、お茶会のはずなのに――ティーセットは用意されていたが――そこにあるのがローテーブルと二つのカウチだったので思わず笑ってしまいそうになったのだが。
ラグルは今日も眠そうだった。途中で寝るかもしれないと言われたがフィーナディアはかまわなかった。
「そうだろうと思っていましたから、無理はなさらないでください」
笑いながらフィーナディアは言った。
「俺が寝てしまったら、これを読んで時間をつぶしたらいい」
「これは?」
「ローディムに用意させた。ニーアライヒ地方のグラミュードにある遺跡群について書かれたもので、建国前の時代の本だからこの城の図書館にはないと思う」
「よ、読んでいいのですか?」
「婚約者への最初の贈り物に本はどうかと思ったが」
「いただけるのですか!?」
フィーナディアが瞳を輝かせると、「フィーナディアには十分だったなと」ラグルも笑みを浮かべた。給仕はアルマだったので父について話そうかと思ったが、思ったよりも早くラグルの眠気が来てしまったので今日も話すことはできなそうだ。
「あ、雪だわ」
いっそお茶会をお開きにするべき? と思ったが、うとうととしはじめたラグルを無理に部屋へと戻すのもかわいそうだ。それならここでひと眠りしてから戻った方が彼もすっきりするだろう。そう思っていた時、温室のガラスの向こうにある灰色の空から白いものがチラチラと舞い落ちてくるのを見つけて、フィーナディアは声を上げた。
「今朝は特に冷えたからな」
眠そうな声でラグルが答えた。「誰か俺とフィーナディアの部屋の暖炉に火を入れるように言ってくれ」と傍に控えていた騎士に声をかけると、アルマが自分が行くと慌てて言った。
「お前がいなくなったら誰が給仕をするんだ。そう気にするな。俺の部屋のついでだと思えばいい」
「そうよアルマ。あなたにはいつも色々と頼んでしまっているし……たまには他の人にお願いするのもいいわ」
「はい」
「紅茶のおかわりをちょうだい?」とフィーナディアが頼むと、アルマは困ったように笑って温かい紅茶を淹れてくれた。ラグルの分もと顔を上げると、もうフィーナディアの向かいのカウチから寝息が立っている。
「陛下は本当によくお休みになられますね」
眠ったラグルに気をつかって、音を抑えてアルマが言った。
「そうね。きっと――お疲れなのよ」
フィーナディアは立ち上がり、カウチの上にあった毛布をラグルにそっとかけてやった。温室の中は暖かかったが、雪も降ってきたし風邪を引いては大変だ。美しい寝顔だったが眉間にしわがよっていて、フィーナディアはフフと笑った。
元々座っていたカウチに戻るとラグルからもらった本を広げ、ゆったりと背もたれに体をあずけた。雪の粒はだんだんと大きくなっていく。今日の夜からもう積もりだすだろう。
なんとなくしあわせな気分だった。父の話はまた改めてすればいい――この時間に、水を差すのは嫌だったから。
と、思っていたのに。
ラグルが起きるとお茶会はお開きになり、折角だから晩餐もと一度ラグルは執務室へ、フィーナディアはアルマを連れて図書館へと行き、それからまたラグルと合流してお茶会の時よりものんびりと話しながら晩餐を楽しんだ。そこまではよかった。
部屋の扉を開くなり、フィーナディアとアルマは固まった。先ほどまで一緒にいた騎士たちはもう場を辞していて――カランズがいなければ相変わらずこんなものだ――今は二人きりだった。
そもそもお茶会でラグルが命じていたのだから、部屋の暖炉には火がついていて、誰かが火の番をしているはずだ。ところがアルマが扉を開けると二人を迎えたのは肌を刺すような寒さだった。
背中で扉が閉まる音を受け、「お嬢様はここに」とアルマの緊張した声にうなずき、奥にある寝室をアルマがおそるおそる確認しに行った――すぐに何かが閉まる音がして、それからしばらくすると真っ青な顔をしたアルマが足早にフィーナディアの元へと戻ってきた。
「窓が開いていたのです!」
とりあえず不審者はいないようだ。フィーナディアはいつもそうしているように部屋の鍵を閉めた。
「暖炉の火もすっかり消えているわ……点けた様子もないわね」
はぁと吐いた息は白い。フィーナディアも寝室を見に行くと、雪が吹き込んだのか窓際の絨毯の上が薄っすらと白く染まっている。
「お嬢様……これは陛下に報告した方が……」
「……」
ラグルと親しくなって思ったのだが、彼は侍女や騎士の職務放棄を知らないようだった。知っていて、フィーナディアに親しく接しているとは思えない。思いたくないかもしれないが……そういう人ではないと、フィーナディアは信じていた。
逆にフィーナディアがラグルと親しくなったことで、エリーディアから来た令嬢によくない感情を抱いている人間がエスカレートしたようだ。実際、フィーナディアが知らなかっただけでこの頃は部屋を空けて戻ってくるとちょっとした小物の位置が変わっていたり部屋が汚されていたりしたのだとアルマが申し訳なさそうに告げた。フィーナディアが知れば気にするかもと思って黙っていてくれたらしい。
確かにラグルに相談するべきだろう――が、そもそも最初の侍女や騎士だってラグルがつけてくれた人間なのにそれを非難するのは彼への非難にならないだろうか? 選んだのは彼ではないだろうけれど……それでも彼に悪印象を持たれるようなことをしたくない。
どうしてそんな風に思ってしまうのかしら?
