34 / 101
第一章
34.失ったものを取り戻していく
しおりを挟む
コルティノーヴィス香水工房に原材料が届いた翌日から、レンゾと妖精たちによる精油の抽出作業が始まった。
抽出は工房の裏手にある離れを作業所として訪れたフレイヤは、レンゾ以外誰もいない作業所で道具が宙に浮いてひとりでに動いて原材料から精油を抽出している様子を見て固まってしまう。
(これは幽霊……ではなく、妖精たちがいるのよね……?)
人間はどうしても視覚の情報に頼ってしまう生き物。だから姿が見えないと怪奇現象のようで恐ろしく思えてしまうのだ。
フレイヤはビクビクとしながら作業室の中に足を踏み入れた。
「あ、副工房長。おはようございます」
「おはようございます、レンゾさん。その……、今ここでは妖精たちが働いてくれているんですよね?」
「そうですよ。工房長のおかげでいい菓子を手配できたので、みんな張り切ってくれています」
レンゾが視線を動かして窓辺にある小さな机を見遣る。その上に白色の皿が置いてあり、クッキーやら砂糖菓子やらが盛りつけられている。
どうやらあの菓子の山が妖精たちへの対価らしい。フレイヤがじっと見ていると、机の上に置いているお菓子がひとつまたひとつと宙に浮かび、サクサクと音を立てながら消えていく。
妖精がそこにいると分かっていながらも、食べている生き物が見えないとちょっぴり恐ろしい光景だ。
(だけど……協力してくれている妖精たちに対して怯えているなんて失礼よね)
ここはひとつ、副工房長としてお礼の気持ちを伝えたい。
フレイヤは胸の前できゅっと手を握りしめた。
「妖精のみなさん、初めまして。私は調香師兼副工房長のフレイヤ・ルアルディです。この度はうちの工房で働いてくださってありがとうございます!」
ぺこりとお辞儀をするフレイヤに、レンゾは反対側を指差してみせる。
「あの、妖精たちはもう副工房長の真後ろにいますよ」
「わわっ! 背を向けてしまってすみません!」
フレイヤは慌ててくるりと向き直り、姿の見えない隣人たちに平謝りする。
「みなさん、気分を害されていませんでしょうか?」
「大丈夫です。笑って許してくれていますよ。むしろ姿が見えない自分たちに声をかけてくれたことが嬉しかったようです」
その言葉にフレイヤは胸を撫でおろした。
妖精たちとの関りが今までなかっただけに、彼らのことはわからないことばかりだ。そのため知らずの間に無礼を働いていないか心配になるのだった。
(今度、王立図書館に行って妖精たちについて調べてみよう)
なんせ妖精たちもまたコルティノーヴィス香水工房の従業員でもあるのだ。副工房長として、彼らが働きやすいように環境を整えてあげたい。
「ところで、副工房長からお願いされていた分の精油は抽出が終わりましたよ。重いので副工房長の調香台まで俺が運びますね」
「ありがとうございます。何から何までしてもらってすみません」
調香台とはその名の通り、調香するための作業台だ。机の上に三面の棚が取りつけられており、そこに精油や香料が入っている瓶を置く。
精油の入った瓶が並ぶ様子がまるで楽器のオルガンの鍵盤ようであるため、その名がつけられたのだ。
フレイヤとレンゾは、一階の店舗部分の隣にある調香室へと向かった。
調香室には三台の調香台があり、どれも以前この建物を使っていた香水工房から譲り受けたものだ。
使い込まれているがよく手入れされている飴色の調香台の机部分並んでいるのは、スポイトやビーカーや試験管などのガラス製品、そして試香紙を入れた瓶だ。
レンゾは手に持っていた盆から調香台の棚へと茶色のガラス瓶を移していく。
瓶にはそれぞれ白いラベルが貼られており、そこにはレンゾの流麗な文字で精油の名前や原材料の抽出部位と抽出方法と原産地が書かれている。
たとえ同じ植物から抽出された精油であっても、その部位によって異なる種類の精油となるため、こうしてラベルに記して区別しているのだ。
(何もなかった私の調香台に、香りが揃っていく……)
フレイヤは自分の新しい調香台に加わった瓶を見て、ほうっと感嘆の溜息をついた。
カルディナーレ香水工房を解雇されて一度は何もかも失った彼女にとって、その光景は心にぽっかりと空いていた穴を埋めてくれるような、象徴的なものだった。
「ようやく調香ですね」
「ええ、久しぶりの調香でドキドキします」
また調香できる嬉しさと、王族に献上する香水を作るという大仕事への緊張と不安が綯交ぜになっている。
「副工房長なら大丈夫ですよ。それに、これから俺と妖精たちが力を合わせて最高の調香台をにしますから、素敵な香りをたくさん創ってくださいね」
「はいっ! 副工房長の名に恥じない香りを生み出していきます!」
フレイヤは新しく用意していた白衣の袖に手を通す。白衣の前を整えると、心持ち背筋を伸ばした。
「それではさっそく、調香を始めますね」
***あとがき***
長らく更新が空いてしまい申し訳ございません…!
繁忙期が続いていますが週に一度のペースで更新できるよう執筆していきますのでお楽しみにお待ちいただけますと嬉しいですm(_ _)m
