意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きなあなたに、おとぎ話が終わっても解けない魔法を

柳葉うら

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第四章

05.スタイナー大佐の取引

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 翌日、夜勤明けのノクターンは一度家に帰り、私服に着替えてからネザーフィールド社を訪れた。
 
「おい、リーゼになにか入れ知恵をしたか?」

 顔を合わせるなり睨みつけてくるノクターンに、エディとジーンは首を傾げて答えをはぐらかす。

「リーゼさんとなにかあったんですか?」
「いや……」
 
 ジーンはのほほんと質問で返す。
 するとノクターンは目を泳がせて言いよどんだ。

「……コホン。営業妨害にならないよう本題に入ろう」
「えー? 別にいいから話の続きをしてよ」

 唇を尖らせて抗議するエディをジーンが小突いて止めたのだが、意外にもノクターンはエディの催促に応じた。
 
「……リーゼが謝ってきた。俺の顔を見ると……う、上手く言えないからと言って、だ、抱きしめながら……」
「おや、まあ。可愛らしい」

 これまでの気迫はどこへ行ったのやら、一転してただたどしく当時の状況を話すノクターンに、ジーンは微笑ましく相槌を打つ。
 リーゼさんのこととなると<冷血のスタイナー大佐>もここまで動揺するのか、と内心この状況を楽しんでいるのだ。
 
 一方で彼の隣にいるエディの反応は違った。
 
「えー?! リーゼちゃんに抱きしめてもらえるなんて羨ましいんだけど!」
 
 心底羨ましそうにしているエディに、ノクターンが敵意剝き出しの鋭い一瞥を向けた。
 まるで、「お前にリーゼはやらん!」と言いたげな眼差しだ。

 一触即発の空気を変えるために、ジーンが間に入って「まあまあ」と二人を宥めた。
 
「私たちは素直に思っていることを伝えればいいとだけしか言っていませんよ。だからリーゼさんが抱きしめたのは彼女が望んでしたことです。本当に愛されていますね」
「――っ」

 ジーンの言葉に、ノクターンは昨夜リーゼに抱きしめられた時のことを思い出す。
 逃さないと言わんばかりに両腕に込められた力や、縋るように擦りつけられた額の感覚。

 ――そして、早鐘を打ち続けた自分の心臓の音。
 
 あの時、どれだけ愛おしいと思ったことか。
 その想いを素直に口にできたらと、どれほど願ったことか。
 
(くそっ。他人事だからといって楽しみやがって)

 内心悪態をつきつつ、机の上に資料をバサリと広げた。
 
 ノクターンが持ってきたのはストレーシス国の地図で、あちこちに黒色のインクで印がつけられている。
 
 印がつけられているのはネザーフィールド社の工場がある町で。
 これらは全て、昨夜ノクターンが調べて書き込んだものだ。
 
「雑談は終わりだ。本題に入るぞ」
「おや、残念ですが多忙な軍人さんのお時間をこれ以上いただくわけにはいきませんね」
「それなら今日の夜に三人で飲みに行かない?」
「断る」

 家に帰ったらリーゼがご飯を作ってくれているというのに、なにが楽しくて親しくもない奴らと飲みに行かなければならないというのだ。
 そんな不満がノクターン顔にでかでかと書かれている。
 
「軍人さん、真面目なのはいいことだけど社交も大事だよ?」
「軍人と実業家は住む世界が違う。軍人の世界では社交より実力が重視されるものだ」

 エディはつれない返事に頬を膨らませるが、ノクターンは無視して話を切り替えた。
 
「例の噂がある町の従業員がいなくなったことはあるのか?」

 その質問に、ジーンは首を横に振る。
 
「いいえ。従業員の中にはいませんが、その周囲で失踪が確認されています」
「周囲とは?」
「気にかけていた孤児の子どもがいなくなったと言っている者や、職を失った知り合いの一家が忽然と消えたと言っている者がいるのです」
「……なるほど。だからオブライト殿は貧民街がある町という共通点を見出したのか」
 
 ジーンは「ええ」とだけ返事をすると、赤いインクの壺の中にペンを漬けて地図の上に印を追加する。
 ノクターンがつけた印のうちのいくつかを丸で囲ったのだ。

「この工場がある町の工員たちから亡霊のすすり泣きの噂を聞いています」
「ふむ。それなりの規模がある町だな。貧民街がありそうだ」
「そして、この印をつけた工場のいくつかは、ストレーシス国軍による捜査が行われたと聞いています。なにがあったのですか?」
 
