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15夜目のためのお話:今だけはそばにいて

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 ランベルトが登場すると、追手たちの足が止まった。
 
 エーファは今が好機とばかりに地面を蹴り、ランベルトに抱きつく。早口で呪文を唱えると、ややあって二人の周囲にいくつもの光の粒子が現れた。

(お願い、間に合って……!)

 もしも転移魔法が発動する前に追手たちがエーファに触れると、彼れも一緒に運んでしまう。復讐したい相手に隠れ家を暴かれてしまえば、元も子もない。
 
 別の魔法で足止めするべきだろうか。
 莫大な魔力を必要とする転移魔法と同時に他の魔法を展開すると体内の魔力を急激に消耗してしまい、魔力欠乏になりしばらくは動けなくなるのかもしれない。

 これが魔物討伐なら随行している回復師を頼ればいいのだが、今のエーファにはそのあてがない。
 悩みの渦に引き込まれてしまい、二の足を踏んでいる。
 
「ガウッ!」
「シリウス……」
 
 威嚇するシリウスの声を聞いて現実に引き戻されたエーファは、氷魔法の呪文を唱えた。エーファを中心に氷壁を作り上げ、追手を遠ざける。

 氷壁の出現に動揺したのか、姿を隠していた追手たちが物陰から出てきた。
 透明な氷越しに、彼らの姿を見る。

(ああ、やっぱり)

 彼らが身につけている外套には、アンゼルムが引き連れている隠密部隊の紋章があった。
 フリートヘルムの忠告通り、アンゼルムはエーファの魔力を探知して探していたようだ。おまけに複数の人間を使って追っていたとなると、ただ単に居場所を突き止めるだけが目的ではないのだろう。
 
「エーファさん、私が奴らを捕らえるので逃げてください」
「いえ、厄介ごとに巻き込みたくないので、このまま一緒に来てください」
 
 エーファはランベルトを抱きしめる力を強めた。
 ランベルトがぐっと息を呑んだのだが、恨みに支配されているエーファの耳には届かなかった。
 
 胸を覆う憎しみに耐えて唇を噛み締める。
 
 今は魔法に集中しなければならない。
 魔法を発動している間に集中力が欠けると失敗してしまうのだ。

 頭の中にカフェ銀月亭の店内を思い浮かべ、魔力を解き放つ。
 エーファの魔力に呼応するように、光の粒子たちが集まってきた。
 
 眩い光に包まれてエーファは目を閉じる。
 ややあって眩さが和らぐと目を開けた。

 目の前には、見慣れた店内の光景が広がっている。

「助かった……」

 安堵して息を吐く。張り詰めていた肩の力を抜いた。
 首元で襟巻に扮していたシリウスがぴょんと飛び降り、元の大きさに戻る。
 
「エーファさん、あの……その、体が……」
「体が?」

 どうしたのだろうと見上げると、ランベルトは顔を赤くしており、耳まで真っ赤だ。
 いつもはキリリとしている眉根は下がっており、どことなく落ち着きがない。

「……密着したままです」
「あっ、すみません」

 さすがのエーファも慌てた。
 飛び退くように離れると、くらりと眩暈を感じる。
 体が重く、吐き気と寒気がする。何より、立っていられない。

 魔力欠乏で体が弱り切っているのだ。
 
 ふらふらと覚束ない足で踏ん張ろうとしたエーファだが、彼女の意思に反して体が傾く。

「エーファさん!」

 倒れる予感にぎゅっと目を閉じたエーファは、温かく厚みのある何かに受けとめられた。筋肉質な腕が自分の背に回る感覚に、まさかと思い目を開ける。

 視界に飛び込んできたのは、自分を受けとめてくれた騎士服。そっと顔を上げた先にいるのは――気遣わしくエーファの顔を覗き込むランベルトの紫水晶アメジストのような色の目だ。
 
「どこか痛みますか?」
「痛みはないです。ただの魔力欠乏なんで大したことではありません。気にしないでください」
「どこからどう見ても具合が悪そうなのに、気にしないわけないでしょう!」

 諫める声が震えている。

 これで二度目だ、とエーファはぼんやりする頭で考える。
 ランベルトに叱られるのは二度目なのだ。

 一度は白銀の魔杖を看板に吊るしていたことだった。魔杖を手放したがるエーファに、努力を認めてくれる存在を決して無下にしてはいけないと窘めた。

 彼はエーファが自分を大切にしないと叱る。そしてエーファが大切にしないエーファを、彼が代わりに気遣ってくれるのだ。
 
(……温かい……)

 誰かにこうして抱きしめられているのは、何年ぶりだろうか。
 父親を失った日の夜にメヒティルデが抱きしめてくれたのが最後かもしれない。
 
「このままではいけませんので、ひとまず寝台に運びます。申し訳ありませんが、住居に入らせていただきますよ」
「今動いたら吐いてしまいそうなので、しばらくこのままでいてもらえますか?」
「……っ」

 知らずのうちに、エーファはランベルトの胸に顔を押し付ける。とにかく体が冷えており、温かな彼の体温にあやかりたかった。
 
 おまけに体調が悪いと心が不安定になる。そんな時には誰かに甘えたかったのだ。
 今だけはそばにいてほしい。
 メヒティルデ以外の誰かをこんなにも必要とするなんて初めてで、ほんの少しの困惑も芽生える。
 
