追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

柳葉うら

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第一章

25.チェリーケーキの誘惑

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「では、我が主のコルティノーヴィス伯爵を頼るのはいかがでしょうか?」

 リベラトーレはにっこりと微笑んでシルヴェリオに提案した。

「ちょうど今日の夜にでもそうしようと思っていたところだ。姉上の午後の予定は?」
「本日の午後は予定がございませんので今からでもお話できますよ」
「……姉上にしては珍しく仕事を空けたのだな」

 シルヴェリオは微かに眉根を寄せる。
 
 姉のヴェーラは領地運営と伯爵家の切り盛りと自らが所有する商団の運営で多忙な人だ。
 先日屋敷に泊まった際に執事長から聞いた話によると、仕事をするか社交に出るかで全く休んでいないらしい。

 そんな姉が急に仕事を空け、彼女の秘書が自分の目の前に現れるなんて――どう考えてもおかしい。
 シルヴェリオが連日、香料の材料を求めて王都中の商会を当たってみるものの取引を断られているという状況を察して行動に出たのだろうか。

(何のために?)

 これ以上シルヴェリオが商会からの取引を断られると、コルティノーヴィス伯爵家が社交界であらぬ噂を立てられるから、コルティノーヴィス伯爵家の当主として手を打とうとしているのか。
 それとも商機として香料の材料の取引を持ちかけようとしているのか。

 いずれにしても香水事業に介入しようとしているのだろう。

 香料の材料の仕入れを相談しようとしていたからちょうどいいものの、心の中に鉛のように重い感情が沈んでいく。
 
(香水の販売以外は、関わりたくなかったのだが……)

 ――いずれコルティノーヴィス伯爵家から離れること。それがシルヴェリオの望みだ。
 だから彼は必死で勉学に励んで魔導士団に入団し、功績を上げて次期魔導士団長の座まで上りつめた。
 
 エイレーネ王国の国王からは団長に就任する際には爵位の授与を考えていると言われているため、その折を見てコルティノーヴィス伯爵家から除籍してもらおうと思っているところだ。
 
 ヴェーラと家族の繋がりを絶った方がお互いのためになる。
 そう考えているのだ。
 
「ええ、ヴェーラ様はこのところ働き詰めでしたので休むことになさいました。お体を崩してはいけませんからね」
「その貴重な休みに俺が会いに行っていいのか?」
「もちろんです。シルヴェリオ様はヴェーラ様の唯一の家族なのですから」
「……」

 リベラトーレの一言に、シルヴェリオは口の中が苦くなった。

 確かに血は繋がっているが、そのような間柄ではない。
 心を休ませようとしている時に会えるような、気安い関係ではないのだ。

 あくまで腹違いの姉弟。
 正妻の娘と愛人の息子なのだ。

 その証拠に幼い頃からヴェーラとは他人も同然の距離感だった。
 自分よりも目の前にいる秘書のこの男の方がよっぽどヴェーラと親しいだろう。
 リベラトーレとはそれなりに軽口を叩いているが、自分とは事務的に言葉を交わすくらいでよそよそしい。
 
 憎悪を向けられたことこそないが、好意があるとは思えない。
 ――そう悩む度に、無関心なのだろうと何度も結論付けた。

「そうそう、ヴェーラ様がフレイヤちゃんにぜひお会いしたいって。弟のシルヴェリオ様が任命した専属調香師に興味津々なんだよ」
「えっ?! 私ですか……?」

 突然話を振られたフレイヤは思わず身構えてしまう。
 まさか自分の名前が挙がるとは思わなかったのだ。
 貴族の――それも伯爵家の当主に会うのは気が重い。
 
 不安に揺れる榛色がシルヴェリオに助けを求めたが、シルヴェリオは同情する素振りが全くなかった。
 いつもの淡々とした表情のまま、「ふむ」となにかに合点したように呟きを零す。
 
「いつかは商談で紹介する予定だったからちょうどいい。これから会いに行こう」
「え、ええと……今日は掃除用の服装で着てしまったので、後日でもいいでしょうか?」
「服装は気にしなくていい。姉上には事情を話しておく」
「でも、埃まみれですよ?」
「埃を落とせば問題ない」

 シルヴェリオがパチンと指を鳴らすと、フレイヤの周りにふわりと風が起こる。
 風はシャボン玉をのせており、フレイヤの服の表面を撫でると消えていった。

「さっきの魔法って、もしかして……無詠唱で二属性魔法の同時発動をしたんですか?!」

 フレイヤはパッと顔を輝かせ、子どものようにはしゃいだ。

 この世界では誰もが生まれた時から魔力を持っており、呪文を唱えると魔法が使える。
 基本は学校で魔法を学び、大抵の者は一度の魔法発動に一属性の魔法を使える。
 ニ属性同時に発動できる者は稀で、できたとしても発動に時間がかかる。それをシルヴェリオはいとも簡単に短時間でやったのだ。
 