抽出は工房の裏手にある離れを作業所として訪れたフレイヤは、レンゾ以外誰もいない作業所で道具が宙に浮いてひとりでに動いて原材料から精油を抽出している様子を見て固まってしまう。
(これは幽霊……ではなく、妖精たちがいるのよね……?)
人間はどうしても視覚の情報に頼ってしまう生き物。だから姿が見えないと怪奇現象のようで恐ろしく思えてしまうのだ。
フレイヤはビクビクとしながら作業室の中に足を踏み入れた。
「あ、副工房長。おはようございます」
「おはようございます、レンゾさん。その……、今ここでは妖精たちが働いてくれているんですよね?」
「そうですよ。工房長のおかげでいい菓子を手配できたので、みんな張り切ってくれています」
レンゾが視線を動かして窓辺にある小さな机を見遣る。その上に白色の皿が置いてあり、クッキーやら砂糖菓子やらが盛りつけられている。
どうやらあの菓子の山が妖精たちへの対価らしい。フレイヤがじっと見ていると、机の上に置いているお菓子がひとつまたひとつと宙に浮かび、サクサクと音を立てながら消えていく。
妖精がそこにいると分かっていながらも、食べている生き物が見えないとちょっぴり恐ろしい光景だ。
(だけど……協力してくれている妖精たちに対して怯えているなんて失礼よね)
ここはひとつ、副工房長としてお礼の気持ちを伝えたい。
フレイヤは胸の前できゅっと手を握りしめた。
「妖精のみなさん、初めまして。私は調香師兼副工房長のフレイヤ・ルアルディです。この度はうちの工房で働いてくださってありがとうございます!」
ぺこりとお辞儀をするフレイヤに、レンゾは反対側を指差してみせる。
「あの、妖精たちはもう副工房長の真後ろにいますよ」
「わわっ! 背を向けてしまってすみません!」
フレイヤは慌ててくるりと向き直り、姿の見えない隣人たちに平謝りする。
「みなさん、気分を害されていませんでしょうか?」
「大丈夫です。笑って許してくれていますよ。むしろ姿が見えない自分たちに声をかけてくれたことが嬉しかったようです」
その言葉にフレイヤは胸を撫でおろした。
妖精たちとの関りが今までなかっただけに、彼らのことはわからないことばかりだ。そのため知らずの間に無礼を働いていないか心配になるのだった。
(今度、王立図書館に行って妖精たちについて調べてみよう)
なんせ妖精たちもまたコルティノーヴィス香水工房の従業員でもあるのだ。副工房長として、彼らが働きやすいように環境を整えてあげたい。
「ところで、副工房長からお願いされていた分の精油は抽出が終わりましたよ。重いので副工房長の調香台まで俺が運びますね」
「ありがとうございます。何から何までしてもらってすみません」
調香台とはその名の通り、調香するための作業台だ。机の上に三面の棚が取りつけられており、そこに精油や香料が入っている瓶を置く。
精油の入った瓶が並ぶ様子がまるで楽器のオルガンの鍵盤ようであるため、その名がつけられたのだ。
フレイヤとレンゾは、一階の店舗部分の隣にある調香室へと向かった。
調香室には三台の調香台があり、どれも以前この建物を使っていた香水工房から譲り受けたものだ。
使い込まれているがよく手入れされている飴色の調香台の机部分並んでいるのは、スポイトやビーカーや試験管などのガラス製品、そして試香紙を入れた瓶だ。
レンゾは手に持っていた盆から調香台の棚へと茶色のガラス瓶を移していく。
瓶にはそれぞれ白いラベルが貼られており、そこにはレンゾの流麗な文字で精油の名前や原材料の抽出部位と抽出方法と原産地が書かれている。
たとえ同じ植物から抽出された精油であっても、その部位によって異なる種類の精油となるため、こうしてラベルに記して区別しているのだ。
(何もなかった私の調香台に、香りが揃っていく……)
フレイヤは自分の新しい調香台に加わった瓶を見て、ほうっと感嘆の溜息をついた。
カルディナーレ香水工房を解雇されて一度は何もかも失った彼女にとって、その光景は心にぽっかりと空いていた穴を埋めてくれるような、象徴的なものだった。
「ようやく調香ですね」
「ええ、久しぶりの調香でドキドキします」
また調香できる嬉しさと、王族に献上する香水を作るという大仕事への緊張と不安が綯交ぜになっている。
「副工房長なら大丈夫ですよ。それに、これから俺と妖精たちが力を合わせて最高の調香台をにしますから、素敵な香りをたくさん創ってくださいね」
「はいっ! 副工房長の名に恥じない香りを生み出していきます!」
フレイヤは新しく用意していた白衣の袖に手を通す。白衣の前を整えると、心持ち背筋を伸ばした。
「それではさっそく、調香を始めますね」
***あとがき***
長らく更新が空いてしまい申し訳ございません…!
繁忙期が続いていますが週に一度のペースで更新できるよう執筆していきますのでお楽しみにお待ちいただけますと嬉しいですm(_ _)m
32
お気に入りに追加
360
あなたにおすすめの小説

