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第4章 独身男の会社員(32歳)が長期出張から帰還するに至る長い経緯
第5話「様々な想いと再会の乾杯」
しおりを挟む佐々木さんに連れてこられた居酒屋で彼女と入れ替わるようにして再会した真希先輩から『渡辺係長』と呼ばれたことがどうしても我慢できなかった。嫌悪感すらあった。社会人としてはそれが普通のことだとわかってはいるけれど。
理屈じゃないんだ。
「立場上あなたを『純一くん』と呼ぶことは決してできないわ」
「どうしてですか?別に同じ会社に勤めているだけで、必ず役職名で呼ばなければいけないわけでもないでしょうに」
そう答えたのに対して、真希先輩は何故か『何をとんちんかんなこと言っているの』という目付きで俺を一瞥する。
「貴方ひょっとして、課長からのメールの添付ファイルを見てないの?』
「えっ、添付ファイル?あー……」
仕様が無いじゃん、こっちの課長からメールが来たのは一昨日のことだし、その時はなんだかんだめっちゃ忙しくて内容を確認するのが精一杯で、なんか添付されているなと思ったがそのまま開くのを忘れていた。
「すんません、見てないです」
俺がペコリと頭をさげたことによって、ようやく彼女が呆れたように肩の力を抜いてくれたような気がした。
「……ほんっとうに慌てん坊なのね、今でも。あの頃から相変わらずだわ」
そう言って、フッと寂し気な笑顔を見せて言葉を続ける真紀先輩。
「あのね、課長が付けた添付ファイルには―――」
「待ってください!!」
俺は彼女の言葉の途中を遮ってまで言っておきたいこととやっておきたい事があった。
「えっ?」
「俺は真紀先輩の背中を追い続けて7年も待たされたんですよ!先輩に認めて貰えるように頑張ってきたのに、ここへ何度も出張して来る度にいつも『こんどこそは会って貰えるだろうか?』って期待していたのに、そんでもって今ようやく再会できたんですよ!!」
「ちょっ、ちょっと待―――」
俺が大声を出したことで周囲の視線を気にしたのか、真希先輩はキョロキョロ視線を動かしながら俺を制止しようとする。
「待ちませんよ、真希先輩がここに座ってくれない限り」
座敷に座っている俺は座敷の外で立ちっぱなしで話をしていた彼女にそう言った。
「座るって……貴方誰かと一緒に来ているんじゃないの?」
まあ、テーブルに並べられた料理を見れば普通はそう思うだろうな。
「えっと、確か今日こっちに来たんなら総務の佐々木さんと一緒のはずよね?社内では英雄召喚の為に生贄として捧げられたとか何とか、もっぱらの噂だったわよ。殆どが貴方への僻みなのだろうけど」
英雄召喚、生贄て……俺は九州では英雄扱いなのかよ。そんで佐々木さんは生贄なのかよっ!!
「佐々木さんはただ空港まで迎えに来てくれただけですよ」
まあ、その後かなり遊んだけど。
「そんで会社が費用を負担してくれるみたいだし、ついでに晩飯も一緒にってなっただけで、ビールのたらふく飲んで料理が揃う前にお父さんから帰宅命令ですよ!あの年で門限って!!……ってそんなことはどうでもいいんで、俺は一人ですので座ってくださいよ!折角の会社の奢りなんで一緒に飲みましょうよ!!」
よくよく考えると、先輩こそ誰かと一緒の来る予定だったのかも知れなかったが、そんなことに気が回るほどの余裕は無かった。
「わかったから、わかったから少しは落ち着きなさい」
そう言って、ようやく彼女はヤレヤレと靴を脱いで座敷の上に上がってくれた。
「店員さん!!生大ふたつ大至急で!!」
「本当に忙《せわ》しい人ね」
「あの頃の貴女に比べたら全然ですよ」
「あの頃か……」
「そうです、あの頃です……だから、7年ぶりの再会を祝して―――」
俺は店員さんから受け取った大ジョッキをそのまま彼女へ向けて宙に掲げた。
「ん、かんぱぃ」
俺の付き出したソレに真希先輩は当たったのか当たらなかったのかわからないくらいの申し訳程度にジョッキを接触させては、言葉尻が窄みながらもそう言ってくれた。
そして彼女はグビ、グビグビと数回に分けて大ジョッキのビールを飲み干した。
「……ごめんなさい。貴方が出張で来ていた時、連絡がくれても断っていたけれど、別に会う時間も無いほど忙しかったわけでもなかったし、用事があったわけではなかったのよ」
「ただ、その時の私を、今の私を貴方に見せたくなかった。……見られたくなかった」
詫びながら俯き弱音を溢す先輩は、怖いもの知らずのあの頃だったら全く考えられないほどに弱々しい姿なのだけれど、それがどことなく艶やかで美しくも感じられた。
なるほど。
先輩は見知らぬ土地にきて上手くいかないことが色々とあったんだ。
「多分調子に乗っていたのよ、最年少の女性チーフとか呼ばれて。本社のときは大半の人が年上だったし部下もいなかった。それがチーフになると同年代、年上の男性の部下だっているのよ。やっかみが無いはずも無いわよね」
「出る杭を打たれながらもなんとか歯を喰いしばって、主任の座にしがみ続けるために上司にも部下にも媚びを売ったわ。功績こそ立てられなかったけれど、ギリギリのところでチームの体裁を維持しながら凌いでいたところに九州支社全体の大きな失敗によって、連なるように私のチームも完全に崩壊してしまったの」
「今やもう、私のチームには真面目に仕事をしてくれる人もいなければ、私の言うことをまともに聞いてくれるひとすらいないのよ。それでも意地になってしがみ続けて来た主任の椅子だけれど、それを奪われるのが大切に育てた……つもりの、且つての後輩くんなのがせめてもの救いだわ。……本当に情けない先輩だけれどね」
ん?今……何つった?
