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第一章 聖女の髪飾り

9.噂(2)

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 妃候補の茶会でアンナベルの様子がおかしかったことに気がついたのはリリアナだけではなかった。
 ヴァルヴァラはミモザがこの王宮にいることを知ってから彼女の周りを密かに調べ、ミモザとアンナベルが親しいことも当然知っていた。彼女は茶会が終わりリリアナが滞在している部屋に戻るとすぐにリリアナに訴えた。

「アンナベル様は噂の者と親しいようです。何か知っているのかもしれません……アンナベル様と個人的に話す機会を与えていただけませんでしょうか? 亡くなった聖女様のためにも髪飾りの行方を知りたいのです」
「先ほども言いましたが、その噂の使用人の者がいなくなった時と聖女様の髪飾りが無くなった時が同じだからというだけでその者が髪飾りを盗んだという証拠にはなりません」

 ヴァルヴァラは気の弱そうなアンナベルを言いくるめて髪飾りがその噂の者のところにあるか探らせるつもりなのだろう。

「ですが……!」
「万が一、あなたの言うとおりその使用人が髪飾りを持っていたところで本当に盗んだかどうかなどわかりません。どこか別の場所で手に入れた可能性だってあるでしょう。その上、ここは我が国ではなくザルガンド――その王宮で他の国の民を勝手に探り、糾弾するなど許されることではありません」

 ヴァルヴァラはねばった。

「盗んだかどうかは定かではなくとも、もしその者が髪飾りを持っていたら聖女様の遺品を大切にしているアルディモアやこのザルガンドにも恩を売れるでしょう――我が国の損にはならないはずです」

 リリアナは考えた。確かに一理あるかもしれない――この国の王が妃選びの場に姿を見せないのも、亡くなった聖女アルティナの喪に服して閉じこもっているからだという。大切な娘の遺品があるならば、回収したいと思うだろう。

「……いいでしょう」

 リリアナはヴァルヴァラを注意深く見つめながら言った。

「ただし、あなたが動くことは許しません。どうも感情的になりすぎているようですからね……」

 ヴァルヴァラは確かに知識や教養の面では教育係として優れていたが、そうでない部分で自身の教育係を名乗らせたくはないとリリアナは常々思っていた。

「ザルガンドの秘書官の方に話を通し、そこから確認をしてもらいます。もし噂の者が髪飾りを持っていたとしても、ザルガンド側との話し合いなしに動くわけにはいきません。わかりましたね?」

 ヴァルヴァラは「わかりました」とうなずいたが、その目は明らかに不満に染まっていた。大人しくしていてくれればいいのだが……。

 ヴァルヴァラが退室し、別の侍女がリリアナに茶を淹れてくれた。「大丈夫でしょうか?」と心配そうな顔をするその侍女――ジュリアはヴァルヴァラの次にリリアナに長く仕えてくれている女性だった。

「どうでしょうね」

 リリアナはため息をついた。

「早いうちにザルガンドの秘書官の方にお話をする機会を設けてもらって」
「はい、殿下」
「それから、ヴァルヴァラの行動にもよく注意をしておくように」
「我が国の護衛の者に話を通しておきます。わたくしたちより護衛の者の方が、ヴァルヴァラ様の傍に控えていても違和感は少ないでしょうから」
「何かあったらすぐに報告をするように――」
「イシルマリへの連絡はどうされますか?」
「した方がいいでしょう。秘書官の方との話し合いによってはアルディモアにも……聖女様はこの国の出身ではありますが、あくまでかの国の聖女様。もし髪飾りがあった場合を考えれば早めに知らせるよう手筈を整えておくべきでしょう」

 この件でヴァルヴァラの言うとおりアルディモアに恩が売れるならそれに越したことはない。もちろん、大した期待はしていないが。逆に反感を買うわけにもいかなかった。
 イシルマリはアルディモアとは隣国同士で同盟を結んでおり、その関係性は良好だ。しかし実際のところ、アルディモアの方が国土も広く、力もある。関係をこじらせて不利益をこうむるのはイシルマリになる可能性が高い。





***





 はぁと、ミモザは心の中でため息をついた。



 「失礼する」と形ばかりのあいさつをして使用人寮の応接室に入ってきたのはこの国の軍服を着た男だった。この国の軍部は国防以外にも要人の護衛や王都の警邏、種族同士のいさかいの仲裁、罪人の捕縛など様々な部署によって成り立っている。軍服の細かい飾りでそれらを区別できるのだが、数人の部下と共にやって来たのはどうやら罪人の捕縛などを行う憲兵隊と呼ばれる部署の者のようだった。