 <錬金術師>たちによる事件はまだ公にされていない。よもやその場所で残忍な儀式が行われていることなど知らないのだろう。
 
 それでもジーン・オブライトは従業員たち寄せられた情報をもとに噂と軍の関連性を察知したのだから大したものだ。
 
(なるほど、ネザーフィールド社の社長秘書と情報網は侮れないな)

 彼らを使えばより効率的に次の儀式が行われる場所を特定できるだろう。
 
(餌を撒き、喰いつかせて情報を集めさせるか)

「他言無用だが、失踪した者たちは<錬金術師>と奴隷商が関わっている殺人事件に巻き込まれている可能性がある」
「犯人に<錬金術師>がいるということは……犠牲者は生贄にされたと?」

 ジーンの表情が険しくなる。
 そばで聞いているエディも、いつものお気楽な表情が消えて真剣な面持ちになっている。
 
「ああ。古の文献によると、生贄は『強い魔力を保有している人間の命』が好ましいが、それがない場合は『大量の人間の命』を必要とすると書かれていたからな。とにかく集めているのだろう」
「魔法がなくなったいまでは、とにかく多くの生贄が必要ということですね」
「そのようだ。だから貧民街がある町は奴らにとって好都合だろう。あそこなら多少人がいなくなっても気にかける者はわずかだし、親が子を売ってくれたら生贄用に育てることができる」

 貧困を極める地域では、子を売る親もいる。
 
 その事実は旧貴族家出身のエディからすると想像を絶する話だったのだろう。
 エディの顔から血の気が引いていった。
 
「なんだよ、それ。人間を家畜のように育てているってことか?」
「その通りだ。奴隷商を捕まえて吐かせたところ、そういう経路で上流階級の人間に生贄を売ったと供述していた」
「待って、奴隷商ってまだいるのかよ?」
「奴隷の所有が厳罰化されたいまでは絶滅したと思われているだろうが、奴らは<人買い>として生き残っている」

 そして、奴隷商の顧客は昔もいまも「裕福な者たち」である。
 下の階級の者たちを同じ人とは思わず、道具のように使っていた元貴族たち。

 その中にはかつて魔法使いの大家として名を馳せていた家もあり、魔法が使えない子孫が増えることに焦り、錬金術に手を出した者もいる。

 家門の名を落としたくないという彼らの身勝手な願いのためだけに、幾人もの魔法使いが犠牲になった事件が王政時代にあったらしい。
 
(おとぎ話は儚く終わるというのに、悲劇は永遠に繰り返し続けるものだ)

 ノクターンは憂鬱そうに地図の上に描かれた赤い丸を見つめた。
 
「オブライト殿、噂を聞いた日時の記録は残っているか?」
「ええ。我々の現地調査や経理部の視察記録に記されています」
「この地図にその情報を書き込んでおいてくれ。後日取りに来る」
「つまり、捜査協力しろという事ですね?」
「もちろん礼はする。従業員たちが安全に生活できるよう警備隊の配備を上に申請する」
「それはありがたい」

 ジーンは従業員たちの安全を心配していたようで、ノクターンの提案に満足して頷いた。
 一方で、エディは「全部解決したら飲みに行こうぜ!」と誘ってくるのだが、ノクターンもジーンも無視したのだった。

 もう用は済んだとばかりに立ち上がったノクターンは、「ああ、そうだ」となにか思い出したかのように呟く。
 
「地図の記入が終わったら路地裏にある<白の兵隊の駒ポーン>という名の喫茶店の店主に言づけてくれ。それに、なにか動きが合ったら連絡するのにも使ってくれ」
「ひゅーっ。密偵の存在を教えてくれていいの?」

 好奇心旺盛なエディは密偵に興味があるようだ。
 この様子だと、なにもなくても店の様子を見に行くに違いない。

 学生時代からの付き合いであるジーンは、そんな未来を予知したのだった。
 
「お前たちを信じているわけではないが、事件解決のためにもやむを得ない。もちろん、下手な真似をしたらこの世かこの社会から消されると思っておけ」
「わーお、怖いねぇ」
「それが軍人というものだ」

 自嘲気味にそう言うと、ノクターンは社長室を出た。

 ノクターンがネザーフィールド社を出ると、散歩中のワルツが彼を見つけて駆け寄ってきた。
 尻尾を揺らして「にゃあん」と鳴くワルツに、ノクターンがわずかに頷き相槌を打つ。

「リーゼの見送りご苦労だったな」
 
 朝の街中を、一人と一匹が並んで歩く。
 眠りから覚めた街が徐々に活気づき始め、喧騒が彼らを飲み込んでゆく。

「さあ、ほっつき歩いてばかりの総帥にも仕事をしてもらおうではないか」

 ノクターンの呟きは雑踏にかき消され、賑わう街の空気の中に溶けていった。
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