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第二章 妃選び

37.来客

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 澄んだ青い空を、薄い雲が膜を張るように覆っていた。

 名も無き王都の第三区――中枢区で働く者たちの邸宅が並ぶ閑静な住宅街にある落ち着いた雰囲気の建物がドゥーイの邸宅だった。以前は仕事を引退したドワーフが妻と余生をのんびりと過ごしていたらしく、敷地内の至るところに職人として活躍していた彼の手を見ることができた。
 庭にある東屋もその一つで、柱や屋根にほどこされた植物の彫刻は、まるで本物をそのまま石として固めたような精巧さだ。二階にある書斎の窓から、ちょうど窓の外にできているクモの巣越しにその東屋で使用人の用意したお茶を片手に読書をする妻の後ろ姿を確認し、ドゥーイ卿は書斎の厚いカーテンを閉めた。



 ドゥーイは人間の国で生まれた精霊だ。



 元々は古いかめで、ある時彼の持ち主がそれに小金を貯めていたところ商売がうまく行くようになり、その話に尾ひれがついて金運に恵まれるという噂のある甕となった。持ち主を転々とし、やがてベライドのとある伯爵領に流れ着いたのだが、そこでもやはり人間の持ち主はその甕にまつわる噂を信じていた。

 その地に留まって数十年、かめだった彼は時代と共に魔力を蓄えており精霊となったが、実際のところ精霊になる前もなった後も彼に金を呼び込むような力はなかった。今までの持ち主はたまたま運がよかっただけだ。しかし多くの商売人の手に渡った彼はそこから商売に関する様々な知識を手に入れていた。
 そして精霊として自我が芽生えた彼は、他の人間の国で生まれた精霊や妖精のように姿こそ人間には見えなかったが、持ち主である人間の心に呼びかけその知識が活かせるように仕向け、彼と持ち主の元には大金が転がり込むようになっていった。

 その後、運よく人間に姿が見えるようになる指輪を手に入れると彼は見た目が人間と変わらないのをいいことに、人間のフリをして自ら商売をはじめるようになった。ベライドや商業国として有名なトロストで商売を成功させた彼はやがて金だけでは満足できないようになり、権力を欲するようになっていった。
 貴族制度のある人間の国ではいくら金を持っていても平民の扱いである彼に貴族たちは身分を笠に着て見下した態度を取る。彼の金を不当に奪っていこうとする者さえいた。だからこそ、彼は権力が欲しかった。しかし人間の国に戸籍のない――しかも人間ですらない彼にそれは難しい。そこで彼は魔族の国であるザルガンドに移住を決めたのだった。

 最初、彼はザルガンドの地方の一商人としてはじめた。そこからとある商会を営む夫婦に気に入られ、その娘と結婚をした。それから王都に商売の手を広げるために移住し、商売の傍らその金勘定のうまさを武器にかれは中枢区の財務部へと就職をしたのだった。
 それは彼の権力を手にするための第一歩だった。財務部で彼はすぐに頭角を現した。ここでは何より実力が貴ばれる。新参者とバカにするヤツらはいたが、実力を見せれば黙ったし、少なくとも彼の金を不当に奪うようなヤツはいなかった。それだけでも人間の国とは大違いだ。

 しかし、彼はザルガンドでの権力に限界があることに気がついた。

 ここで出世しても、行きつく先は財務部の長。それ以上は望めない――財務部はあくまでこの国を動かしている宰相府の枝に過ぎない。宰相府のトップを目指したとしても、この国の宰相をその座から下ろすことは不可能だ。

 そう、この国は国王と宰相という絶対的存在がいる――もちろん彼らはドゥーイの金を不当に奪おうとした人間の貴族とは違うのだが、ドゥーイにはもうそういう考えはできなかった。身分差がないと言われるザルガンドで財務部のトップになっても、その上には宰相や国王がいる。彼らだけがこの国のあらゆる魔族とその魔族の長たちよりも上に立てる存在なのだ。彼らがいる限り、自分はいつまでも上に立つことはできない……。



