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第二章
28.星に願いを、あなたに誓いを
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フレイヤはシルヴェリオに馬車で薬草雑貨店ルアルディまで送り届けてもらう。
家の中に入ると、家中を行ったり来たりと忙しく動き回り、姉と義兄の宿泊の準備をする。
慌ただしく動いていると、心の中に沈んでいる鉛のような感情を忘れられてありがたい。
その間、オルフェンは彼の希望で祖父のカリオが使っていた部屋に通した。今頃は祖父の遺品を見て彼との思い出に耽っていることだろう。
「シルヴェリオ様、お待たせいたしました。こちらが姉の分で、もう片方が義兄の分です。……運んでいただくお手数をおかけしてすみません」
「馬車を動かしたついでだから気にしなくていい。それに、フレイさんが治癒院までこの荷物を運ぶのは大変だろう。オルフェンが素直に手伝ってくれるとは思えないからな」
「そうですね……今は祖父の部屋にいるので、なおさら手伝ってもらえなさそうです」
興味があることにしか協力してくれないのだ。まるで気まぐれな猫か子どもである。
「フレイさん、あの……」
「はい?」
シルヴェリオは言葉を切ると、首を横に振った。
「……いや、なんでもない。今日はゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます。シルヴェリオ様もゆっくりお休みください。それでは、また明日」
「ああ、朝迎えに来るから待っていてくれ」
明日は三人で祖父のカリオの墓参りに行くことになった。
本来であればシルヴェリオは行かず、フレイヤとオルフェンに加えテミスとチェルソが行く予定だった。
しかし急遽入院することになったテミスがフレイヤに付き添えないことを嘆いており、それを聞いたシルヴェリオが同行を申し出たのだ。
「家の用事に付き合わせてしまってすみません」
「……オルフェンが何をするかわからないからついて行くだけだ」
ぶっきらぼうな物言いだが、深い青色の目は気遣わしくフレイヤを見つめるのだった。
***
その夜、フレイヤが就寝のため布団の中に包まっていると、窓を叩く音がした。
「こんな真夜中に……誰なの……?」
まさか家人の不在を狙った泥棒だろうかと、思わず身を固くする。
一人で立ち向かって勝てるとは思えない。
オルフェンはテミスとチェルソが用意しておいてくれた客間にいるから、彼を起こして一緒に見てもらおうか。
迷ったが、ひとまず状況を探るために勇気を振り絞って窓辺を見遣る。
「鳥……だったんだ」
いたずらの犯人であろう、光り輝く鳥が窓の外にとまっていた。
ベッドから出て窓を開けると鳥が飛び立ち――家の前に佇むシルヴェリオの姿を見つけた。手には大きなバスケットを持っている。
「シルヴェリオ様! どうしてここに?」
「夜分にすまない。しかし……今日の分の菓子を渡していなかったから持ってきた。遅れて悪かった」
ややバツが悪そうな顔でバスケットを掲げて見せられたフレイヤは、ぱちくりと目を瞬かせる。
「そういえば……まだでしたね。そちらに行くので少しお待ちください」
「もし良ければ、フレイさんの家の屋根を借りられるだろうか?」
「いいですけど……どうして屋根を?」
「星を見ながら食べるのも悪くないだろうと思ってな」
シルヴェリオは微笑むと、空いている方の掌を上に向けて呪文を唱える。途端にフレイヤの足元が光り、ふわりと浮遊感がすると――気付けば実家の屋根の上に立っていた。
「い、いつのまに屋根の上に?!」
「転移魔法だ。わざわざ一階に来てもらうのは手間かと思ってな。足元に気を付けてくれ」
その場に腰かけるシルヴェリオに倣って、フレイヤも屋根の上に座った。
「初夏でも夜は意外と冷えるな」
シルヴェリオは自分の着ていた上着を脱ぐとフレイヤの肩にかける。
寝間着姿のままのフレイヤにとって屋根の上は確かに冷えるからありがたいが、高価そうな上着を借りてしまっていいのだろうかと思うと落ち着かない。
「あの、上着は結構ですので……」
「風邪を引かせてしまったら悪いから着ていてくれ」
「あ、ありがとうございます。汚さないように気をつけますね」
宣言するフレイヤに、シルヴェリオはバスケットを手渡した。中から焼きたての甘いお菓子の香りがする。
フレイヤはくんくんと鼻を動かしてその甘い香りを堪能すると、目がうっとりと蕩け、唇は柔らかに弧を描いている。
