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第4章 独身男の会社員(32歳)が長期出張から帰還するに至る長い経緯

第14話「求婚、そして答え」

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「渡辺さんっ、凄いっ、凄いですっ!!渡辺さんがこっちに来てからまだひと月しか経っていないのに、社内全体の業務ペースがもの凄い勢いで上がっているんですよ!!」

 昼休みの時間になって色々とチームの面々を誘ってみたが、誰一人として手を止めようとしてくれなかったので仕方なく一人で社内食堂でやっすい定食を食べていたところ、きつねうどんを盆に乗せた佐々木の姉ちゃんが俺の対面にズドンと腰を下ろしていた。

「今の私の仕事はこの急激に改善された業務の調査なんですけど、どの職場を調べても要因の殆どは渡辺さんのチームへ辿り着くんです!!」

 いや……チームを仕切っているのは実質、副主任の平野と主任の先輩なんだけどな。

「重役さんたちも、ここのところこぞって渡辺さんの話題ばかりみたいで、前に副社長が『現場一つ変えられん管理職などもう要らん!係長の椅子にも目もくれず現場で奮闘している渡辺くんを見習え!』って豪語していたらしいですよっ!!」

 おいおいおいおいおい、ヤバいな、奮闘どころか一人お先に昼飯食ってるよ俺。

「そういや重役さんで思い出しました。お父さん―――じゃなかった、佐々木専務が話があるみたいで渡辺さんを探してましたよっ」

「って!!そう言うことは早く言ってよ!!専務を待たせてんのかよっ!!」

 俺は途中だった定食も食べかけのまま慌てて席をたつ。

「あれ、渡辺さん残しちゃうんですか?じゃあこれ、私貰っちゃってもいいですか?」

「い、いや……良いも悪いも、食べ残しだよ?それ」

「今や時の人、渡辺係長の食べ残しを貰えるなんて仕事運に恵まれるみたいな何かにあやかれそうじゃないですかっ!」

 別にあやかれねえよ。




 そんな感じで慌てて食堂を出た俺は専務室へと猛ダッシュした。

「忙しいところ申し訳ない。まあ腰を掛けてくれたまえ」

「失礼致します……ところで専務、どのようなご用件で?」

 取り敢えず言われた通り椅子に座った俺だが、佐々木専務は俺が所属している部署とは直接関係していないので、正直呼ばれることに心当たりが何もなかった。

「うむ……まずは此度の件において、現場指揮者としての君の手腕を認めざるを得ないと言っておこう」

「はあ……、それは恐縮です」

 チーム川島が再結成してから現場を仕切ったことなんて何一つないけれど。

「一番ネックだった一部の現場が急激に改善され、尚且つそれに尻を叩かれるがごとく、今や社内全体の作業進行予測が著しく見直され、当初誰もが不可能だと思っていた期限内での達成が見えつつあるようになっておる」

「それが君の功績によるところが大というのは、私も決して認めないわけではない」

「しかし、だ。それはあくまでも現場指揮者としての才覚であって、役員レベルで評価し得る性質のものではないのも確かだろう」

 ん?……つまり、何が言いたいのだろうか、この人は?

「……この短期間で実績を見せ、また野望の一環として私の娘を手懐けた君の戦略は見事だ。こうなってしまった以上とやかくは言うまい。しかし何れ婿として私の椅子を明け渡さなければならないとしても、現場上がりにも関わらず若くしてここまで膨れ上がった君の野心に答えるのは余りにも危険なのだ」

 婿?野心?……なんだそれ。専務は俺と他の誰かを間違えているのではないだろうか?


「仰っている意味が良く解らないのですが、私としましては本社でやり残したこともありますので、出来れば一日でも早く元の場所へ戻して頂きたいと思っています」

 俺が本心を包み隠さず述べた瞬間だった。

 バコンと専務の机に打撃音が響く。

「きっ、貴様は私の娘を本社へ連れて帰るとでも言うつもりかっ!!」

 えっ!?なんで急にキレてんのこの人!!

「九州支社の役員では飽き足らず、私の娘を本社での自分の地位に利用するだけのつもりなのかっ!!それは九州の鬼と言われる私と知っての狼藉かーーー!!!」

 怖い、怖い、怖い!!

「すんません、すんません、すんません!!何が何だかわからないけど、本当にすいませんでしたっ!!」

 興奮している専務に誤解を解くのは不可能だと判断した俺は這う這うの体で専務室から逃げ出したのだった。



「ふふっ、それは本当に災難だったわね、純一くん」

 自分の職場に戻った俺は、ようやく昼休憩にありつけてコーヒーブレイクしていた真希先輩に愚痴を溢していた。

「災難じゃないですよっ!あの形相は本当に鬼でしたっ!結局言ってること意味わからなかったし!」

「私には何となくわかるけど……野心にも女心にも疎い純一くんにはわからないでしょうね」

「自分ではそんなに疎いだなんて思っちゃいないですけど……」

「疎いわよ、貴方は。……そんな朴念仁な純一くん、今晩ちょっと話したいことがあるんだけど飲みに付き合ってくれるかしら?」

「もちろん俺の方は暇ですけど……真希先輩の仕事は大丈夫なんですか?」

「ええ、今進めている作業が一区切りつきそうだから今日は2週間ぶりにみんな定時上がりよ。純一くん週間予定表をちゃんと見てないの?」

 だって、俺のことなんざ何一つ書いてないからな。

「ってことで、店は予約しておくからよろしくね」

 わかりましたと改めて真希先輩へ承諾の意を示した俺は、定時までこれといってすることが無く、営業と一緒に取引先への作業アドバイスに付いていったりして、その大半を缶コーヒーを貪るなどをして午後を過ごした。


※ ※ ※ ※ ※ ※

 
 終業時間を迎えた後に真紀先輩が連れて行ってくれたところはこの前のツケの効く居酒屋ではなくて、気品漂うお洒落なバーだった。

「まずはこの2週間無事に乗り切れたこと、本当にお疲れ様」

 互いのグラスをコチンと鳴らし俺たちは乾杯する。

「俺は別にお疲れでも何でもないですけどね」

「そんな不貞腐れなくてもいいのっ、純一くんはそれ以上に意義のあることをやってのけたのだから」

「―――で?わざわざこんな場所に連れてきたってことは、いよいよ俺もお役御免ってことですよね。はいわかりました、今までありがとうございました」

 不貞顔を指摘された俺は益々不貞腐れてしまう。

 主任の真希先輩はともかく、副主任の平野なんぞはデスマーチの最中ひとりだけのんびりしている俺をやっかいに思っているに違いない。

「何言ってんのよ、確かに主任間では純一くんに手伝って欲しいと言ってる輩も沢山いるけど毎回私は回し蹴りで一蹴しているのよ。それに純一くんがメインで仕事を持っていないことを知っている課長もそろそろ正式に係長に就任したらどうか?って言っているらしいけど、純一くんはそれを嫌がっているみたいだしね」

「嫌ですよ、管理職なんてガラじゃないですし。それに今回の大案件が片付くまでは自分の身の置き所を自分の裁量で決められるって最初に保証されてますしね」

「本当はね、あんな顔して平野も純一くんに凄く感謝しているのよ」

 そりゃねえな。だってアイツ俺のスマホが鳴っただけでギロって睨んでくるもんな。

「私の言っている事を疑っているのね?チームのみんなの無茶な要望を関係各所にしっかり取り付けてこられる人なんて純一くんしかいないのよ。平野もそれにどれだけ助けられたことか……」

 まあ確かに他職場や取引先の顔を立てて解っていながら無駄を生むなんてことは多々あることだ。今の俺にはそこら辺をちゃんと折り合いつけてやるくらいしかやることが無いし、それに全力を尽くしているつもりだ。

 特に営業の言いなりになっていたら軽く見積もっても5日は作業が遅れていただろう。

「貴方が火をつけたことが今はそれが社内全体に広がっているんだから、私としてはまだ係長の椅子にふんぞり返ってもらうわけにはいかないのよ」

「そりゃどうも。……じゃあ話があるって何のことだったんですか?」

 俺がそう言うと、真希先輩は一度座っているカウンターの机に視線を落とした後にゴクッとグラスに残った洋酒を一気飲みして俺の方へ体を向けた。

「ええ、そう、そうね。話っていうのは―――」

「―――今の仕事が終わったら……純一くん、私と結婚してくれない?」


 え。


「えっ、え?―――え?」

「私は貴方が居ればなんだってできるって改めて思わされたわ。今はこの年になって今更ながら色々なものが輝いて見え始めたの。九州こっちに来てから今までの長い期間は何だったのっていうくらいに」


 仕事馬鹿と言われてきた俺がこれからも仕事と共に生きていくのに、自分の結婚相手として真希先輩なら願ったり叶ったりの人だろう。

 一人の女性としても勿論、なんせ俺のかつての想い人であり年を重ねて更に魅力に磨きが掛かってる程だ。

 自分の苦労がわかってもらえる。

 相手の苦労もわかってあげられる。

 分ち、合える。

 でも。


 それでも、今の俺には―――

 それに対して素直に答えることが出来なかった。


「あの、いえ、その……俺……俺……」

 
 これ程までに情けない男はいないだろう。しかし、真希先輩はそんな俺を見てクスリと笑う。

「ふふっ。言わなくていいわ、わかってたから。九州《こっち》に来てから今まで貴方の心が此処にないことくらいわかってたから」

「……あっちにいるんでしょう?貴方の大切な人が」

「私はね、本当を言うと同じように今の仕事が終わったら、って平野から求婚を受けていたのよ。『一度は牙を剥いて傷つけてしまった。だから今後一生は自分が守りたい』って……武士のような男よね、平野って」

「私はその言葉にきちんと向き合う前に、きちんと向き合う為に、自分の心に決着をつけておきたかっただけだから、貴方はその先の言葉を私には言わないで頂戴」


 俺は真希先輩の気持ちを理解した時から、ある人物がずっと頭の中に浮かんでいた。


 それは、一番自分の苦労をわかってくれている人で。

 それは、一番自分のことをいつも心配してくれている人で。

 それは、多分一番自分の事を色んな意味で想ってくれている人で。

 そして、それはそのことをわかったうえで、きちんと叱ってくれる人で。


 俺自身もずっと支えていきたい人だった。



 もし、それが許されるのならば―――


 これから先もずっと―――


 未来の先に至るまで―――


 俺は恭子と共に生きたい。
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