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幕間1 回想録 姫ちゃんが渡辺純一を好きになるに至る長い経緯―――姫紀side

第15話「誕生日の前日Ⅱ」

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 私は直樹から恭ちゃんが踊れなくなった経緯を聞いて以来、面向かって彼女に会うことを控えていた。

 直接会って彼女の顔を見てしまったら、植松の家から受けたトラウマを想像してしまったら、と考えると私の感情が爆発しそうになる。

 なんとかそれを抑えていられたのは、直樹の言った『ナベさんを信じて任せて欲しい』の一言があったから。

 私は彼らを、渡辺さんを信じることにした。

 それでも、この誕生日プレゼントだけは直接会って渡したかった。短い期間でありながら幾度も手直しさせて作らせたオーダーメイドの水着。

 時間を理由に妥協を許したくなかった私がギリギリのところでOKを出したのは、カリスマデザイナーから『このビキニ&パレオを資料写真の女の子が着て似合わないと言う人がいたら私は引退する』との開き直った言葉を受けたからだ。

 しかもそれが夜明け前にバイク便で届けられたことから本当にギリギリの完成だった。

 そして相葉さんとの話し合いで誕生日の前日に2人でお祝いするって決めており、折角の水着のプレゼントなんだからと、彼女は市民プールで遊ぶというお膳立てまでしてくれたのだ。

 だから何としてでも今日は恭ちゃんに会いたい。

 私は鏡を見て『大丈夫よ』と自分に言い聞かせる。

 だって、渡辺さんと直樹を信じてみるって決めたのだから。


 しかし、今まで立て続けに起きていたラッキーもここに来て鳴りを潜めた。

 恭ちゃんを祝うために出かける準備をしていた早朝に学年主任からスマホに連絡が入ったのだ。

「えっ?三田原くんが他校の生徒と乱闘騒ぎ……」

『まあそういうことだから吉沢先生、近くの交番で身柄を拘束されているみたいなので詳しい事情を確かめてきて欲しい。本当に困ったことをしてくれたものだ』

 つまりは今から自分が受け持つクラスの生徒の身柄を引き取りに行けってことだ。

 なんで、三田原くんも今日に限ってこんな夏休みの朝っぱらから問題を起こすのだ。

 さあ、どうするか。

 何か適当な理由を付けて、他の人に行かせようか。

 この学年主任に行かせてもいいし、野々村先生に頼む手もある。

 今日と言う日はそれだけ私にとっても、恭ちゃんにとっても重要な日なのだ。他の用件と天秤にかけられるような程度の軽さじゃない。
 
『もしもし……吉沢先生?聞こえていますか?』

「あの、すみませんが―――」

 そう言いかけた瞬間。

 ―――ビッチな私とて、教師としての矜持がある。
 
 私の心の師であるビッチ先生の言葉が頭に浮かんだ。

 彼女はいつだって分け隔てなく生徒たちを愛していた。だからこそ教師らしからぬキャラクターでありながらも皆から慕われているのだ。
 
 私が他生徒を見捨ててまで恭ちゃんをお祝いして、それで教師として恭ちゃんに誇れるのだろうか。

 恭ちゃんから誇りに思ってもらえるのだろうか?

 答えは否だ。これではビッチ先生が嫌う下衆野郎そのものだ。

 私は既に恭ちゃんの叔母としてはこれ以上の無い、最悪なことをしてしまっている。

 せめて恭ちゃんの担任教師としては彼女に認められる人間でありたい。

「―――、いえ、はい、わかりました。今から交番へ向かいます」

『それでは頼みました。それにしてもウチの生徒が乱闘騒ぎだなんて学校の名に傷をつけられでもしたら堪ら―――』

 ピッ。

 下衆め。

 会話途中で通話を切りながら呟いたその言葉に、もう少しで自分もそうなりかけていたんだと思わされる。

 私は下を向き床を見ながら重い足を動かした。

 予定より早くマンションから出て、相葉さんの家へ向かいながらスマホでメッセージを送り事情を説明した。

 そして、相葉さんに恭ちゃんの誕生日プレゼントの水着を預けて即座に交番へと向かう。

 家の近くで彼女に会った時に『センセも大変だね、タカフミ大丈夫かな』と心配していた様子だったので、私の選択は決して間違っていなかったのだろう。

 教師としての矜持。

 もし、私が異なる選択をしていたならば、かつて私を救ってくれた野々村先生(初代)にも顔向けできなかったに違いない。

 
 色々な思いを頭に巡らせながら目的地である交番に到着すると、そこには警官の他にボコボコになった3人の他校の生徒と少しだけ傷をつけていた三田原くんがいた。

「やっ、あなたが三田原くんの担任の先生ですか?いやぁ、お美しい――ゲフン。いやいや、ええと、乱闘中のところを本官がたまたま通りかかりまして事情を聞いているのですが、その3人も口を開かず、彼も愛だの正義だの意味のわからんことを言うだけでして……」

「そうですか、それはお手数をお掛けしまして申し訳ございません」

 警官の話でわかったことは高校の補習を受けにいく登校途中にコンビニでたむろしていた不良チックな3人の男子高校生と朝のランニング中にコンビニに寄ろうとした三田原くんが喧嘩をしたということくらいだ。

