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第2章 独身男の会社員(32歳)が過労で倒れるに至る長い経緯

第22話「恭子の失踪」

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 俺が意識を取り戻したのは、あれから4時間が経過した後のことで見知らぬ場所の豪華なベットの上に横たわっていた。

「ん……んん。…………こ、ここは?」

 未だ重たい頭を横に向けると、絶句の状態で瞼が千切れんばかりに目を開いた姫ちゃんが居た。

「わっ、渡辺さん!!渡辺さん!!意識が戻ったのね!?」

 大粒の涙を浮かべた彼女が俺の右手を両手で握りしめている。

「貴方が倒れてからすぐに救急車を呼びまして、いつも吉沢の家が使用している多胡中央病院の個室へ運んだんです」

 なるほど、ここは吉沢本家ご用達の病院内VIPルームというわけか。

 道理でやたら豪華な部屋だと思った。

「……でも気が付いて、本当に良かった」

 姫ちゃんは握った手の指を絡ませながらしみじみと言う。

「心配かけて済まなかったな、姫ちゃん。……それに恭子にもミスコンを中断させてしまったな」

 俺が申し訳なさそうにそう言うと、姫ちゃんは鋭い目付きでキッと睨む。

「ミスコンのことなんてどうでもいいんですよ!あの子もそんなこと微塵にも思ってない!恭ちゃんは渡辺さんが倒れたのを真っ先に見つけて、救急車の中ではそれはもう、生気を失ったみたいに真っ青だったんですからね!!」

 そうだ。恭子はそういう子だ。

 以前に俺が高熱を出したまま恭子に嘘をついて会社に行ったことを思い出す。


―――おじさん、会社に行ってたんですか!あんなに熱があったのにどうしてですか!?

―――何で電話に出てくれなかったんですか?

『そんなに休むのが難しいなら、面談なんて来てくれなくても良かったのに』


 恭子があんなに豹変したのは後にも先にも他に記憶がない。


「ああ、俺が間違っていた。恭子にきちんと謝らないと……そう言えば恭子は何処に?」

 俺が素直に非を認めると、姫ちゃんは急に気まずそうな顔をする。

「い、いえ。渡辺さんも好きで苦労なされていたわけではありませんのに私ったら偉そうなことを言ってしまって申し訳ありません。恭ちゃんは……ええと?確かに間違いなく病院までは一緒に来ていたはずですが……」


 姫ちゃんが首を傾げて考えていると、とっちゃんが部屋のドアが勢いよく開けてこの部屋へ飛び込んできた。

「先生!!あっ、オジサマ気が付いたんだね!!って、それよりキョウがいないの。急にいなくなったの!!」

 とっちゃんの必死な様子に姫ちゃんは「はぐれただけで何をそんなに慌てているの?」と不思議な顔をしている。

 俺はとっちゃんの想像していることが解っているつもりだ。

 これはかなり切迫した状況かもしれない。

「1時間くらい前にキョウがお医者さんと話しているのを見てたんだけど、『特に命に別状はない』って言われたときはあの子凄くホッとしてたの」

「でも、お医者さんと別れた後は何か思い悩むようにブツブツ言ってて、このままキョウを一人にしちゃダメだと思ったから、私、今日は帰れないかもしれないって親に電話している隙にフッとどこかに行っちゃったみたいで……」

「キョウに電話しても繋がらないし、病院中探してもどこにもいないし、ひょっとしたらって思って夜間受付の人に聞いてみたら制服を着た女の子が病院の外に出たのを見たって言ってた!」

 とっちゃんがそこまで説明してようやく姫ちゃんも只事じゃないかもしれないと気づいた様子だ。

「ちょっと待って、あの子が外に出たってどういうことなの?相葉さん!」

「わかんない!わかんないけど……キョウ、ミスコンで『私が踊ると周りに迷惑がかかると思い込むようになった』って言ってたよね?それで、また踊れるようになったと思ったら、今度は踊っている最中にオジサマが倒れたんだよ?だから私はあの子が凄く馬鹿なことを考えている気がしてならないの!」