 何が起きたかミモザとアンナベルが理解する前に軍人たちの後ろからやや困ったような顔をしたパランティアが出てきた。どうやらこの三つ目の使用人頭の元に、先触れもなく軍人たちがミモザに会わせるように言って押しかけて来たらしい。

「この者がミモザです」

 ミモザと軍人たちの間に入るようにしながらパランティアがそう言った。

「もしや先日の使用人寮での盗難の件ですか? それならこちらで解決しましたし、彼女は関係ないのですが……」
「その件については把握しているが、その件ではない」

 軍人は淡々とつづけた。

「聞きたいことがあるのだ。軍部まで同行願おう」



 そして今、ミモザは一緒に来てくれたパランティアと共に軍の本部ではなく中枢区にある軍部の建物にいた。通されたのは小さな部屋で、憲兵隊がよく利用するのだという。四角いテーブルと椅子が数脚部屋の中央にあり、入り口近くの壁際には書き物用の机と椅子もある。窓は小さく、他に家具などもないさみしい部屋だった。

「聞きたいことというのは、アルティナ様の髪飾りの件だ。君はアルティナ様の元にいたとのことだが間違いはないな?」

 ミモザと向かい合って座る軍人の手元には何枚か書類がある。その内の一枚はミモザが使用人の採用試験を受ける前に提出した書類で簡単な経歴と、それを保証するガシェのサインがされているものだった。

「はい。聖女さまが亡くなるまでの五年ほどですが聖女さまにお仕えしました」
「アルティナ様の遺品の中で無くなったものがあり、それを君が持ちだしたのではないかという情報があるのだが何か知っているか?」
「……髪飾りのことですか?」

 考えづらいことだが、あの侍女が軍部に何か言ったのだろうか?

「知っているのか!?」
「はい、わたしが持っているので」

 あっさりとミモザが言ったからか、軍人は目を丸くした。

「盗んだ、という話を聞いているのだがそれについては?」
「盗んではいません。聖女さまが亡くなる前に、わたしに髪飾りをたくしてくださったんです」
「たくした?」
「自分が死んだら、父であるこのザルガンドの国王陛下に届けて欲しいと……」

 ミモザはずっと持ち歩いている髪飾りを取り出した。布に包まれたそれをそっと机の上に置き、布を広げる。髪飾りはいつでも美しく、百年以上前の品物とは思えないほど状態がよかった。

「これが……念のため聞くが、本物か?」
「もちろんです! 聖女さまはこれを母から譲り受けた物だと言っていました。この国の国王陛下が聖女さまのお母さまに贈ったものだと……それで、わたしは聖女さまが亡くなった後、この国に髪飾りを届けようと思っていたんです」
「アルティナ様が亡くなって十年になる」
「はい……その、実は……わたしはアルディモアの出身なんですが、両親を早くに亡くして身寄りがなくて……そういう子どもが聖女さまに仕えることをよく思わない方々がいたんです。聖女さまが亡くなった後、その方たちに髪飾りを奪われそうになって身一つで逃げ出したので、それからここまで来るのに時間がかかってしまって……」
「なるほど……」

 うなずきながらも軍人は困った様子で腕を組んだ。

 憲兵隊はミモザという使用人が「聖女アルティナの髪飾りを盗んだかもしれない」と聞いていた。が、ミモザの言い分は全く違うし彼女が嘘をついているようにも見えなかった。

「あの……こんな時にお願いするのもなんですが、この髪飾りを誰か陛下に直接お会いできる方にお願いしたいんですが……」

 「もちろん、パランティアさんでもいいです」とミモザはパランティアを見上げた。

「しかし……」
「わたしはただの使用人ですし、直接陛下に会えると思ってません。きちんと陛下の手に渡ればそれでいいんです」
「……そのことも含めてこの件の責任者に話を聞いて来よう」

 悩みながら軍人が言った。

「しばらくこの部屋で待っていていただきたい。パランティア殿もかまわないだろうか?」
「ええ、私はかまいませんが」
「何か用があれば部屋の外にいる者に声をかけてくれ」