「ああ、その通りだ」
「二属性魔法を簡単に発動させるなんて……シルヴェリオ様って本当にすごい魔導士なんですね!」

 無邪気に褒めてくれるフレイヤの笑顔と称賛の言葉に、シルヴェリオは固まってしまった。
 彼の胸にこれまでには感じたことのない感情が宿り、ムズムズとしたのだ。

 パルミロがニヤニヤと口元を歪めつつシルヴェリオを小突いた。
 
「相変わらずシルの魔法はすごいな。さすがは次期魔導士団長様!」
「……揶揄うな」
「おだててるんだよ」
 
 シルヴェリオはコホンと咳ばらいをして、フレイヤに向き直る。

「屋敷では今日の午後のティータイムに合わせてチェリーケーキを作るそうだ。せっかくだから茶と一緒に出すよう言っておこう」

 ここ最近、フレイヤとの契約を守るためにシルヴェリオはコルティノーヴィス伯爵家の執事長と頻繁にやり取りをしている。
 コルティノーヴィス伯爵家お抱えの菓子職人にフレイヤのおやつを作らせるために連絡を取るのが主だが、ティータイムや夕食に出すデザートで運べるものがあればついでにフレイヤに渡すように言っている。
 そのためコルティノーヴィス伯爵家のおやつのラインナップを把握しているのだった。
 
 シルヴェリオは契約通り、菓子を毎日届けている。
 直接届けに来ることもあるが、だいたいは多忙なシルヴェリオ代わって家臣や部下が届けに来るのだ。
 
「チェリーケーキと言えば……他国からつい最近入ってきたばかりの甘酸っぱいチェリーと濃厚なチョコレートの組み合わせが至高の一品と噂の宝石のようなケーキ……」
「まだ食べたことがないのか?」
「はい、平民区画にあるカフェにはないので……」
 
 フレイヤはしゅんとしおらしくなった。
 他国からエイレーネ王国に来た菓子職人が広めたばかりのケーキはまだ平民たちにはお高く、フレイヤは存在こそ知っているもののお目にかかれたことはない。
 
 がっくりと肩を落としている彼女に、シルヴェリオは追い打ちをかける。
 
「屋敷に来たら食べられる」
「ううっ……そうですけど……」
「もちろん今日の夜の分の菓子は他に用意させる。チェリーケーキは特別手当だ」
「特別手当……」
 
 魅力的なご褒美をちらつかされたフレイヤは小さく呻く。
 シルヴェリオがフレイヤに手を差し出すと、フレイヤは躊躇いつつも自分の掌を乗せた。

「……同行させていただきます」
「よし。今すぐ屋敷へ向かおう」

 そう言い、シルヴェリオはフレイヤの手をやんわりと握った。
 
「まさかケーキに釣られるなんて……」
「フレイちゃんらしいなぁ。追加の菓子で完全に落とされたな」
「なんと言いますか……フレイヤさんってパッと見は落ち着いた美人に見えるけど意外とお茶目なんですね」
 
 瞠目したリベラトーレの視線や、ガハハと豪快に笑うパルミロの揶揄いたっぷりな視線や、茫然としているレンゾの視線がフレイヤに集中する。
 いたたまれなくなったフレイヤはぎゅっと目を閉じて視線から逃れた。
 
「……言わないでください……」

 顔を真っ赤にしているフレイヤを見たシルヴェリオが、そっと微笑みを浮かべる。
 その表情を見たパルミロが瞠目するのだった。

 「シル、お前……いや、何でもない」
 
 ――お前、そんな顔を人に向けられるんだな。
 口を突いて出てきそうになった言葉がいささか無粋に思えたから飲み込んだ。
 
(フレイちゃんを迎えに行った時に何があったのかはわからないが、シルはすっかりフレイちゃんを気に入ったようだな)

 いや、あの表情は気に入ると言うよりも惚れていると表現してもいいかもしれない。
 
「二人とも、店の方は俺とレンゾさんの二人でなんとかするからコルティノーヴィス伯爵と心置きなく話してくるんだぞ」
「ありがとう、パルミロ。今度奢らせてくれ」
「おうよ、楽しみにしておくよ」

 パルミロは手を振ってフレイヤとシルヴェリオを見送る。
 
 シルヴェリオが乗ってきた馬車に二人が乗り込むと、リベラトーレもそそくさと同乗した。
 
「それでは、コルティノーヴィス伯爵邸へ向かいましょう」

 御者が手綱を握り、馬が嘶く。
 三人を乗せた馬車が、ゆっくりと動き始めたのだった。
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