 眉尻を下げ、いつもとは違いすっかりと弱り切ったエーファの様子は、たいそう破壊力があった。いわゆるギャップ萌えなのかもしれない。
 ランベルトは顔をさらに赤くさせ、はくはくと口を動かしたが――。

「……わかりました」

 小さくうめき声を上げた後、渋々と承諾してくれた。婚約者でもない異性を抱きしめているこの状況はよくないという生真面目さよりも、弱っている人間に無理強いしたくないという、心根の優しさが勝ったようだ。

「ガウッ!」

 シリウスは一声鳴くと、その場に伏せて尾を振る。ランベルトの服の裾を少しだけ咥えて引き寄せた。

「寄りかかれと言っているのか?」
「ガウガウッ!」
「ではありがたく、そうしてもらう」

 ランベルトはエーファを横抱きにするとその場に座り、シリウスに寄りかかった。

「え、どうしてお姫様抱っこなんですか? さっきのままで良かったのに」
「具合が悪い人は少しでも横になるべきです」

 そう言われても、この姿勢では落ち着かない。ソワソワと居心地が悪そうにするエーファだが、床に置いてくれと言ったところで生真面目なランベルトに反対されるだろうと予想して黙ることにした。

「ひざ掛けを借りますよ」

 一言断りを入れると、エーファが客のために用意していたひざ掛けが入っている籠からひざ掛けを一枚、魔法で取り寄せてエーファにかけた。

 最後に彼がパチンと指を鳴らすと、暖炉の薪に火がつく。
 
「……ありがとうございます。色々と……」
「礼には及びませんからゆっくりやすんでください。不審な者たちに追われて大変でしたでしょうし……」
「あの、変装していたのに……どうして私だと気づいたんですか?」
「髪の色は違っていましたが、それ以外はエーファさんそのものだったので気づいたんです」

 今まで、髪の色を変えるだけで誰にも気づかれなかった。
 エーファは珍しい銀色の髪を持っているからこそ、誰もがその髪の色でエーファを区別していたのだ。ちなみに魔法使い仲間やアンゼルムは、エーファの魔力を感じ取って彼女と認識している。

 エーファは胸の中がポカポカと温かくなるのを感じた。
 髪の色や魔力以外で自分を見つけてくれる人がいて嬉しかったのだ。

「ところで、さきほどの追ってたちは何者なんですか?」
「アンゼルム殿下の隠密部隊です。お嬢様が婚約者だった頃に一度だけ見かけたことがある紋章のついた外套を着ていたので間違いありません」
「いったい、なぜ――」
「理由はわかりませんが私を探しているようです。言っておきますけど、私は悪い事をしていませんからね?」
 
 正確に言うと、まだなにもしていないのだが。
 エーファは毅然とした態度で言い切った。

 もの言いたげなランベルトの目が、微かに揺れる。
 静かな室内で、二人はそれぞれの思いを抱えて視線を交わした。
 
 その張り詰めた静寂を破るように、シリウスがフガフガと不満げに鳴いた。

「シリウス、どうしたの?」
「クゥーン」

 彼は三角形の耳を倒すと、鼻先を壁にかかっている時計に向ける。
 店の準備をしないといけない時間だと教えてくれたのだ。

「もうこんな時間……早く準備しないと――」
「何を言っているんですか! 今日は休んでください」
「いえ、もしかしたらヒルデさんが店に来るかもしれないのに、休むわけにはいきません。魔法で体を動かします!」
「魔力欠乏の人が魔法を使えば悪循環ですよ! 全く、魔法使いなのに脳筋な事を言ってどうするんですか?!」
「もしかすると、魔力が欠乏しても魔法の効果による可動が優先的に実行されて動けるかもしれま――」
「私が騎士だからって魔法の理論で誤魔化さないでください。これまでに何度も魔法兵団の面々と共同作戦に参加したからわかりますよ。今のあなたは小匙一杯分の魔力を使うことだって許されない状態のはずです」
「むぅ……魔力がほしい……」

 こんなことになるなら、回復薬ポーションを常備しておくべきだった。
 魔法兵団にいる頃から久しくお世話になっていなかったため買い置きしていなかったのだ。己の慢心さを悔いるのだった。

「ううっ、魔力……。お祝いしたいのに……」

 魔力が無ければ動くことも店を開店させることもできない。絶体絶命の状態だ。
 
「……回復する手立てがないわけではありませんが――」
「え、本当ですか?」

 先ほどまでとは一転してキラキラと目を輝かせるエーファとは正反対に、ランベルトの目には困惑が浮かぶ。

「私が額にキスすることを許していただけるのであれば、魔力を分けられますが……」
「ああ、その手がありましたね!」

 魔力が高い者は魔力を分け与えることができる。相手の体に唇を触れさせ、そこから魔力を流し込むのだ。
 今までのエーファには不要な方法であったため、すっかり忘れていた。
 
 手に触れている状態でもいいのだが、今のエーファは身動きがとれず、ランベルトはエーファを抱えているから手を取れない。そのため彼は悩んだ末に額を指定したようだ。

「早速お願いします!」
「あなたという人は……」

 ランベルトは言いかけた言葉を呑み込むと、ゆっくりとエーファの額に顔を近づけた。
 
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