 こうなれば直接、彼らから聞き出すしかない。

「三田原くん、喧嘩の理由は何かしら?」

「せんせぇ……俺、俺ッ……こいつらがコンビニで『多胡中央に転校してきた神海ってのがやたら可愛いらしいぜ、補習なんてフケて俺たちで攫っちまわねえ?』なんて言ってたのが聴こえたから、神海が襲われると思って、ついっ、カッとなっちまって……こんなことに……俺、俺ッ、サッカー部クビになっちまうのかなぁ……?」

 何、ですって……

 私は自分でも驚くほどのもの凄いスピードで首を振り、相手の3人を睨みつけた。

「あ?知らねえよそんなこと」

「そうだそうだ、仮に言ったとしても冗談に決まってんだろ」

「先に掛かってきたのがソイツだから、俺たちは正当防衛だ!」

 彼らは口々に言い放つ。

「ふむ、どうしたもんですかねぇ……彼らの言うことのどちらが正しいのか、嘘か本当かもわかりませんし……ん?すみません、ちょっと失礼」

 私たちと対面していた警官が外の奥に目を向けて退席した。

 もし、私がそのコンビニで彼ら3人の発言を耳にしていたならばこの程度じゃ済まなかっただろう。冗談か否かを無視して社会的に存在できなくなる程度の報復は実行していたはずだ。

「俺らは絶対に許さねえぞ、コイツが部活をクビになるまで多胡中央で叫びまくってやるわ」

「モチ、こいつの家に乗り込んで慰謝料の請求も―――」

 彼らの二人目が話しているこの途中が、私には耐えうる限界だった。

「黙りなさい。そしてこれ以上口を開くな、この下衆野郎共」

「なんだと?ああ?証拠もねえのにお前ぇ……教師のくせしやがって!!」

「いや、先生の言う通りだ。これ以上無駄口を叩かない方が良いぞ。……それにしても先生も顔に似合わず過激ですなぁ」

 いつの間にか戻って来ていた警官が彼らを制した。

「さっき、外に居た人から手招きして呼ばれたんだが、三田原くんの言っていたことは本当らしい。その子もコンビニの駐車場でその発言を聞いていたがお前たち3人が怖くて言えなかったみたいだ。わざわざこの交番までついてきてくれてお前たちに気づかれないように機会を伺っていたのだとさ」

 警官がそう言うと彼らは開き直ったように、また口々に口を開く。

「チッ、言ったかもしんねえけど、冗談に決まってんじゃねえか、なあ」

「そうだぜ、そんなワルノリ普通じゃんかよ」

「殺すって冗談言った奴が、みんな本当に殺人を犯すわけねえだろ。冗談冗談」

 この悶着を切り崩すにはどうしたらいい?

 私は目を瞑り、深い記憶を呼び起こす。

 ―――第8巻63ページ目。

 ビッチ先生、もう一度だけ我に力を。

 パッと開眼した刹那、私は彼らのそばに放置してあった学生鞄を手に取って机の上にその中身をブチ撒いた。

「ちょッ……オイ!!」

「これは……」

 中に入っていたおっかない物に、流石の警官もそれを凝視する。

 更に私はその中にあった一つであるスマホを手に取り、素早く中に保存されていた写真を探る。

「……この画像に映っているのはウチの生徒の神海さんよね」

 流石にこれは不味いと思ったのか、彼らはムムッと口をつぐんでいた。

「あーあー、どこで手に入れたのやら、警棒やスタンガン、それに『攫っちまおう』との発言に加えてその対象者の写真まで……こりゃ数え役満だな。立派な強姦暴行未遂の証拠だ、流石にお前らも説教だけで済むと思っていないよな?」

 警官の追い込みにて彼らのつぐんだ唇は更に直線を描き、顔色がみるみるうちに青ざめる。

「先生、ここからは本官にまかせてください。今のところはもう三田原くんを連れていってもらって構いませんよ。また何かあったら事情を聞くかもしれませんが」

「感謝します。……それと、恐れずにも情報提供してくれた方へお礼を言いたいのですが……」

「ん?あっ、それはですね、ここで言ってしまうと彼らに……」

 そう言うと警官は少し離れた場所でコソコソと私に耳打ちした。

(……アレはブラフです。元々そんな子はいなかったですよ。ちょっとそれらしい演技をしてカマを掛けさせてもらったに過ぎません。実は裏でタバコを吸いに行っただけですわ)

 なるほど、それがこの世界の常とう手段らしい。如何にこういったことの場数を踏んでいるのかが解る。

(まあ、しかし先生の方にこそ驚かされました。ここまで証拠が揃っているなんて余程カンが良いのか、余程生徒さんのことを信じているんですな)