フィーナディアは眉を下げた。怒りを露わにするアルマをなだめ、明日会えたらそれとなく伝えると約束して、とりあえず風呂に入ることを告げた。
フィーナディアが温かい湯に浸かっている間、アルマは部屋の中に入ってしまった雪を綺麗に掃除し、ありったけの毛布をベッドに用意してくれた。髪を洗うのはやめ、軽くケアだけしてもらう。ナイトフェアも重ね着して少しでも寒くないようにした。
アルマは最後まで心配そうだった。アルマはフィーナディアの部屋に隣接した小部屋を使っていた。本来なら寝ずの番で夜中でも主の呼び出しに対応するように侍女が待機するための小部屋だが、仮眠用のベッドがきちんとある。
まだそちらの部屋の方が閉め切っていたため暖かいから狭いけれど交換しましょうと提案されたが、アルマはたった一人の侍女で本来なら何人かでやるべき仕事を一人でしている。せめて夜くらいゆっくり休んでほしかったので、大丈夫だと頑なに首を横に振って、冷たい自分の寝室のベッドへともぐりこんだのだった。
本当だったら……
本当だったら、すぐにでもラグルに父の杜撰な計画について打ち明けて、この婚約を解消して、できればエリーディアの当主である父を、主家会議でその座から引きずり降ろしてほしい。その後なら、自分がここにいる必要もなくなる――
実家にいた頃、父や姉に虐げられた時に抱いていたあきらめに似た気持ちがフィーナディアの胸を襲っていた。ここから立ち去れば、もうこの思いも抱かなくて済むだろうか?
脳裏にふと、ラグルの、微笑んだ時に少し細められる虹色の瞳が過った。
でもここから離れたら、もうラグルには会えなくなる――それがどうしてかさみしくて仕方なかった。
***
翌朝も雪は降っていた。外は真っ白で、きっとこのウィアーデの人々は冷たい夜を過ごしたのだろう――本当なら。
ラグルはあくびを噛み殺し、遅い朝食をとってから執務室へと向かっていた。彼は基本的に城内に護衛は付き添わせない。魔法が使えるので、基本的には護衛はいらなかった。それならばもっと別のところに人員を割くべきだ。
城のあちこちではもう仕事がはじまり、文官たちが忙しなく廊下を行き来している。ラグルの姿を見つけると立ち止まって頭を下げるが、またすぐに早足で動き出す。
ふと、曲がり角の向こうから女性のすすり泣くような音が聞こえて、ラグルはいぶかしげに眉をひそめた。音の方がした方をのぞきこむと、男と女が向き合って何か話している。誰かと思えばフィーナディアの叔父のファルトーンと、鼻を赤くして涙をぬぐうフィーナディアの侍女だった。
「どうした?」
嫌な予感がして、ラグルは二人に声をかけた。「陛下」と驚きの声が二人からこぼれる。特に今までラグルに気にも留められず、まさかラグルと姪であるフィーナディアが良好な関係を築いているとは思っても見ないファルトーンは目を丸くした。
「実は……フィーナディアが熱を出したそうなのです」
「熱?」
「医者を呼んで欲しいと頼まれていたのですが……」
まさか城内に勝手に医者を呼ぶわけにはいかない。城内には専属の医者もいるのだ。
「どうして俺に言わない?」
ラグルはアルマにたずねた。ラグルにではなくても、直接医者の所に行けばいいだけの話だ。アルマは泣くばかりで答えようとしなかった。
「とにかくフィーナディアの元へ――途中で誰かに医者を呼びに行かせる。ファルトーンは執務室のローディムに事情を話していそぎの仕事があればフィーナディアの部屋に持ってくるように伝えてくれ」
「わ、わかりました」
泣くアルマをうながして、足早にその場を立ち去る国王をどこか呆然とした面持ちで見送ったファルトーンは、しかしすぐに我に返って言われた通りラグルの執務室へと向かったのだった。
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