国王陛下はいつも眠たい

通木遼平

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 ガタンと馬車が揺れる衝撃にフィーナディアは目を覚ました。何事もなかったかのように馬車は走りつづけ、ぼんやりする頭でちょっと眉をひそめながらフィーナディアは小さな窓のきっちりと閉められたカーテンを開け外の様子をうかがった。
 空は少し明るくなった気がする。夜明けが近いのだろうか? 昨晩見たよりも道がひらけているのもなんとなくわかった。フィーナディアの目の前の席には彼女の侍女であるアルマが横になってスヤスヤと寝息を立てていた。

 故郷エリーディアを旅立ち、いくつかの宿に泊まり、馬車も乗り継いで目的地に近づいている。途中、悪天候のため崖崩れで道がふさがってしまったところがあり迂回したために予定のよりも行程は遅れていた。最後に立ち寄った宿場では、もう到着が遅い時間だったため御者が泊まるのは不可能だと二人を馬車に押し込め、自分は代わりの御者を雇って交代し、夜通し馬車を走らせたのだ。
 夜更けに変わった新しい御者は元気なのだろう。中の二人はずっと狭い馬車に押し込められ、もうすっかり疲れていた。特にアルマは――迷惑をかけてしまっていると、フィーナディアは眉を下げた。

 また馬車が大きく揺れる。絶対にわざとだ……フィーナディアは眉をひそめ、ずりさがっていた毛布を引き上げた。最後の宿場はもう目的地であるトゥーランに入っていたと思う。こんな見ず知らずの人にまで歓迎されていないなんて――ため息くらいつきたくなる。

 フィーナディアは侍女のアルマと共に今は王都でもあるトゥーランの都、ウィアーデに向かっていた。この国の王であるトゥーランのラグルの婚約者として、トゥーラン城で一年の婚約期間を過ごすためだ。が、この婚約を祝福している人間はきっとこの国に誰もいない。フィーナディアも含めて、だ。





***   ***





 かつて初代国王によって八つの国々が一つにまとまって建国されたフォルトマジア王国は、八つの国々の王家を主家と呼び、持ち回りで王位を継いでいた。
 初代から――トゥーラン、アーケア、デュアエル、シュタイア、ケルライン、ニーアーライヒ、エリーディア、セチュアと王位が引き継がれ、今は再びトゥーランの当主が国王として国をまとめている。
 フィーナディアがエリーディアの娘として生まれた時、彼女の祖父がこの国の王だった。つまり彼女は王女だったわけだが、祖父の次はセチュアに王位が移ることは決定事項だったので祖父母や母、家庭教師はフィーナディアに王女としての教育はせず、あくまで淑女としての教育を施し、フィーナディア自身も王女としての意識は全くなく育った。

 エリーディア以外の主家も同じ立場であれば子どもの教育方針は同じだっただろう。逆に、次の世代で王位が回ってくる場合はそれにふさわしい教育をする。それがこの国の当たり前だった。



 ところがそう考えない人間もいた――現エリーディアの当主である、フィーナディアの父がそうだった。





「お前にはトゥーランのラグルの元に嫁いでもらう」

 父、ファラグレスの執務室に呼ばれるなり告げられた言葉に、フィーナディアはその薄灰色の瞳を大きく見開いた。

「国王陛下の元に……? な、なぜわたくしが?」
「あれは国王などではない!!」

 怒りに任せて拳で机を叩き、怒鳴り声をあげた父にフィーナディアは体を強ばらせた。眉間にしわをよせなかっただけ我慢できたと思う。「あれは簒奪者だ!!」とつばを飛ばしながらつづける父に、フィーナディアは失言だったと内省した。もっとも、事実を言っただけなのだが。

 フィーナディアの祖父はこの国の先々代の国王だ。つまり父は王の息子――しかも長男だった。生まれた時こそ王子だった父は、家族や教育係の教えもむなしく、王の嫡男である自分こそが王位を継ぐのにふさわしい人間だと幼い頃から考え、今もその考えを少しも改めていない。おかげで他の主家から白い目で見られているというのに。
 常識的なフィーナディアは成長してからは父をさりげなくいさめるようになっていたのだが、この頃は父が受け入れていない現実について少しでも口にすれば怒鳴られ、ひどい時は殴られるのであきらめていたのだ。しかし今日は突然のことに驚いてうっかりしていた。

 フィーナディアは押し黙って父の激昂が収まるのを待った。ひとしきり怒鳴った後、イライラと机を叩きながら父、ファラグレスはつづけた。

「お前は姉と違ってできそこないだができそこないなりに役に立ってもらう。ラグルに嫁ぎ、嫁いだ後どんな手を使ってでもあの男を陥れ、王妃として本来王位を継ぐべき者に王位を戻すことを宣言するのだ」

