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32.あなたに魔法をかけます

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 そして迎えた、夜会当日の朝。

「どうしてっ……どうしてなのですか?!」

 私は今、ヴァルター公爵家のメイドたちに追いつめられている。やがて背中が壁についてしまい、絶望した。
 もう逃げ道がない、と絶望に駆られる。

「奥様からの指示ですので!」
「王太子殿下からのご命令でもありますので観念してください!」
「腕がなりますわね!!!」

 ヴァルター公爵家のメイドたちが取り囲んでくる。
 公爵夫人のご厚意で支度はこちらの邸宅でお世話になることになったのだが、着いて早々にメイドたちに取り囲まれてしまった。

 にこやかなメイドたち。しかしその笑顔を向けられると足が竦んでしまう。
 彼女たちの影が伸び、ユラユラと揺れているのだ。

「私の優先順位ではクラッセンさんの支度が一番なのですっ!」 
「確保しました! 連れてゆきます!」

 柱にしがみつけども剥がされてしまう。
 必死の抵抗も虚しくズルズルと引きずられて連れていかれてゆく私を、フローラさんと公爵夫人はニコニコとして手を振って見送るのであった。

 今日は初めての仕事で迎える初めての大仕事。
 乙女ヒロイン候補を素敵に磨き王子様と引き合わせる大切な日だ。

 結びネクトーラの魔法使いの礼装を着てフローラさんの支度をしたかったのに……。
 ヴァルター公爵夫人は、「準備に時間がかかるから」と言って先に私の支度を始めるのだ。
 
(そうすると、ドレス姿で魔法を使うことになってしまうわ)

 形にこだわってはいけないとお師匠様は言っていたけど、初めての仕事だからこそ礼装を着て結びネクトーラの魔法使いらしい姿で魔法を使いたかったものである。
 
(裏方の支度に時間をかけなくてもいいのに)

 お師匠様なんて、いつも魔法でポンポンポンと着替えていたのだから、私もそうするつもりだった。

(ヴァルター公爵夫人の厚意を無下にするわけにもいかないけれど、ううっ……)

 湯あみからマッサージまでしていただいてドレスを着せられる。これまで他人にお風呂に入れてもらったことなんてないものだからそれはそれはもう羞恥心が沸き起こる事態だった。

 ヴァルター公爵家のプロフェッショナル集団は私の抵抗なんて意に介さずあれよあれよという間に磨きあげてゆく。

 最後に髪を結い上げらる時、メイドのうちの1人がトレーを持って来た。その上には白い薔薇の花が一輪載せられている。
 真っ白ですべすべとした花弁。小ぶりなその薔薇の花は、どんな高価な装飾品よりも美しい。

「髪結いのために特別に用意された花でございます。こちらをつけさせてください」
「ええ……ヴァルター公爵夫人にお礼を申し上げないといけませんね」
「ご用意されたのは奥様ではございませんよ」
「ではどなたですの?」
「ホフマン様です」

 どくん、と心臓が鳴った。

(オスカーが、私に?) 

 きっと聞き間違えだろう。

「ほ、ホフマン様が私に持ってこられたのですか?」
「ええ、今宵の夜会のためにと」

 メイドは平然とそう答えた。

(どうしてオスカーが、私が夜会に行くことを知っているの?) 

 誰かが彼に話したのだろうか。それなら、誰から聞いたのか確かめないといけない。

(殿下にも確認しないと……)

 もしかして、私が失敗して彼に知られてしまったのだろうかと不安になる。
 思い当たるような記憶が全く無いけれど、ちゃんと確認しないと後々何か起こってはいけない。

(それにしても、オスカーはどうして私が夜会に行くと知ってこの花を用意したのかしら?)
 
 白い薔薇。
 花言葉。
 深い尊敬。
 私はあなたにふさわしい。

 彼に限って花言葉なんて考えたりはしないだろう。
 偶然聞いて、偶然良い白い薔薇があったから持って来てくれたに違いない。

 特別な意図なんて無くて突拍子のないことをするのが彼だ。
 深い意味は無い。
 思いつきだろう。

 支度があらかた終わると、最後にヴァルター公爵夫人が部屋の中に入ってきた。
 その手には、宝石箱を持っている。

「夫からのお願いがあってね、どうかお義姉さまの形見をつけて欲しいそうなの。良いかしら?」
「クラウディア王妃殿下の……恐れ多いです」
「夫の我儘をどうか聞いてあげてくださいな」

 夫人はそう言うと、紅い宝石が散りばめられたネックレスを私の首にかけた。
 揺れる宝石の重みを感じた。
 

 ◇


「わぁ~! リタさんとっても素敵です!! 私の作ったドレスを着てくださった御姿を見られて感激です! 針子冥利に尽きます!」

 フローラさんは目が回りそうなほどに私の周りをぐるぐると駆けまわる。
 あまりにも俊敏な動きに、視線が追いつかなくなった。

 はしゃぎすぎてヘロヘロになってしまった彼女を見ると、自然と口元が緩んでしまう。
 先ほどまでオスカーのことで胸の中がモヤモヤとしていたが、彼女のこの姿を見ると心が軽くなった。

(私は今から、この人のために魔法を使えるんだ)