 今はその状況を打破する、まさに好機だった。絶対的権力者である宰相は不在で、国王は十年前に死んだ愛娘の喪に服すためと言って引きこもっている。この好機にある助言を受けてドゥーイが目をつけたのは、宰相や国王と同じくらいの権力を持つ存在――現在は空位になっている、この国の王妃の座だった。そこに自分の息がかかった者を置けば、自身が権力を得たのと同様になるのでは? と。

 そして各国から妃候補を集め、その補佐になるように自身の娘も送り込み、妃選びをはじめたのだ。

「なるほど……」

 書斎の椅子に座ったドゥーイはイライラと机を叩いた。薄暗い部屋の中で、客である男がぼそりとつぶやいた。

 男はベライドの貴族で、ドゥーイの商売仲間の一人だった。ザルガンドはアルディモア以外の人間の国と国交を開いていないが、人間が足を踏み込めないわけではない。もっとも、暗闇の森を抜けてザルガンドに入国するにはザルガンドの魔族の案内が必要だった。案内無しに森に踏み込んでも、そこにはられた結界のせいで中に進むことができないのだ。
 彼は商売のためにベライドに常駐しているドゥーイの手下の精霊がその案内役にして、時折こうしてドゥーイの元を直接訪れる。年頃の娘がいるようには見えないほど若く、黙っていればやさしげな風貌を持つ男だったが、その口元はいやらしく歪んでいた。

 ドゥーイは気心がしれた男に妃選びの愚痴をこぼしていた。妃選びをはじめる際に彼が送り込んだ候補者に対抗するように軍部から候補者が送り込まれたり、よくわからない妖精の娘が立候補してきたりしたが大した問題には思っていなかった。ところが王からの信頼厚い秘書官が使用人の女を候補者に推薦し、王がその娘を気に入っていると知ってからドゥーイは焦りを覚えていた。一部ではその娘は王の最愛の生まれ変わりなのでは? という噂も立っていたが、そんなことはどうでもいい。そもそも生まれ変わりなどドゥーイは信じていなかった。

 とにかく最終的にドゥーイの候補者が選ばれなくてはいけないのだ。イシルマリの王女でもトロストの公爵令嬢でも誰でも構わないが、できればベライドのローズ王女を選んでもらわなければならない。

「だが、王がその下働きの娘を気に入っているのは単純に見た目が好みだったからかもしれないだろう? お前も候補者を増やしたらどうだ? その娘と似た容姿でちゃんとした身分の娘を用意してやればいい」

 男は言った。

「簡単に増やせるものか」
「一人辞退したんだろう? その穴埋めだということにすればどうだ? その娘の容姿は?」
「金髪で、瞳は紫だ。顔立ちは愛らしいがなんの種族かもわからん」
「俺の娘も金髪だ」

 ドゥーイは眉をひそめた。男の目的がすぐにわかった。

「親の俺が言うのもなんだが、顔立ちも愛らしい。魔王だって使用人より貴族の娘の方を選ぶと思わないか?」

 王が候補者の身分を気にするとは思えなかったが、金髪だが美しい顔立ちのイシルマリの王女が見向きもされない様子を考えればあの使用人の娘と同じタイプ――同じ金髪でも美しい顔立ちではなく愛らしい顔立ちの候補者を自分の手ゴマとして用意するのはいいことのように思えた。もちろんある程度はダメで元々だと割り切っておけばいい。

「……ベライドの王家にはなんと説明するつもりだ? ただの伯爵家が他国の王家と繋がろうとするなどと……」
「うちの国王陛下にはローズ王女の手助けのため、とでも言っておけばいい」
「肝心のローズ王女は怒りそうだがな」
「それはうまくなだめてくれよ。なあ、いいだろう? 俺だっておこぼれにあずかりたいんだ。このザルガンドは珍しいものの宝庫だし、商品も多いからな」
「そんなことだろうと思ったが、これ以上は勝手な仕入れは許さんぞ。今だって少し騒ぎになっているのだから」
「わかっている。もちろん」