「きっとキョウは、ひとりになって踊ってしまった自分を責め続けているんじゃないのかなって……」

 恭子が急にいなくなった理由がとっちゃんの思惑通りのことだけであればまだやりようはある。

 でも、多分それだけじゃないんだ。

 あいつはもっと救いのないようなことを考えているんだと俺は思う。

 そしてそれは、倒れるまで休まなかった自分が短絡的でいてとても浅はかだったということを思い知らされる。

 結局俺は恭子のことを知ったつもりになっていただけで、ちゃんと心の奥を解ってやれなかったんだ。


「とっちゃん。多分恭子は俺から離れるために一人で出て行ったんだと思う」

 恭子が師匠たちと俺を重ねてしまったのだとすれば。

「恭子の両親が事故で亡くって、一年も経たないうちに恭子の傍で俺が倒れてしまったんだ。もし恭子がこのまま俺と一緒にいると、今度は俺を殺してしまう……なんて考えていたらそれは最悪だ」

 本当に最悪なのだけど、恭子がそう思い至る様子の想像が俺にはどうしても否定できなかった。

 俺の言葉を聞いた二人が瞬時に青ざめていくのは、その予想を肯定してしまったことに他ならない。

「オジサマ!どうするの?どうすればいいの?キョウはどこいっちゃったの!?」

 俺はベッドから足を下ろし立ち上がる。

「渡辺さん!ダメよ、起きたら駄目!あの子は私たちが必ず探し出しますから、貴方は絶対安静にしていてください!」

 姫ちゃんが必死に両手で抑えるが、俺はその腕を握って横にどかす。

「恭子を探すのは申し訳ないがとっちゃんに任せる。恭子はああ見えて頑固だから、今の俺が何を言っても戻ってきてはくれないだろう」

「え?じゃあ、オジサマはどこに?」

 俺は一歩一歩ドアに向かって姫ちゃんを押し出しながら進んで行く。

「姫ちゃんよ。ここから姫ちゃんのマンションは近いよな?悪いけど部屋とビデオカメラとPCを貸してくれ」

 姫ちゃんが「えっ?」と驚く。

「俺は既にこれ以上ないにまで恭子に心配をかけてしまったんだ。それなら更にとことん心配させてやる。誕生日にはとっちゃんからサイトに動画を投稿することを教えて貰ったけど、今度はあのサイトで生放送だ。あいつが戻ってくるまで何時間でも永遠に踊り続けてやるさ」

 俺がしようとしていることは、動画サイトを利用してリアルタイムに撮影したものを発信するという方法。

 2人が驚きを通り越して呆れるように怒り出す。

「なんて、馬鹿なことをいってんの!この大馬鹿は!?そんなことしたらほんとにオジサマ死んじゃうよ!」

 俺はとっちゃんの言葉には答えず更に話を続ける。

「とっちゃん、恐らく恭子が向かっているのは駅の西口2番線乗り場。あいつが俺の元を離れるとしたら帰る場所はひとつしかない。あの叔母の家だ。恭子が途中でウチのマンションに寄って荷物を取りに行っているとしたら、なんとか先回りできるはず。出来れば電車に乗り込む前に捕まえてスマホからあの動画サイトを見るように言って欲しい」

「だっ、だからオジサマ!そんなこと―――」

「とっちゃん、頼む」

「やっ、だからオジサマ!今の体で踊るだなんて、しかも繰り返してなんか絶対に無茶―――」

「とっちゃん、頼む」

「ああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!もうっ!!オジサマが生放送セッティングする前にキョウを捕まえてやるんだから!!」

 そう言ってとっちゃんはこの部屋から飛び出して行った。

 ありがとな、とっちゃん。


 そして残った姫ちゃんは悔しそうに俺へしがみついている。

「……私には説得しないんですか?」

「こんな言い方卑怯かもしれないけど、姫ちゃんもこの間まで咲子さんたちの事故が自分の責任だなんて抜かしてやがったんだ。今恭子がそれに似たようなことを考えているとすれば、それらは絶対に”間違っている”と今なら思えるんじゃないか?」

「そうよ、卑怯よ。そんな言い方……」

「なら卑怯ついでに言わせて貰おう。あんたが恭子から逃げ出そうとしていたところを、思い通りにさせてやるもんかと俺は邪魔しに行ったんだ。なら、今度は恭子にもあいつの悩み通りには絶対にならないってことを証明させなきゃいけないと思わないか?」

「っっ……だか、ら。卑怯ですか、らっ……貴方がそんな風に言うと、それが正しい事なんだって私が信じ込んでしまうじゃないですかっ!!」


 OK姫ちゃん、やっぱあんたは良い女だよ。
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