5 / 22
5.
しおりを挟む翌日、朝早くにアルマを叔父の屋敷へと向かわせた。手紙を送る手段がないため、直接行くのが一番だと考えたのだ。基本的に部屋と図書館くらいしか行かないので一人でも大丈夫だと説得して。
午前中は部屋で過ごし、午後からは――昼食は昨日の夕食の残りだ――すっかり日課となりつつなる図書館に向かう。昨日と同じ本に追加で何冊か用意していつものように奥まった人けのない席についてそれらを広げた。
「何をしている?」
と、同時に声をかけられフィーナディアは顔を上げた。不機嫌そうな顔をしたラグルがフィーナディアを見下ろしている。
「陛下」
立ち上がろうとしたフィーナディアを手で制して、「一人なのか?」とラグルはつづける。ちょっとまずかったかなと思いながらフィーナディアはうなずいた。
「侍女はどうした?」
「少し用事があって……叔父の屋敷に使いに出しております」
「ファルトーンなら今日も出仕の日のはずだ。わざわざ屋敷に行かせなくても城内ですませればいいだろう?」
「ええ……まあ、そうなのですが……私用なので……」
歯切れ悪くごまかすと、ラグルはあくびを噛み殺した。
「……陛下は今日もこちらで……お昼寝を?」
「……ああ」
「夜、あまりお休みになれないのですか?」
フィーナディアが来た日も休んでいると言われた。どうやらラグルはよく昼寝をするらしい。
「そういうわけではないが――」
今度はラグルが歯切れが悪い。ちらりと懐中時計を確かめ、はぁと息を一つ吐く。
「騎士は? 図書館の前にはいなかったようだが」
「えっ……その、一人で調べものをしたかったので……」
「城内とは言え一人で行動するのは感心しない」
「陛下もお一人ですが……」
「俺はいいんだ――それとも魔法の心得があるのか?」
「いえ――魔力はありますが、魔法はさっぱり」
「それならなおさらだ。次からは騎士だけでもきちんとつれてこい」
「わかりました。申し訳ありません」
ラグルはそのままフィーナディアの向かいの席に座った。きょとんとして見ていると、そのまま顔を伏せてしまう。「何かあったら起こせ」と言って寝息を立てはじめた国王陛下に、護衛の代わりを務めてくれているのだと気づいたのはフィーナディアが目の前の本を三ページほど読み進めた後のことだった。
***
アルマがいなかった日以来、ラグルとはたびたび図書館で会うようになった。その間に叔父のファルトーンに侍女が職務放棄していることは秘密にして、「周りは忙しそうで城内の案内を頼めなくて困っている」とだけ伝えて時間が合うときに案内をしてもらい、騎士に関しては初日以来顔を見せていなかったカランズ――彼はどうやら別の仕事で忙しかったらしい――が顔を出すようになったため、上司である彼がいる時はさすがに騎士も何食わぬ顔でフィーナディアの護衛を務めるようになっていた。根本的な解決はしていないが。
まだ問題はあったが生活が落ち着き、ラグルとも会話をするようになり、妃教育も少しずつ行われるようになったが、まだ父のことを話せていない。図書館はラグルが昼寝をするために来ているので話す時間は彼が眠るまでのごくわずかだし、晩餐は常に誰か控えているので打ち明けにくい。婚約者であるがあくまで政略的なもので、二人きりで親睦を深める時間もなかった。
「いつも何をそんなに熱心に調べているんだ?」
あくびを噛み殺しながらラグルは言った。その顔はいつものように不機嫌そうだが、眠いからなのだとフィーナディアはもう気がついていた。
いつも眠そうで、疲れているのか心配になる。横になれるところで眠った方がいいのでは? と思いそれとなく伝えたことがあったが、問題ないと一蹴されてしまった。
「今は神話の神々の紋章について調べております」
「神話の……? 紋章……?」
「神話の神々は壁画や絵画などで必ず体のどこかに紋章が描かれているのですが、神々によって形が違うのです。紋章は神々の力の源と言われているのですがわたしはその紋章に使われている図形の一つ一つの意味を調べているのです。たとえばこの――」
フィーナディアは目の前に広げられていた一冊の本をパラパラとめくるとラグルの前に突き出した。ニーアライヒ地方の遺跡にある壁画が挿絵付きで解説されている。
「この図は火の神の紋章ですが、火の神はどの資料や遺跡でも大きな翼を持った姿で描かれているので、紋章のこの部分は翼のように見えるでしょう? つまり、これは火の神自身を表していると考えられます。それからここの円も、ニーアライヒのいくつかの遺跡にある火の神の像に共通している首の装飾品と似ています。それを省いた残りの部分がこの神が司っている火を表しているのではないかと――」
ぱちりと、虹色と目が合った。
「あ――も、申し訳ありません……わたくし、その……」
つい熱心に解説してしまった。顔が熱くなるのを感じ、フィーナディアはうつむいた。そのつむじにふと、笑い声が降ってくる。
「かまわない。随分と楽しそうに話すのだな」
「お恥ずかしい限りです……その、幼い頃よく神々の出てくる物語を読み聞かせしてもらって興味を持ち、独学ですが神話について色々と調べているのです」
「他に楽しみもなかったもので」と無意識にこぼしたひと言にラグルが怪訝そうな顔をしたことにフィーナディアは気がつかなかった。
「俺はそういう打ち込めることがないのでうらやましい限りだ」
「そうなのですか?」
「主家の跡取りなどその教育で手一杯だろう。俺は王位を継ぐ可能性が高かったからその教育もあったし……それにこの体質だからな」
それはよく眠ることだろうか?
