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1章
生きたい?帰りたい?①
しおりを挟む帰るべき場所はない。帰るべき理由はある。
「お兄ちゃん」
自分をそう呼ぶのは七歳下の妹だけだ。
ふんわりと柔らかい髪の感触。黒よりも少し茶色が混ざった髪色も丸い瞳も全部、母親に似ている。
年が離れていることもあって可愛かった。にこにこと笑いかけてくる小さな存在。妹は優に守らなければいけいないという使命感を与えたのである。
それまでぼんやりとしていた人生に色を与えてくれた。
「きょうははやくかえってきてね」
朝、玄関まで追ってきた妹がそういって送り出してくれたのが最後の会話だ。
約束守れなかった。でも、あの素直な妹はずっと帰るのを待っていてくれているだろう。早く帰らなければいけない。悲しませることはしたくない。
「優」
そういえば――あの男も、どうしているだろう。
似たような名前だが性格は全然似ていない。腐れ縁。迷惑ばかりかけられている。最低なやつだが不思議と嫌いではなかった。
死ぬのであれば最後にあの男の馬鹿面を見ておきたかった。
意識を取り戻した優の目の前に広がるのは白と金色の天井だった。
夢は終わっていない。
事態は深刻だ。身体は鉛のように重く、指先一つ動かすことができなかった。瞼を開けているだけでも辛い。視界がぼやついたり、黒く影ってしまったり、虚ろだ。睡眠導入剤を飲んだような浮遊感である。
酷い眠気。しかし眠ってしまえば死ぬ。アジュアはそう言っていた。
「いいざまだな」
目覚めに見るには吐き気を催す顔だ。
ベッド脇に佇むのは伊坂だ。死にそうな優とは違い、元気そうで反吐が出る。残念ながら口も動かないので言い返す術はない。
「俺は気分がいい」
運動部だけあって身長も体格もあるので寝た状態で見上げているとさらに大きく見える。
爽やかだといわれている笑顔はどこへ消え去り、蔑むような表情を惜しげもなく晒していた。お前のファンが泣くぞ、いるかどうかは別として。優はどうでもいいことをぐるぐると考える。やっていられないのだ。
ゴミクズを見るような顔をしていたかと思えば笑顔を見せる。情緒不安定だ。爽やか好青年の定評があるようだが最初から現在まで頭のおかしいやつだという印象は変わらなかった。
始まりはいつ頃だったのかは覚えていない。
昔から素行が悪いせいで色々と絡まれることもあった。男友達よりも女友達が多いせいかよくそういった方面でも誤解されてしまう。誰かの女を寝取った、などと難癖をつけてくるような人間の一人と考えていたがどうも違った。
この男は単純に優を嫌っている。視界に入れるたびに毒づいてしまいたくなるほど嫌っているようだ。理由は聞いたことがない。知る必要もなかった。
基本無視をしていればそのうち飽きるかもしくは諦める。
だが、伊坂だけは違った。年々エスカレートしていく嫌がらせ行為。優がいくら平和主義だと言えども許容範囲がある。
苦手な人間がいても、嫌いになることがほとんどない優を不愉快にさせるほど男の行為は陰湿で執拗だった。
「このまま死ぬか? それとも助けてほしいか?」
そんな相手に命を握られているとしたらどうだろう? いっそのこと殺してほしいと思ってしまうのも無理はない話ではないだろうか。
ここ数年で一番の逆境に立たされていると言ってもいい。
虫唾が奔るほど優しい声と顔で男は選ばせるつもりのない選択を迫ってくる。
起こったことがすべて現実だとして、優は伊坂の存在を無視することができない状況下に置かれてしまったのだ。これまではその他大勢で分類できていた関係だった。しかし、渡人の二人として繋がりが生まれ、優にとって伊坂という存在が必要であるという条件まで整ってしまっている。他者を挟むことで遠ざけることができていたがもう通用しない。
同じ世界を知り、価値観を持っている。自分が何者であるのか証明するのは伊坂しかおらず、また、男を証明するのも優しかいない。
「ああ、そうか話せないんだったな。忘れてた」
伊坂はこの事態を喜んでいる。
それもそうだろう。常識が異なる場所であれば常識にとらわれず優を追い詰めることができるからだ。この世界の倫理観は知らない。だが、優が生きるためには伊坂が必要であるという事実が免罪符になってしまう。
ベッドに腰がけた伊坂は動かないでいる優の顎を片手で掴んで押さえつけた。喉もわずかに圧迫されて呼吸が苦しい。嫌でも意識がはっきりしてくる。
辛うじて視線を動かすことができた。
真上から見下ろしてくる男は白い歯を晒して口端を釣り上げる。
「せっかく二人だけなんだ。助け合わないと、な?」
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