あまりにも幸せそうな表情で、見ているシルヴェリオはふっと笑い声を零した。
「菓子の匂いも好きなようだな」
「はい、焼きたてのお菓子の甘い香りが好きなんです。なんだか幸せな気持ちになれますから」
バスケットの蓋を開けると、中には可愛いパステルカラーのメレンゲ菓子が入っている。早速その一つを摘まみ、口の中に入れた。
「ふふっ、軽やかな食感だけどしゅわしゅわと溶けていく感覚の組み合わせがたまりません」
「気に入ってもらえたようで良かった。……それに、ようやく表情がいつも通りになって安心した。治癒院に行くことになった時から、表情が暗かったように見えて気になっていたから……」
姉が治癒院にいると聞かされた時から今に至るまで、不安になったり落ち込んだりと、気持ちが沈みがちだったのは確かだ。
心配されるほど表情に出てしまっていたのだろうかと、片手で自分の頬に触れてみる。
「私……そんなにいつもと違っていましたか?」
「ああ。無理やり笑っているように見えて……気になっていた。なにかあったら相談してくれ。できる限り力になる」
「……ありがとうございます。シルヴェリオ様にはいつも助けていただいてばかりですね」
「俺もフレイさんに助けてもらっているから気にするな」
気休めなんて言わない彼の言葉だからこそ信じられる。フレイヤは自分がシルヴェリオの助けになっているとわかって安堵した。
「あの、仕事には全く関係のない話をしてもいいでしょうか?」
「……かまわない」
「ええと、本当はシルヴェリオ様にお話しすべきではない事なのですが……」
自分から言い出しておいて、躊躇ってしまう。
「気にしなくていい。今は業務時間外だ」
「恋愛の話でも……聞いていただけますか?」
シルヴェリオの目が微かに揺れたが、彼は小さく頷いた。
「……ああ、俺で良ければ聞こう」
承諾してもらったのはいいが、いざ話すとなると躊躇われてしまう。
フレイヤはバスケットをぎゅっと抱え込んだ。
「私……義兄のことが好きなんです。だけど知り合った時から彼は姉を好きで……私は……好きになった瞬間に失恋をしました。もちろん二人にはずっと今のようにお互いを想い合い、幸せなままでいてほしいです。なのに二人を見ていると、落ち込んでしまう自分に……うんざりしているんです」
「……そうか」
心に留めておいた気持ちを言葉にすると、それを呼び水にして次々と今までに抱いた感情が呼び覚まされていく。
「姉が妊娠して待望の赤ちゃんができたのに、おめでとうの一言も言えなかった自分が情けなくて……どうしてそんなこともできないのかと自分に失望しているんです。嬉しいのに、まだ失恋して落ち込んでいる自分が見苦しくて嫌いです」
失恋した恋なんて、気づけば消失するものだと思っていた。それが区切りになってくれると思っていたのに――この恋はそうではなかった。
フレイヤが自分の手で終わらせなければならないのだ。
(私がちゃんと、変われますように……)
夜空に瞬く星に願う。
しかし願うばかりでは変われないのが現実だ。
「だから私、嫌いな自分を辞めるために頑張ります。その決意をシルヴェリオ様に誓ってもいいでしょうか?」
「いいだろう。しっかりと聞いておく。そしてフレイさんがやり遂げられるよう見守っておこう」
「ありがとうございます。シルヴェリオ様が見てくださっているのであれば、心強いです」
シルヴェリオの深い青い目が、フレイヤを真っ直ぐ見つめた。切なさを隠したその眼差しに、フレイヤは気づかなかった。
「私は明日、姉と義兄にお祝いを言いに行きます。それをけじめに、義兄への想いを捨てることを誓います」
言い切ると、ほろりと目から涙が零れた。ぐっと目元に力を入れて堪えようとしても、次々とあふれ出してしまう。
「――っ」
涙が出ると言葉が詰まってしまう。嗚咽を零して泣くフレイヤに、シルヴェリオはそっと白いハンカチを渡した。
「今は好きなだけ泣いた方がいい。心から全部出さないと、その感情がいつか心の中で毒となるかもしれないからな」
かつて愛する人への想いを抱いたまま弱ってしまった義母がそうだった。
時に人は、自身自身の感情に負けて、生きる気力を失ってしまうことだってあるのだ。
悲しみから目を背け、なんてことないのだと蓋をしていると、いつかその悲しみが遅効性の毒となって体を蝕むかもしれない。
「ううっ、ひっく……ありがとうございます…ハンカチ、またちゃんと洗って返します……!」
受け取ると、顔を覆ってひとしきり泣いた。
