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 ここから助けは呼べない。もう、それは確実だった。でも、男の容体が気になって、なんとか起き上がれないか、体を動かす。

「う、ぐ――っ!」

 激痛が右肩に走る。間接が外れたのか、それとも、どこか骨が折れたか。男だって腕が折れているのだ、僕も何処かしら折れていてもおかしくない。
 左腕だけはなんとか動かせるので、右肩の触ってみると――肩から胸にかけての位置に、何かが刺さっていることが分かった。鋭くとがった、何か。崖の一部か、それとも植物か。でも、これのせいで、地面に縫いつけられてしまっているのが分かる。

 ――死んだな、これ。

 元より死ぬつもりだったけど、でも、まだ、あと少しだけやりたいことはあった。

 遺書を出さずに、家に置いてきてしまったし、アパートを正式に解約していない。あの店の海鮮丼だって、もう一度食べたかった。最後に食べたのは――ああ、結局、社畜時代と変わらない、栄養バーとコーヒーか。
 最後まで上手くいかないものだ。

「なあ、まだ、生きてるか」

 僕が声をかけると、返事のつもりなのか、小さなうめき声が聞こえてきた。まだ、生きている。

 ――……本当は、こいつと一緒に死ぬつもりは、なかった。

 だって、一緒に死んでくれるとは、思わなかったのだ。
 一人で死ねないだろうから、一緒に死んでやる、なんて言い出したのは僕だったけど。
 こいつのことだ、結局、土壇場になって、「やっぱりやめよう」って、言うと思っていたのだ。そう言ってきたら、僕一人で死ぬつもりだった。

 それなのに、僕を助けてこんな目に会うなんて馬鹿にも程がある。

「――」

 僕は、一つの名前を口にした。――十余年務めた会社を辞めて、運命の番に出会ってしまって、不幸なのか、幸せなのか、よくわからない晩夏を過ごした男の名前。

「最後に、呼んでくれよ」

 そう、思わず言っていた。
 ゆるゆると、男の視線が、こちらを向く。

「っ、――」

 今度は、ちゃんと声だった。うめき声の返事とは違って、ハッキリと、名前を――僕の名前を呼んでくれた。
 もう一度、二度、と、僕の名前を呼んだかと思うと、男は反応しなくなる。

 左手を伸ばしても、男には到底届かない。それでも、開いた瞳に、生気がないことだけは、見えた。
 この男が最期に口にしたのは、僕の名前だ。こいつを置いて死んだ番じゃない。
 ざまあみろ。

「は、はは――」

 笑い声のような吐息が、僕の口から力なくこぼれる。

「なあ――お前の番が、ヒビキが、『運命の番』だったら、お前も幸せだっただろうなあ……」

 そうすれば、いくらこの男でも、死ぬ決心がついただろう。僕と一緒になんか死ななくて、もっと、綺麗に、一生共にいたい番と死んだだろう。

 ――こんな僕と、出会わないで、済んだだろう。

「ごめ、ん、なぁ……」

 瞳から、涙がこぼれる。
 いつだったか。情けない巣を作ったときのように、涙をすくってくれる人間は、もういない。

 僕自身、自分で涙をぬぐう体力も、なかった。

 目を閉じる。どうせなら、意識がなくなる瞬間まで、男を見ていたかったが――どうせ、この男はあの世で、愛しい愛しい番と一緒になるのだ。
 自分で引き際を見極めた方が、身のためだ。
 苦しくて、痛くて、悔しくて――息が詰まる。


 ――ああ、今日が僕の、命日か。
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