「……熱心に打ち込むようなことではなくても、ささいなことでも、何か好きで気がまぎれることがあると励みになりますわ、陛下」
少なくとも、フィーナディアはそうだった。
「……そうだな」
さみしげに微笑む彼女を見て、ラグルはそっとうなずいた。
「俺のことはラグルと呼べばいい。しゃべり方も――そう気にするな」
「えっ?」
「今度時間がある時に、その神話談義を聞かせてくれ、フィーナディア」
「おやすみ」と言ってラグルはまた机に顔を伏せ、すぐに寝息が聞こえてきた。その時見せた微笑みに、フィーナディアは胸の奥に何か温かいものがぽつんと落とされた、そんな気がした。
***
「まあ」
部屋に届けられた雫草の花束と手紙にアルマが声をあげた。
「どうかしたの?」
「陛下からお嬢様にです」
「雫草だわ。この時期にも咲くのだったかしら?」
外は雪景色だ。トゥーランの冬は長い。花を活けるようにアルマに言ってフィーナディアは暖炉の前に置かれた肘掛け椅子にゆったりと腰を下ろし、手紙を開けた。そういえば、ラグルの字を見るのははじめてな気がする――カッチリとした印象で、書き順の最後で少し跳ねる癖があった。
「明後日時間があるから、温室でお茶をしないかって」
アルマは目を丸くした。手紙の内容にもだが、それにフィーナディアが嬉しそうに微笑んでいたからだ。この頃、フィーナディアは図書館の奥までアルマを伴わない。騎士がいる日はアルマは部屋で待機するし――仕事もあるのでかまわなかったが――騎士がいない日は一緒に行くが、図書館内では別行動だ。
フィーナディアが図書館でよくラグルに会っていることは聞いていた。とは言っても、ラグルは昼寝をしに来ているとフィーナディアが言っていたのでまさか交流を深めているとは思ってもいなかった。フィーナディアのこの婚約に対する思い、というよりもラグルの方がエリーディアの令嬢であるフィーナディアに悪感情を抱いているのではと思っていたからだ。
まさかフィーナディアが自分の趣味についてラグルに熱く語り、ラグルがそれでフィーナディアに興味を持ったことを忠実な侍女は知らなかった。
「それなら明日はお茶会用のドレスを選びましょう」
驚いたことなどなかったかのように笑顔でアルマは言った。持ってきたドレスは少なかったが、叔父夫妻がプレゼントしてくれたのでそれなりに衣装は整っている。
「そうはり切らなくていいわ。きっと昼寝のついでよ」
苦笑いしながらもはずんだ声音は、フィーナディアの心情を雄弁に語っていた。
0
お気に入りに追加
326
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます
おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。
if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります)
※こちらの作品カクヨムにも掲載します
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます
宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。
さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。
中世ヨーロッパ風異世界転生。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
何もできない王妃と言うのなら、出て行くことにします
天宮有
恋愛
国王ドスラは、王妃の私エルノアの魔法により国が守られていると信じていなかった。
側妃の発言を聞き「何もできない王妃」と言い出すようになり、私は城の人達から蔑まれてしまう。
それなら国から出て行くことにして――その後ドスラは、後悔するようになっていた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
雪解けの白い結婚 〜触れることもないし触れないでほしい……からの純愛!?〜
川奈あさ
恋愛
セレンは前世で夫と友人から酷い裏切りを受けたレスられ・不倫サレ妻だった。
前世の深い傷は、転生先の心にも残ったまま。
恋人も友人も一人もいないけれど、大好きな魔法具の開発をしながらそれなりに楽しい仕事人生を送っていたセレンは、祖父のために結婚相手を探すことになる。
だけど凍り付いた表情は、舞踏会で恐れられるだけで……。
そんな時に出会った壁の花仲間かつ高嶺の花でもあるレインに契約結婚を持ちかけられる。
「私は貴女に触れることもないし、私にも触れないでほしい」
レインの条件はひとつ、触らないこと、触ることを求めないこと。
実はレインは女性に触れられると、身体にひどいアレルギー症状が出てしまうのだった。
女性アレルギーのスノープリンス侯爵 × 誰かを愛することが怖いブリザード令嬢。
過去に深い傷を抱えて、人を愛することが怖い。
二人がゆっくり夫婦になっていくお話です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる