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しおりを挟む自由に本が読めるってすばらしい。
トゥーランに来て一週間ほどたとうとしていたが、フィーナディアはしみじみとそう思っていた。エリーディアにいた頃と違ってトゥーランでは好きな本を好きなだけ読むことができるので、フィーナディアの趣味である神話研究もはかどった。
もっとも、はかどっている理由は何も自由に本を読めるからだけではなかったが……最初の日、晩餐で国王陛下と会えるはずだったのだが部屋から出て行ったきり侍女が戻ってくることはなく、当然晩餐の場所も時間も知らないフィーナディアは仕方なく部屋にいるしかなかったのだ。
後からアルマに城内を探ってきてもらい、ついでにアルマは食事を多めにもらってフィーナディアとわけあったので空腹で過ごすことはなかったが、案の定、城内ではフィーナディアが晩餐をすっぽかしたことになっていたらしい。
そしてあれ以来、フィーナディアの部屋には誰も訪れていなかった。叔父からは手紙くらい来ているかもしれないが、それを届ける人間がいない。叔父に会いに行きたかったが仕事場の位置がわからないし、もちろん先ぶれの手紙だって出せない。
妃教育もまだはじまらないので、今、フィーナディアにできることは部屋で大人しくしていることと――おかげで神話研究がはかどるのだが――アルマに仕事のついでに城内の様子を探ってきてもらうことだけだった。アルマはうまい具合にフィーナディアのために図書館の位置を調べてきてくれたので、それ以来こっそりと部屋を抜け出してフィーナディアは趣味のために図書館に通うようになった。
アルマと似たような格好をしていれば、まさかフィーナディアが悪名高いエリーディアからやってきた令嬢だとは思われなかった。ついでに叔父と出くわさないだろうか……そんな期待もあったが、図書館はあまり人けがない。
「トゥーランは神話についての本も多くて助かるわ」
分厚い本を丁寧にめくりながらフィーナディアは楽しそうに言った。彼女は今、取り組んでいる研究がある。いつもは神話を多方面から調べ、新しい発見をちょっとした論文にまとめるくらいだったが、今回は実践的だ。完成すればきっと役に立つだろう。
「神話の神々の力の源とされる紋章は、やっぱりいくつかの意味を持った形を組み合わせて作られているみたい。たとえば火の神はどの資料でも巨大な翼を持っていたとされているけれど、火の神の紋章のこの部分は翼みたいでしょう? 残った部分の中に火を表す形があると思うのよね……」
「お嬢様は本当に神話についてお話されている時は楽しそうですね」
フィーナディアの付き添いできたが、アルマも推理小説を読んでいた。図書館は幸い、城で働く人間なら下働きでも使用できた。
「そうね、楽しいわ。神話っておとぎ話のようなもののはずなのに、この国は神話に基づいた風習が多いからとても興味深いもの」
八つの主家はそれぞれ四方の重要な土地を守る旗手と呼ばれる臣下を持つが、それも神話をもとにしているとされていた。神話では神々の王が住まう王宮を中心に、四方に四柱の高位の神々が住む館があるのだ。その四柱の神々は神々の王が住まう王宮を守護する役目を担っているという。
「今は紋章について調べているのだけれど――」
フィーナディアが神々の紋章について熱く語りはじめるのを遮るように、バサッと何かが落ちるような音がした。二人は口をピタリと閉じて顔を見合わせた。今いる場所は図書館の奥の更に奥、司書も寄ってこないような空間だ。
誰かいるのだろうか……? 事情があるとはいえ、フィーナディアは勝手に城を歩き回っているのだ。下手な相手に見つかると面倒なことになりそうだった。
「様子を見てまいりましょうか?」
「いいえ、一緒に行きましょう。何かあったらわたしがアルマをかばえるもの」
読んでいた本にしおりをはさみ、フィーナディアは立ち上がった。アルマと肩を寄せ合い、できるだけ静かに物音がした方に進む。本棚の角を曲がると縦長の窓からぼんやりと日が差し、床の上に幾筋かの線を描いていた。そこにある、少し古ぼけた長椅子にも。
椅子の傍に分厚い本が落ちている――その音だったのだろう。そして長椅子の上には男が一人横になって眠っていた。黒髪の、背が高い男だった。寝顔からでも十分に彼の顔立ちが整っているのがよくわかる。
アルマを手で制して、フィーナディアは自ら男の傍に近づき、落ちている本を手に取った。土地と気候に関することがまとめられた専門書のようだった。図書館は清潔だったが何となく無意識に閉じた本の表紙を手ではらい、そっと胸に抱える。本を読みながら眠ってしまったのだろうか?
「あの……」
静かだがはっきりとした声でフィーナディアは男に声をかけた。眉間にしわが寄り、まぶたが震えるように動く。ゆっくりと開かれた瞳の色を、フィーナディアは知っている。
その美しい、虹色の瞳――
魔力は瞳に現れるとよく言われるが、このトゥーランでは特にその傾向が強い。魔力の高い者ほど、より濃く鮮やかな色の瞳をしているという。そして特に魔力が高い者は、稀有な虹色の瞳を持っていた――とは言っても、さかのぼればこのフォルトマジアを建国した初代国王以来、虹色の瞳は現れていないはずだ。
現国王のラグルは生まれながらにしてその稀有な瞳の色で有名だった。そして彼はその魔力に見合った魔法の実力を持っている――魔力の有無と魔法の才能は別物だが、彼はどちらも同じくらい優れていた。
「こんなところで眠っていては、風邪を引いてしまいますよ」
図書館の中は十分暖かいが、一応フィーナディアはそう声をかけた。
「お前は……」
ゆっくりと起き上がり、睨むようにフィーナディアとその後ろに控えるアルマを見てからかすれた声で男は言った。
「エリーディアの令嬢か」
フンと鼻で笑われたが、気にせずフィーナディアは最上級の礼をした。
「エリーディアのフィーナディアと申します、ラグル陛下」
「こんなところで何をしている?」
「本を読んでおりましたら、物音が聞こえたので様子を見にまいりました」
持っていた本を渡せば、彼は黙ってそれを受け取った。
「晩餐は来ないのに本を読む暇はあるのだな」
「その節は申し訳ありませんでした……少し――体調がすぐれなかったのです」
「……ならば次からはそのように誰かに言付けしろ」
「はい、陛下」
用意された侍女たちが仕事を放棄し、誰も晩餐の場所も時間も伝えに来なかったのだと言うべきだったかもしれないが、やっと会えた婚約者がエリーディアにいい印象を抱いていないのは間違いないし、その上で彼側の人間を悪く言ってもどうにもならないだろう。
それよりも早く父のことを訴えて、ここを出て、好きなことをして暮らしたかった。このトゥーランでさえ実家にいた時よりも趣味がはかどるのだから、知の都と言われるアーケアの首都、エーゲルシュタットはどれほどなのだろうか。
「今後は何かあればこちらにいるわたくしの侍女、アルマに言付けさせます」
とはいえ、この城で用意された侍女や他の使用人たちに言付けを頼んでもろくなことにならなそうなので、フィーナディアは無難にアルマを紹介した。また明日にでもアルマには叔父の屋敷に行ってもらって、叔父に城内の案内をしてもらえるように伝えよう……一日くらい一人でも、大丈夫だろう。
ラグルがうなずいたのを見て、フィーナディアは「失礼します」とアルマを連れて元いた席に戻って行った。が、もう作業をつづける気持ちにはなれず、本を片付けて部屋へ帰ることにしたのだった。
***
「なぜエリーディアのフィーナディアが訪れた最初の日、彼女が体調不良で晩餐には出られないと報告しなかったのだ?」
執務室に呼び出した数人の侍女を前に、ラグルは淡々とたずねた。
「も、申し訳ございません、陛下。実はローディム様やカランズ様がお部屋から退出された後、わたくしどもも退出を命じられまして……」
神妙な顔で一番年上の侍女が言った。
「エリーディアから連れてきた侍女だけで十分だとおっしゃって……主家のご令嬢の言葉に逆らうことはできず、陛下方にもご迷惑をおかけすることになってしまい申し訳ございません」
「……そうか」
ラグルは少し考えるようにして、同じ部屋で黙々と書類に向き合っているローディムをちらりと見た。冷淡な側近は顔を上げもしない。
「お前たちの配置は変えよう。侍女頭に伝えておく。もう下がっていい」
「……失礼いたします」
侍女が扉を開けようとするとちょうどノックと共にカランズが部屋に入ってきた。穏やかな笑顔を浮かべた彼は侍女たちのためにさりげなく扉を押さえ、そのとなりを侍女たちは頬を染めながら退出して行った。
「よくそう誰にでも愛想をふりまけるな」
扉が閉まるなりラグルは言った。
「そういうつもりはないのですが」
「何の用だ?」
「先日の演習の報告書ができたので提出してくるように騎士団長から言われまして」
そう言ってカランズは書類を差し出した。
「やっと落ち着いたので、私もエリーディアのご令嬢の護衛に戻れそうです」
騎士団の演習などが重なり忙しかったため、フィーナディアの護衛は隊に任せ、カランズは今までフィーナディアの近辺に控えることができなかった。隊の騎士に任せて報告は受けていたが、瞳の力を常に使っているわけでもないしまさか彼らが職務放棄しているとは彼も思ってもみなかった。
「ついでに彼女のことをよく観察してくれ。こちらで用意した侍女たちは遠ざけられたらしい」
図書館で会った婚約者の姿を思い浮かべた。金茶の髪が窓から差し込むぼんやりとした日の光を受けてやわらかな光を帯びているようだった。「そんなことをする方にも見えなかったのですが」と考えるようにつぶやくカランズに、ローディムが仕事を促すため息を大げさに吐いた。
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