「え?先輩……それって、まさか―――」
「課長の添付したファイルは貴方が配属になるチームの社員名簿なのよ。それを確認してくれていたら、その中に明日付けで主任から降りた私の名前にも気づいたハズなのにね。まあ、私も最初に貴方がチーフとして来ると聞いたときは驚いたけれど、ましてやチーフとして現場入りするのが決まっているのに係長への特進なんてね、そんな前例今までにあったかしら?」
「と、いうわけ。だからなのよ……だからこそ直属の上司の貴方を立場上『純一くん』だなんて呼べないの」
ああ。
そうか、そっか。
凄い凄い偶然だけど、また一緒に……この人と一緒に仕事が出来るんだ!!
「店員さん!大ジョッキふたつお代わり!超特急でっ!!」
俺だって、勝手に過大評価をされて詳しくも無い土地で見知らぬ人たちと共に崩壊した現場を立て直せだなんて不安要素ばかりだったんだ。
でも、真希先輩と一緒だったら絶対に成し遂げられるとの確信が俺の中に芽生える。
「真希先輩、もう一回ジョッキを持ってくださいっ」
本当に超特急で店員さんが持ってきてくれたジョッキを再び言われるがままの先輩に持たせ、俺も残っていたビールを一気に空にしてから新しいジョッキの取手を力強く握り狙いを定めた。
「改めて、再び俺が真希先輩の元で働くことが出来ることを祝して―――乾杯ッ!!!!!」
今度は遠慮なく行った。
佐々木さんを見習って遠慮なく行った。
ジョッキの中身が2/3は弾け飛んだ。
慣性の法則によってビールの飛沫は俺にこそ掛からなかったが、並べられた料理も先輩の綺麗な顔もビショビショだ。
「何すんのよ!!もうっ!!って……なんで貴方が私の元で働くのよ、逆じゃない!ギャグ言ってんの!?」
あっはっは!!
それでこそ真希先輩だ!
「逆じゃないですよ、ギャグでもないですよ!」
添付ファイルは見落としていたが、その時の俺へのメールは俺が配属先予定の課長に打診したことへの返信だった。
「配属先に誰がいるかなんて知らなかったですけど、俺は初っ端から主任業務はできないので、事前に課長へ主任補佐として配属させてくれって頼んでいたんですよ。真に受けずに流されたのかも知れないですけど、既にキチンと承諾は受けてます。だから役職としての立場は違えどチーム内での上下関係では先輩の下で働かせて貰うことになるんですよ」
「はぁぁっ?そんな常識外れなこと聞いたことが無いわよ。主任業務が最初から出来ないことなんて当たり前じゃない、だから元主任の私が貴方の補佐役で飛ばされずに残っているんだからっ」
「嫌だなぁ……そんなこと、真希先輩が新入社員の俺に教えてくれた色々なもっと常識外れなやり方に比べたら全然マシじゃないですか~」
真っ赤になってプルプルと震えている真希先輩を見て、俺はここぞとばかりに調子に乗った。
「九州に来て、丸くなっちゃったんじゃないですか?川島主任っ」
まあ、あれだ。
元々なんとしても半年でいるべき場所へ戻らなければいけない俺にとって、直々に現場を指揮し続けるわけにはいかないんだ。
常識外れなことは重々承知だが、常識的なやり方で現状を覆せるのであれば外部の俺が呼ばれるはずもない。大変、大変申し訳ないことではあるが、真希先輩には皺の2、3が増えるくらい更に頑張って頂こう。
「そういや、ワイシャツが濡れてブラが透けちゃってますぜ!年柄も無くまたまた可愛いのつけちゃってますね~先輩♪」
「一体!誰の所為よっ!!!!!!!!」
セクハラにはなるかもだけど、主任と主任補佐の立場から言えばパワハラにはならないだろう。
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