 にやにやと笑う男が本当にわかっているのかは疑問だった。この男はドゥーイ以上に儲けになると思えば何でもする性格だ。今まで何の問題も起きなかったのが不思議なほどに――しかし、ザルガンド内で問題を起こされるとドゥーイの立場も危うくなる。勝手なことをされないよう目を光らせておかなければならない。

「それにはじめに妃選びでベライド王家に話をつけたのは俺なんだ。一枚かませてくれてもいいだろう?」
「……いいだろう。お前の娘を候補者としよう。私からもベライド国王に手紙を出す。だがこちらとしてはあくまで第一候補はローズ王女だ。それだけは忘れるなよ」





***





 休暇を終えて王宮に戻ったミモザは、また変わらない日々を送りはじめた。と言っても、全て同じというわけではなく少し変わったこともある。まずティンクやアンナベルとはますます親しくなった。特にアンナベルが使用人寮に遊びに来る頻度が増え、休みの日は三人で買い物に行ったり使用人寮の調理場でジャムやお菓子を作ってちょっとしたお茶会を開いたりするので、使用人たちもアンナベルに大して好意的だ。
 三人の調理場でのお茶会をきっかけにジャムやお菓子を作ることは使用人寮で暮らす使用人たちでちょっとした流行りになっている。大工仕事を主に請け負う部署の担当者数人で食堂に新しい棚を作り、そこは使用人たちが作ったジャムやお菓子を「ご自由にどうぞ」の札と共に置く場所となった。

 それから“白い庭”に行く頻度が増えた。友人たちと王宮の調理場の外で一緒に昼食を取る回数が減り――その分お茶会をするようになったのだが――代わりにミモザはお弁当と飲み物を持って“白い庭”へ行き、ガーディアと食事をしながら色々なことを話すようになっていた。
 それは主にミモザのことだったり、ガーディアのこの百二十年ほどのことだったりした。時にお互いのことをよく知るためにたくさんのことを話し、時には話さずにただのんびりと“白い庭”でのひと時を過ごすこともあった。





「新しいお妃候補?」

 薄い雲が空を覆っていると、それだけでもう寒さを感じる季節だった。その日、“白い庭”で一緒に昼食をとっている時、思い出したようにガーディアは妃候補が増えると言った。バスケットの中からトマトの入ったサンドイッチを選びながらミモザは行儀悪く指についたマスタードソースをなめるガーディアを見た。

「あの妖精の娘が辞退したから、ドゥーイがどこかから候補者を新しく呼んだらしい。俺の選択肢を減らさないためとか言っていたが」

 ガーディアは鼻で笑った。彼にとって選択肢が減ろうが増えようがどうでもいいことだった。

「また人間の候補者?」

 ドゥーイが選ぶならその可能性は高いだろう。ザルガンドに隣接している人間の国はアルディモア、イシルマリ、ベライドの三国だけだがアルディモアとベライドの間などにはいくつか小国がある――マリエルの出身地であるトロストもその一つだ――ドゥーイは人間の国でかなり手広く商売をしているらしいので、その辺りから候補者を呼んでもおかしくはないだろう。

「さあな。興味がない」
「……もう少し、他の妃候補にも興味を持ってもいいと思うけど」
「何故?」

 心底興味がない様子のガーディアをミモザは複雑そうに見上げた。

「他の候補者が何か言ってくるなら、俺やシトロンにそう言えばいい」
「……それが理由でもないけれど」

 ガーディアが他の誰かに目を向ける機会をつぶしたくない。でもそれを彼に直接伝えるのは酷だとミモザはわかっていた。何も言えない代わりに持っていたトマトサンドを口いっぱいに頬張って、言葉と一緒にごくりと飲み込んだのだった。


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