 私のはただがむしゃらにビッチ先生の真似をしただけだった。

 私の耳から離れた警官に合わせるようにして礼を述べる。

「そうですか、わかりました。後日その方のところへ伺わせていただきます」

 そして元の場所に戻ろうとすると、まだあの3人が足掻くのを諦めてなかったようで、再びこちらに食い下がっていた。

「待てよそこの先公!勝手に俺の鞄を奪ったのは罪にならねえのかよ!!」

 私はこの救いようのない下衆共に、今度は直接鉄槌を下してやろうかと思っていたら、またもや警官が間に入る。

「何言ってんだお前。この鞄はさっき情報をくれた子がコンビニに忘れていたと届けてくれたものだ。多分お前たちの誰かの鞄だろうとは思ったが、一応持ち主を調べる為に中に入っていた物を俺の代わりに確認してくれただけじゃないか」

 相当無理のあるでっちあげだったが、彼らの低能さには丁度良かったみたいだ。

「おいっ、鞄を置き忘れてくるなんてそんなヘマしたのかよっ?」

「え?いやっ、あれ?す、すまん、急にポリが来たから慌てててさ……」

 ここまでブラフに引っかかる彼らに多少は哀れさを感じるも、それでも恭ちゃんに対して非道な計画を企てていたことを思い出すと、殺意を抑えるので精いっぱいだった。

「それじゃあ、行きましょう。三田原くん」

 これ以上彼らと同じ場所にいては自分の精神が保てまいと、私は三田原くんの手を取って交番を後にした。


 交番から結構な距離を離れて、ようやく自分にも落ち着きが戻って来たと感じたころに、不安と後悔の念が押し寄せる。

 三田原くんが体を張ってまで恭ちゃんを助けたというのに、渡辺さんが必死になって恭ちゃんを救おうとしているのに、私は口ばっかりで何一つ出来ていないじゃないか。

 もし、私が選択を誤って相葉さんと一緒にお祝いに行っていたら、証拠不十分で解放された彼らが後日に恭ちゃんを襲っていたかもしれない。

 そう思うと、ガクガクとした足の震えがとまらなかった。

「せんせぇ……先生っ!俺、俺ッ、先生が居なかったらどうなってたか……ありがとう、俺を助けてくれてっ。俺ようっ、先生が俺の先生でほん……とうに、よがっだ、うれじいよ、俺、うれじいよっ」

 今まで不安で口を開けなかったのか、ここに来てようやく喋りだした三田原くんの言葉尻には嗚咽が混じり、ボロボロと涙を落としていた。

 でも、本当に泣きたいのは私のほうだ。

 私は握っていた手を放し、彼へ向き合って深く深く腰を曲げた。

「三田原くん……本当に、本当にありがとうございました。神海さんを救ってくれて感謝の言葉もありません」

「え゛っ―――」

「そして、一つだけお願いがあります。神海さん……彼女にこのことを黙っていてもらえないでしょうか。もし……もし彼女がこのことを知ったら―――」

 ただでさえ暴力や非人道的な行いにトラウマを抱えている恭ちゃんにこれ以上の不安を与えてしまったら、もはやあの子の安息の地がなくなってしまう。

 それだけはなんとしてでも避けなければならない。

「それさえ叶えば、私は何でもしますから。私が三田原くんに何だってさせてもらいますから」

 頭を下げていた私には彼の表情はわからなかったが、ガシッと両肩を握られた強い感触があった。

「ぜんせぇッ!!なに言ってんだよッ!そんなのあだりまえじゃんかっ、いちいち神海にそんなこという奴なんて男の風上にもおけねえよっ」

 頭を上げた私が目に映ったのは、強い顔つきで見つめる彼の眼差し。

 しかし、その表情は徐々に崩れていく。

「でもっ、でも……俺、神海と同じくらいサッカー部が大事なんだ。もし……これが原因で部を止めちまうことになったら……俺、オレッ……どうしたらいいか……」

 そうか、三田原くんもずっと不安だったんだ。

 不安で不安で仕方がなかったんだ。

「大丈夫です、何があっても私が貴方を守ります。言いたくなければ今日のことはご両親にも言わなくていいわ、ジョギング中に転んだことにでもしておきなさい。学校にも警察にも私から上手く説明しておきますから」

「せんせいっ……先生ッ!!」

 抱きついてきた彼の背中を擦って泣き止んだころに私と三田原くんは別れた。


 時間的にはまだ恭ちゃんや相葉さんと合流できそうな時間帯だったが、私の心境的にはもうそれは不可能だった。

 恭ちゃんの誕生日を前日にして、私の精神は限界に達していた。

 今日の出来事が植松が行った愚行に重なり、踊ることでしか救われなかった恭ちゃんのトラウマがまるで我が身のことのようにと不安が襲う。

 不必要なまでに全然関係ないところにまでも、恭ちゃんのまわりには敵が存在している。

 マンションに帰りついた私はひとしきり泣いた。

 もう、恭ちゃんに踊りを取り戻すことなんて不可能なんじゃないか。

 無理なんじゃないか。

 神様なんて存在しないのではないか。

 
 それでも私は泣きながら祈る。
 
 それでも、それでも、三田原くんが恭ちゃんを救ってくれたように、、、

 渡辺さんが恭ちゃんの呪いを解き放ってくれるのではないかと、、、


 ただ、それだけを信じて祈っていた。
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