スンと鼻を啜る音とすすり泣く声が宵闇の中に溶ける。
フレイヤが泣き止むまで、シルヴェリオはなにも言わずにフレイヤの隣で星を眺めた。
家の中に入ると、家中を行ったり来たりと忙しく動き回り、姉と義兄の宿泊の準備をする。
慌ただしく動いていると、心の中に沈んでいる鉛のような感情を忘れられてありがたい。
その間、オルフェンは彼の希望で祖父のカリオが使っていた部屋に通した。今頃は祖父の遺品を見て彼との思い出に耽っていることだろう。
「シルヴェリオ様、お待たせいたしました。こちらが姉の分で、もう片方が義兄の分です。……運んでいただくお手数をおかけしてすみません」
「馬車を動かしたついでだから気にしなくていい。それに、フレイさんが治癒院までこの荷物を運ぶのは大変だろう。オルフェンが素直に手伝ってくれるとは思えないからな」
「そうですね……今は祖父の部屋にいるので、なおさら手伝ってもらえなさそうです」
興味があることにしか協力してくれないのだ。まるで気まぐれな猫か子どもである。
「フレイさん、あの……」
「はい?」
シルヴェリオは言葉を切ると、首を横に振った。
「……いや、なんでもない。今日はゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます。シルヴェリオ様もゆっくりお休みください。それでは、また明日」
「ああ、朝迎えに来るから待っていてくれ」
明日は三人で祖父のカリオの墓参りに行くことになった。
本来であればシルヴェリオは行かず、フレイヤとオルフェンに加えテミスとチェルソが行く予定だった。
しかし急遽入院することになったテミスがフレイヤに付き添えないことを嘆いており、それを聞いたシルヴェリオが同行を申し出たのだ。
「家の用事に付き合わせてしまってすみません」
「……オルフェンが何をするかわからないからついて行くだけだ」
ぶっきらぼうな物言いだが、深い青色の目は気遣わしくフレイヤを見つめるのだった。
***
その夜、フレイヤが就寝のため布団の中に包まっていると、窓を叩く音がした。
「こんな真夜中に……誰なの……?」
まさか家人の不在を狙った泥棒だろうかと、思わず身を固くする。
一人で立ち向かって勝てるとは思えない。
オルフェンはテミスとチェルソが用意しておいてくれた客間にいるから、彼を起こして一緒に見てもらおうか。
迷ったが、ひとまず状況を探るために勇気を振り絞って窓辺を見遣る。
「鳥……だったんだ」
いたずらの犯人であろう、光り輝く鳥が窓の外にとまっていた。
ベッドから出て窓を開けると鳥が飛び立ち――家の前に佇むシルヴェリオの姿を見つけた。手には大きなバスケットを持っている。
「シルヴェリオ様! どうしてここに?」
「夜分にすまない。しかし……今日の分の菓子を渡していなかったから持ってきた。遅れて悪かった」
ややバツが悪そうな顔でバスケットを掲げて見せられたフレイヤは、ぱちくりと目を瞬かせる。
「そういえば……まだでしたね。そちらに行くので少しお待ちください」
「もし良ければ、フレイさんの家の屋根を借りられるだろうか?」
「いいですけど……どうして屋根を?」
「星を見ながら食べるのも悪くないだろうと思ってな」
シルヴェリオは微笑むと、空いている方の掌を上に向けて呪文を唱える。途端にフレイヤの足元が光り、ふわりと浮遊感がすると――気付けば実家の屋根の上に立っていた。
「い、いつのまに屋根の上に?!」
「転移魔法だ。わざわざ一階に来てもらうのは手間かと思ってな。足元に気を付けてくれ」
その場に腰かけるシルヴェリオに倣って、フレイヤも屋根の上に座った。
「初夏でも夜は意外と冷えるな」
シルヴェリオは自分の着ていた上着を脱ぐとフレイヤの肩にかける。
寝間着姿のままのフレイヤにとって屋根の上は確かに冷えるからありがたいが、高価そうな上着を借りてしまっていいのだろうかと思うと落ち着かない。
「あの、上着は結構ですので……」
「風邪を引かせてしまったら悪いから着ていてくれ」
「あ、ありがとうございます。汚さないように気をつけますね」
宣言するフレイヤに、シルヴェリオはバスケットを手渡した。中から焼きたての甘いお菓子の香りがする。
フレイヤはくんくんと鼻を動かしてその甘い香りを堪能すると、目がうっとりと蕩け、唇は柔らかに弧を描いている。
あまりにも幸せそうな表情で、見ているシルヴェリオはふっと笑い声を零した。
「菓子の匂いも好きなようだな」
「はい、焼きたてのお菓子の甘い香りが好きなんです。なんだか幸せな気持ちになれますから」