 ようやくその時が訪れてとても嬉しい。
 私が選んだ、そして大いなる力に認められた、心清い乙女ヒロインにとっておきの魔法を贈る。

 彼女の物語を陰ながら支えられる大役を与えてもらったのだ。
 気持ちを切り替えていこう。

「フローラさん、今から魔法をかけます。素敵なヒロインになれる魔法を」  
「よろしくお願いします……!」
 
 ゴホンと咳払いして姿勢を正す。
 今日はいつもの魔法と違うのだ。

 乙女ヒロイン候補を素敵にする魔法は歌を歌って行うのである。この歌が大いなる力に届くと力を貸してくださるのだ。

 小さい頃はこの魔法のために毎日お母様と発声練習をしたり滞在先の合唱団に入って歌の練習していたものである。

「さあ時間だよ♪
 目を開けて
 お日様もお月さまたちもお星さまたちもあなたが輝くのを見守っている
 さあ素敵な時間を楽しんできて
 あなたは主役
 今もこれからもあなたがこの世界を変えてゆく
 さあ微笑んで
 あなたの笑顔をみんなが待っている
 笑顔でみんなを照らしてあげて
 さあ一緒に歩んでいきましょう
 素敵な物語があなたを待ってる
 あなたは幸せをもたらす人」

 歌に合わせて指を動かせば、フローラさんの服がドレスに変わる。
 淡い若草色のドレス。肩から胸元にかけてはふんわりとした大きなフリルがかかっている。
 ウエスト部分は後ろに艶やかな大きなリボンをつけている。ウエストから下は二重になっており、花の装飾が散りばめられた透け感のある生地が色違いの生地を覆っているのだ。

 さらに指を振ると、彼女の靴は宝石が散りばめられたヒールに変わる。それらは歩くと揺れて星のように輝く一品なのだ。
 これは私からの贈り物。宝石のように目を輝かせるフローラさんにぴったりだと思って選んだ。

 さらに指を滑らせると、彼女の髪が結い上げられてゆく。
 首元を出すようにまとめて、後れ毛を少し垂らせた。
 編み込んだ髪には白を基調とした小花を散りばめる。

 フローラさんと視線がかち合う。
 微笑んで見せると、彼女も微笑み返してくれた。

 ちょんちょんとつつくように指を動かすと、彼女の彼女の耳にイヤリングが現れる。瞳と同じ色の緑色の宝石がついたイヤリング。

 続いてなぞるように指を動かせば、チョーカーが現れて彼女の首につけられる。真珠や緑色の宝石が揺れる華奢で繊細なデザインのチョーカー。ほっそりとした彼女の首によく似合っていると思う。

 最後に窓の外に指を向けると、真っ白な馬車と白銀の馬、そして淡い空色の髪の御者が現れる。
 この馬は大いなる力からお借りした生き物。普段は大いなる力と一緒に天空に住んでいる神聖な生き物だ。

 そしてこの御者の名前はルルノア。彼もまた、大いなる力にお遣いする特別な存在。人間ではない。
 お師匠様の話によれば、全く歳を取っていないのだという。これまで数多くの結びネクトーラの魔法使いの仕事を手伝われてきたそうだ。

 歌い終わるとヴァルター公爵夫人が椅子から立ち上がり、割れんばかりの拍手をしてくださった。
 こんなにも喜んでいただけるとこそばゆい。

 彼女はフローラさんを姿見の前に連れて行った。

 フローラさんは目をぱっちりと開けて姿見を覗き込んだ。黙ってまじまじと見ている彼女。

(どうだろうか?)

 ドレスがお気に召したか不安になる。そわそわとした気持ちで彼女を見守っていると、

「フローラさん、とっても素敵よ」

 ヴァルター公爵夫人が微笑んでそう仰った。 

「ありがとうございます! こんなに素敵にしていただいてすごく嬉しくて……言葉が上手く出てきません」

 フローラさんはふにゃりと笑って見せてくださった。
 その言葉で充分だ。私は嬉しくて胸がいっぱいになった。

 やがて王宮に出発する時間になった。
 馬車に近づくと、ルルノア様が降りてきて厳かに礼をされた。私も彼に挨拶を返す。

「リタ・ブルーム、久方ぶりですね」
「ルルノア様。またお会いできて光栄です」
「主に代わりあなたの初仕事への祝福を」

 そう言って彼はかがんでおでこに口づけを落としてくださる。
 彼の顔が近づくと、花の香りがした。

 彼はいつも優しく接してくれる。
 幼い頃に乙女ヒロイン候補の夜会に付き添うお母様を待つことがあったのだが、その度に私を膝の上に乗せて相手してくれていた。

「さあ、行きますよ」

 王宮を目指して馬車は動き出す。

「あ、あの……リタさんにお話したいことがあるんです」
「いかがなさいましたか?」
「その……夜会が終わってからお時間いただけますでしょか?」
「ええ、いいですよ」

 フローラさんはほっとした表情になった。
 その瞳が揺れているのが気にかかる。
 
 無理もない。彼女は今日、生まれて初めての夜会に行くのだ。
 それも、王城に。

 私は彼女の手を包み込む。

「大丈夫ですよ、あなたは素敵なお方ですもの。いつものようにお話されると殿下も微笑んでくださいますわ」
「ええ……」

 ゆらゆらと揺れる視線。
 私は安心させるように微笑んで見せた。

 窓の外では夜の帳が降りて月が姿を表している。
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