 部屋を出て行く軍人の背を見送って、ミモザはそっと髪飾りに視線を落とした。





***   






 ミモザが軍部に連行される数時間前――リリアナの侍女ジュリアはリリアナにつけられているザルガンド側の護衛に頼み早急にザルガンド国王の秘書官と会う手はずを整えた。秘書官は妃選びの最初の歓迎会の際にちらりと姿を現したらしいがジュリアは顔を見たことがない。最初に声をかけた護衛の案内で向かった先は王宮のかなり奥で、護衛曰くこれ以上進むと国王のプライベートエリアになるという渡り廊下の手前だった。

 先導していた護衛が目の前の、黒地に金色で抽象的な森の風景が描かれた扉を叩き「失礼します」と声をかけた。中から聞こえてきたのは扉に似合わない、随分と若い声だった。





 応接室も兼ねた執務室は整頓されている。応接セットのある床には毛皮が敷かれ、ジュリアは木々の香りを感じた。奥にある黒色の執務机の左側には別の扉があるので、二間つづきの部屋なのだろう。目の前の大きな窓からは少し傾きはじめた日の光が差し込んでいて、灯りがなければ部屋は薄暗かっただろう。

 執務机に向かっていた青年は立ち上がって扉の方に歩み寄った。見るからに若い――二十代をやっと越えたくらいの容姿だ――が、魔族の実年齢はわからない。濃い金髪は灯りの下でほとんど夕日の色に見え、頭には同じ色の毛皮に包まれた耳があり、大きな尻尾も見えた。
 金色の瞳孔を持った黒い瞳が静かにジュリアと部屋に入ってきた護衛を見つめていた。落ち着かない気分にさせる視線だ。まるで獲物を見定めるかのようだった。

「お座りください」

 見た目と同じく若い声がそう告げ、内心の怯えを覚られぬように侍女はソファに座った。先導してきた護衛は、扉の前で控えている。

「国王陛下の秘書官のシトロンです。イシルマリのリリアナ王女殿下の侍女の方でお間違いないですね?」
「はい。ジュリアと申します。お時間をいただき感謝いたします」
「それで、私に話というのは?」
「閣下は――」

 少し迷ってそう呼びかけたジュリアに「シトロンでかまいません」と秘書官はなんの感情もなく告げた。

「……シトロン様は、使用人の方の噂をご存知ですか? 孤児の方で、盗みを働いたことがあると……」
「まあ……」

 使用人寮で盗難に対する訴えがあったばかりだ。パランティアによって解決しているが、シトロンの耳にもきちんと届いていた。シトロンとしては身寄りのない孤児が生きるためにやむを得ず盗みを働いてしまうことはある程度許容し、そんなことをしなくてもいい環境を整えるのに尽力すべきだと思っていたがそれを口に出すと話が進まないのもわかっていたので口にはしなかった。

「ザルガンド国内で犯罪行為をしたわけではありませんし、噂はあくまで噂です。それが何か?」
「実はわたくしと同じ、リリアナ殿下の侍女の一人に以前アルディモアで聖女アルティナ様に仕えていた者がいるのですが、その者が噂になっている使用人が聖女様の髪飾りを盗んだと言っているのです。
 その者の話ではその噂になっている使用人の方も聖女様に仕えていて、聖女様が亡くなった後に髪飾りを持ち出し行方をくらませたとか……ただ、実際のところはその方がアルディモアを去った時と髪飾りが無くなった時が同じだっただけのようなので、確証はない話なのですが……」

 「それで?」と眉間にしわを寄せながらシトロンはうながした。

「確証のない話を伝え、私にどうしろと?」
「殿下は万が一その使用人の方が髪飾りを持っているのであれば、本来あるべき場所に戻すべきだとお考えです」

 ジュリアは注意深く言葉を選びながら言った。

「聖女様の遺品は、聖女様のご家族やアルディモアが大切になさっているとも聞きます。リリアナ殿下はご自身で真実を確かめることをお望みですが、相手の方はこの国の民。他国の人間が勝手な真似をするべきではないと判断し、こうしてわたくしがシトロン様にお伝えしにきたのです」
「つまり私にその者と話をして髪飾りを持っているかを確認しろと?」
「いえ、シトロン様に限らず誰かふさわしい方に事情を確認していただければ……もちろん、この件で何かお手伝いできることがあれば協力したいと思っております」

 イシルマリとしては髪飾りが出てきてアルディモアに恩を売る方向にもっていきたいのだろう。シトロンは考えるために視線をそらした。

「わかりました」

 シトロンは顔を上げた。その人間にはありえない色の瞳は油断ない光を帯びている。

「私の方でその使用人の者に話を聞くようにしましょう」


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