バスケットの蓋を開けると、中には可愛いパステルカラーのメレンゲ菓子が入っている。早速その一つを摘まみ、口の中に入れた。
「ふふっ、軽やかな食感だけどしゅわしゅわと溶けていく感覚の組み合わせがたまりません」
「気に入ってもらえたようで良かった。……それに、ようやく表情がいつも通りになって安心した。治癒院に行くことになった時から、表情が暗かったように見えて気になっていたから……」
姉が治癒院にいると聞かされた時から今に至るまで、不安になったり落ち込んだりと、気持ちが沈みがちだったのは確かだ。
心配されるほど表情に出てしまっていたのだろうかと、片手で自分の頬に触れてみる。
「私……そんなにいつもと違っていましたか?」
「ああ。無理やり笑っているように見えて……気になっていた。なにかあったら相談してくれ。できる限り力になる」
「……ありがとうございます。シルヴェリオ様にはいつも助けていただいてばかりですね」
「俺もフレイさんに助けてもらっているから気にするな」
気休めなんて言わない彼の言葉だからこそ信じられる。フレイヤは自分がシルヴェリオの助けになっているとわかって安堵した。
「あの、仕事には全く関係のない話をしてもいいでしょうか?」
「……かまわない」
「ええと、本当はシルヴェリオ様にお話しすべきではない事なのですが……」
自分から言い出しておいて、躊躇ってしまう。
「気にしなくていい。今は業務時間外だ」
「恋愛の話でも……聞いていただけますか?」
シルヴェリオの目が微かに揺れたが、彼は小さく頷いた。
「……ああ、俺で良ければ聞こう」
承諾してもらったのはいいが、いざ話すとなると躊躇われてしまう。
フレイヤはバスケットをぎゅっと抱え込んだ。
「私……義兄のことが好きなんです。だけど知り合った時から彼は姉を好きで……私は……好きになった瞬間に失恋をしました。もちろん二人にはずっと今のようにお互いを想い合い、幸せなままでいてほしいです。なのに二人を見ていると、落ち込んでしまう自分に……うんざりしているんです」
「……そうか」
心に留めておいた気持ちを言葉にすると、それを呼び水にして次々と今までに抱いた感情が呼び覚まされていく。
「姉が妊娠して待望の赤ちゃんができたのに、おめでとうの一言も言えなかった自分が情けなくて……どうしてそんなこともできないのかと自分に失望しているんです。嬉しいのに、まだ失恋して落ち込んでいる自分が見苦しくて嫌いです」
失恋した恋なんて、気づけば消失するものだと思っていた。それが区切りになってくれると思っていたのに――この恋はそうではなかった。
フレイヤが自分の手で終わらせなければならないのだ。
(私がちゃんと、変われますように……)
夜空に瞬く星に願う。
しかし願うばかりでは変われないのが現実だ。
「だから私、嫌いな自分を辞めるために頑張ります。その決意をシルヴェリオ様に誓ってもいいでしょうか?」
「いいだろう。しっかりと聞いておく。そしてフレイさんがやり遂げられるよう見守っておこう」
「ありがとうございます。シルヴェリオ様が見てくださっているのであれば、心強いです」
シルヴェリオの深い青い目が、フレイヤを真っ直ぐ見つめた。切なさを隠したその眼差しに、フレイヤは気づかなかった。
「私は明日、姉と義兄にお祝いを言いに行きます。それをけじめに、義兄への想いを捨てることを誓います」
言い切ると、ほろりと目から涙が零れた。ぐっと目元に力を入れて堪えようとしても、次々とあふれ出してしまう。
「――っ」
涙が出ると言葉が詰まってしまう。嗚咽を零して泣くフレイヤに、シルヴェリオはそっと白いハンカチを渡した。
「今は好きなだけ泣いた方がいい。心から全部出さないと、その感情がいつか心の中で毒となるかもしれないからな」
かつて愛する人への想いを抱いたまま弱ってしまった義母がそうだった。
時に人は、自身自身の感情に負けて、生きる気力を失ってしまうことだってあるのだ。
悲しみから目を背け、なんてことないのだと蓋をしていると、いつかその悲しみが遅効性の毒となって体を蝕むかもしれない。
「ううっ、ひっく……ありがとうございます…ハンカチ、またちゃんと洗って返します……!」
受け取ると、顔を覆ってひとしきり泣いた。
スンと鼻を啜る音とすすり泣く声が宵闇の中に溶ける。
フレイヤが泣き止むまで、シルヴェリオはなにも言わずにフレイヤの隣で星を眺めた。
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