異世界転移聖女の侍女にされ殺された公爵令嬢ですが、時を逆行したのでお告げと称して聖女の功績を先取り実行してみた結果
富士とまと
恋愛
公爵令嬢が、異世界から召喚された聖女に婚約者である皇太子を横取りし婚約破棄される。
そのうえ、聖女の世話役として、侍女のように働かされることになる。理不尽な要求にも色々耐えていたのに、ある日「もう飽きたつまんない」と聖女が言いだし、冤罪をかけられ牢屋に入れられ毒殺される。
死んだと思ったら、時をさかのぼっていた。皇太子との関係を改めてやり直す中、聖女と過ごした日々に見聞きした知識を生かすことができることに気が付き……。殿下の呪いを解いたり、水害を防いだりとしながら過ごすあいだに、運命の時を迎え……え?ええ?

誰でもイイけど、お前は無いわw
猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。
同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。
見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、
「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」
と言われてしまう。

どんなに私が愛しても
豆狸
恋愛
どんなに遠く離れていても、この想いがけして届かないとわかっていても、私はずっと殿下を愛しています。
これからもずっと貴方の幸せを祈り続けています。
※子どもに関するセンシティブな内容があります。

笑わない妻を娶りました
mios
恋愛
伯爵家嫡男であるスタン・タイロンは、伯爵家を継ぐ際に妻を娶ることにした。
同じ伯爵位で、友人であるオリバー・クレンズの従姉妹で笑わないことから氷の女神とも呼ばれているミスティア・ドゥーラ嬢。
彼女は美しく、スタンは一目惚れをし、トントン拍子に婚約・結婚することになったのだが。

醜い傷ありと蔑まれてきた私の顔に刻まれていたのは、選ばれし者の証である聖痕でした。今更、態度を改められても許せません。
木山楽斗
恋愛
エルーナの顔には、生まれつき大きな痣がある。
その痣のせいで、彼女は醜い傷ありと蔑まれて生きてきた。父親や姉達から嫌われて、婚約者からは婚約破棄されて、彼女は、痣のせいで色々と辛い人生を送っていたのである。
ある時、彼女の痣に関してとある事実が判明した。
彼女の痣は、聖痕と呼ばれる選ばれし者の証だったのだ。
その事実が判明して、彼女の周囲の人々の態度は変わった。父親や姉達からは媚を売られて、元婚約者からは復縁を迫られて、今までの態度とは正反対の態度を取ってきたのだ。
流石に、エルーナもその態度は頭にきた。
今更、態度を改めても許せない。それが彼女の素直な気持ちだったのだ。
※5話目の投稿で、間違って別の作品の5話を投稿してしまいました。申し訳ありませんでした。既に修正済みです。

皆さん、覚悟してくださいね?
柚木ゆず
恋愛
わたしをイジメて、泣く姿を愉しんでいた皆さんへ。
さきほど偶然前世の記憶が蘇り、何もできずに怯えているわたしは居なくなったんですよ。
……覚悟してね? これから『あたし』がたっぷり、お礼をさせてもらうから。
※体調不良の影響でお返事ができないため、日曜日ごろ(24日ごろ)まで感想欄を閉じております。

【完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る
金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。
ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの?
お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。
ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。
少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。
どうしてくれるのよ。
ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ!
腹立つわ〜。
舞台は独自の世界です。
ご都合主義です。
緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。

【完結】「政略結婚ですのでお構いなく!」
仙桜可律
恋愛
文官の妹が王子に見初められたことで、派閥間の勢力図が変わった。
「で、政略結婚って言われましてもお父様……」
優秀な兄と妹に挟まれて、何事もほどほどにこなしてきたミランダ。代々優秀な文官を輩出してきたシューゼル伯爵家は良縁に恵まれるそうだ。
適齢期になったら適当に釣り合う方と適当にお付き合いをして適当な時期に結婚したいと思っていた。
それなのに代々武官の家柄で有名なリッキー家と結婚だなんて。
のんびりに見えて豪胆な令嬢と
体力系にしか自信がないワンコ令息
24.4.87 本編完結
以降不定期で番外編予定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる