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1章
吐き気がする①
しおりを挟む「死んでなかったんだな」
挨拶代わりに嫌味をいうのは人として終わっているのでお前が死ね。
反応すると相手の思うツボなので口にはしない。
「はい。全力を尽くしました。もし亡くなられていたら僕の首が飛んでいたところです」
「……えぇー」
さらっと狂ったことを言う青年はアジュアという名前だ。
肌と同化しそうな白い衣服によって瞳よりも深く沈んだ藍色の髪が引き立つ。
目覚めてから盛大なドッキリをしかけられているのかもしれない可能性を疑った。
しかし、部屋を出た廊下の窓に広がる見慣れない景色や飛んでいる大きい鳥――しかも、その上には人が乗っている姿があり――我が目を疑うが夢から覚めることはない。CGではという優の願いをアジュアは砕くように目の前で手から炎を出して見せた。肌を焼くような熱気と明るさ。その後すぐに手のひらの上で氷の花を作り上げたのだ。「お城でも作りますか、作りません?」「いや、いいよ」残念そうにアジュアは氷の花を握り込んだ。
砕けた氷の欠片が宙を舞う。頬を掠めたそれが冷たくて驚く。本物だった。
呆然としている優をアジュアは置いて行ってしまう。慌てて追いかけた。
2人以外の足音はなく、誰も廊下を歩いていない。それどころか他の人間の気配すら感じられなかった。静かすぎて落ち着かない。
知りたいことはあるが上手く言葉にできず質問もままならず、どこか夢見心地でいる。
現実感がなかった。
そうしているうちに殺風景な廊下の終点。大きな扉の前に辿り着く。両開きの扉はゆっくりと開いていった。
扉はシンプルな作りであったが開かれると現れた視界には映画のセットのような部屋が広がっている。外国の貴族がお茶を飲んで談笑しているシーンが思い浮かんだ。
古めかしく高そうな家具類で統一された内装。品があるというのはこういうものをいうのだろう。だが、優の好みではない。
高そうなアンティークの椅子に伊坂は堂々と腰かけていた。家具と不釣り合いだ。床に這いつくばる姿のほうが好ましい。同じ白い衣服を身に纏っている。不本意ながらお揃いになってしまっているので今すぐ脱ぎたくなったが寸前で衝動を抑えた。
伊坂を認識したことで頭の中が一気に冷静になっていく。
「渡人というのはそれだけ重要な存在なんです」
向かい側に座るよう促されて優も椅子へ腰かけた。
すでに用意されていたティーセットをアジュアは触れた。ただ触れただけ――それだけなのに、勝手に動き出したティーセットを凝視してしまう。宙に浮いたティーポットが傾いて、近づいてきたティーカップに注がれている。触れようとすると躱された。
生きているみたいだ。
「これまで彼らによってもたらされた贈り物によって我々の世界は大きく変化してきました」
ティーカップが優の前にある受け皿へ着地する。
紅茶のような色合いをしているそれを飲む気はしなかった。得体のしれない相手から出されたものに口をつけるのはあまりにも軽率だろう。誘拐された可能性だってまだあるのだ。
「プレゼントなんて持ってきてないけど」
勝手に角砂糖が浮いてカップの中へ飛び込んでいく。甘いものは好きだけど勝手に入れないで欲しい。
「ぷれぜんと?」
スプーンまで勝手に回っている。全自動。便利だ。魔法の類だろうか。次々に起きる現象を現実として受け止めるべきかわからない。
「あー贈り物?」
二人の傍らに立ったアジュアはなるほど頷いた。
――しかし、先ほどから不思議に思う。
なぜ、この世界は異世界というのになぜ言葉が通じているのか? 違和感なく受け入れようとしていたがよくよく考えるとおかしい。
室内にある棚の本は複雑そうな文字が印字されていて読めなかった。しかし、会話としては成立している。意思疎通を図る上で問題がない程度には通じているのだ。
矛盾している。
まだ、優は信じ切れていなかった。異世界だと――そんな、漫画みたいな話があるわけがない。ドッキリだとしてもこんな意味不明な世界観にするだろうか? 訳が分からない。
「ここは日本じゃなく、ましてや地球でもないということなんですか?」
伊坂は質問を投げかけた。彼の前にもティーカップが置かれているが飲んだ様子はない。湯気もなくなり冷めきっている。表情は読めない。
「二ホンが貴方たちの生まれた世界なのですね」
興味深そうにアジュアは言葉を噛みしめていた。
渡人。異なる世界から訪れた人間のことをそう呼ぶらしい。渡人は神の贈りものとして敬われる。
神からの贈りもの、地に降り立ち、種を巻いた。
芽吹きし生命、渡人により色を変え、咲き誇る大輪。
三度の贈りものにより散りし花弁、大地に新たな庭を作りて神を招き待つ。
微睡みの庭、神と渡人の再訪を待ちわび眠る。
語られた伝承。壮大な話にどこか気後れしてしまう。というよりも半分も頭に入っていなかった。
「異世界に来たっていうのなら、会話が普通に成立してるのもおかしいじゃん」
「私たちの使っている言語については渡人から伝えられたものが変化し、定着したものなのです。こうやって会話できるのも先ほどから古代語をお話されているからです」
不意にアジュアは指を鳴らした。するとお菓子のようなものが乗っている皿が現れた。
何もない空間から突然現れたぞと優は瞬く目を押さえる。消えない。幻ではなかった。
「俺たちの言葉が古代語、なら……ああいった文字は古代語が変化して生まれたもの……?」
「そうです。そうですよ」
伊坂の指差した先を辿ると本棚。
伝えられた言葉は無数にあったらしくすべてを伝え、残していくのは難しかったようだ。必要なもの以外はすべて淘汰された結果、残された言葉たちが混ざり合ってできたのが本に書かれた文字たち。
「古代語は複数存在しており、幸い私は古代語がいくつか理解できます。だからこそ、このお役目に就きました。よかったです。私で分からなければ特区外から学者を呼ばなければいけませんでした」
ふわふわと飛んできたティーカップを手のひらに乗せて、こういったお茶も渡人がもたらした種から生まれたのだとアジュアは説明してくれる。
紅茶。優たちにも馴染み深い名前だ。
「しかし、ほとんどの人間は古代語は話せませんからまずは私からご説明をさせて頂いております。本当に運がよかったんです。発見されたのが聖域だったから、誘拐されたり、殺されたりされなくて済んでいるんですよ」
喉が渇いたのか紅茶を一口。休題。
さらっと聞き捨てならない言葉を言われてぎょっとした。
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