 つまり父を王に指名しろと……しかし、この国の王位は八つの主家の当主が集まって開かれる主家会議で全員の賛成を得ることではじめて認められるものだ。たとえ王妃でも勝手なことはできない――が、それを父に指摘したところで父は聞き入れないだろう。

「……婚約はもう成立しているのですか?」
「当然だろう。すぐに支度をし、出発しろ。馬車は一台用意してやる。侍女も一人だけなら連れて行っていい」
「わかりました」

 トゥーランの都までの通行手形と婚約証明書の控えを受け取ると頭を下げ、フィーナディアは父の執務室を後にした。侍女は連れていきたいと思えるのは一人だけだからいいが、馬車が一台とは……旅行程度の荷物しか持っていけないだろう。もっとも、フィーナディアの持ち物はあまり多くはないが。

「あら、どうしたの? 浮かない顔ねフィーナディア」

 クスクスと笑う声が聞こえて振り返ると、姉のフィーアルテがフィーナディアにかわいそうなものを見るような視線を向けながら立っていた。

「結婚が決まったのに」
「お姉様……」
「しっかりと務めを果たすのよ? 役に立ったらわたしが女王になった時にメイドとして雇ってあげるわ」

 フィーナディアと同じ教育を受けたはずのフィーアルテはなぜか父の影響をもろに受け、父と同じ思考をしていた。つまり王位は本来父の物で、その長子である――エリーディアは女性の当主を認めている――自分は次期女王なのだと。
 そして姉は父と同じように使用人も民もフィーナディアたち他の家族も、更には他の七つの主家でさえ見下していた。父のように怒鳴ることはなかったがことあるごとにフィーナディアに嫌がらせをし、使用人につらく当たる姉のことがフィーナディアは嫌いだった。父のことも嫌いだが。

 誰がメイドなんかに……内心で悪態をつき、「したくをしなければいけないので」と姉をかわして少し歩調を速めて部屋に戻るとしっかりと鍵をしめた。関わらないに限る。

 フィーナディアの私室はエリーディアの城の中でも北側の、一日中日の当たらない場所にある。応接室と寝室の二間つづきの部屋の中は最低限の家具しかない。ついでにドレスもあまりない。

「お嬢様」

 部屋で待機していた侍女のアルマが鍵を閉める音でかけよってきた。フィーナディアはやっと息を吐いた。

「どうされたのですか? 旦那様からのお話は?」
「国王陛下のところに嫁に行けって」
「は?」

 ぽかんとするアルマに父から聞いた話を全て伝えるとアルマはあきれたような困惑したような顔をした。

「どうして婚約の許可が出たのでしょう……?」

 エリーディアの当主である父があんな思考なので、当然エリーディアは他の主家から白い目で見られている。その上、父は暴君で、エリーディアの統治もまともに行わないためエリーディアの民からも評判は良くないのだ。そんな父の娘である自分を婚約者として認めるなんて、他の主家は何を考えているのだろう?

「娘のわたしが何か失態をすれば、それを理由に父をエリーディアの当主から引きずり下ろせると考えているのかもしれないわ」
「お嬢様は旦那様とは違います。フィーアルテ様ならともかく……」
「この城の中でめったなことを言うものじゃないわ。ただでさえアルマはわたしの侍女というだけでお姉様からいじめられているのに……。それに、わたしのことなんて他の主家の方々は知らないんだから、そう考えても仕方ないわよ」
「ですが……」
「とにかく、トゥーランに行くしたくをすぐにして、出発しないと。父は馬車を用意するって言っていたけれど、いつ気が変わるかわからないし」
「わたくしは心配です……」
「大丈夫よ。何にせよ、ここから出られるならラッキーだわ。あの二人に関わるのももうごめんだもの。アルマは、ついてきてくれる?」
「もちろんです!」
「他の使用人も心配よね……エリーディアのことも」

 父に代わってフィーナディアが密かに叔母や叔父と連絡を取り合い、なんとかエリーディアは統治されているのだ。父や姉の横暴に傷ついた使用人のフォローもフィーナディアがしていた。

「叔父様や叔母様に手紙を書いておきましょう。ある程度したくがすんだら、後はわたしがやるから手紙を出してきてくれる?」
「はい」

 早速、フィーナディアは机に向かって二通の手紙をしたため、その間にアルマが少ない荷物をまとめた。アルマの荷物と合わせても、充分一台の馬車に乗る量だ。アルマが手紙を出してくるとすぐにその荷物を出し、馬車に乗って出発する。
 見送りは当然なかったが、別に気にならなかった。それよりもこれからの不安と、父や姉から離れられる安堵で複雑な心境に、フィーナディアは大きくため息をついたのだった。


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