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第183話「少年は葛藤し、教師と溝を隔てる」
しおりを挟む六月十三日(月)十九時零分 真希老獪人間心理専門学校・食堂
一瞬、下田先生の眉が寄ったように見えた。
けど、けどしかし。
そんなことより、おいおいおい。
「かもしれませんね」だと?
お前はこの期に及んでまだ、そんな都合の良いことをのたまうってのか?
「君が…加害者? なんで? 殺人鬼に襲われたのは君の方だろう?」
両手も広げず、テーブルに体重を預ける先生。
「”Pepper”は誰にも関心を向けられずに育って、誰にも理解されずに生きてきました。ずっと孤独だったんだ。そのために、性癖まで歪めて。」
この学校は。
人心は。
「真希老獪人間心理専門学校は、そういう理解され難い性癖を理解し、手を差し伸べ難い人とも手を取り合う。そんな学校だから……だから…俺は入ったのに。なのに……俺は、傷だらけのあいつを、四人がかりで袋叩きにした。」
瀕死の𨸶先輩を入れて四人。その四人で、俺は”Pepper”に応戦した。𨸶先輩同様、酷く傷ついたあいつに。
「それは仕方のない事だよ。神室くん。”Pepper“は強かった。想定以上に。美神くんですら手に負えなかったんだから。」
宥める様な声を出す先生。
けど、その言葉。
「「仕方のない事」……? まるで、“多数性癖”みたいなことを言うんですね。」
気が付いたら、立ち上がっていた。
足に力が入ってないのに。不思議な感覚だ。
「あいつが強かったんじゃなく‼ 俺が弱かったんですよ‼」
静寂に包まれた部屋に響き渡る怒号。
それが俺の声だと理解するのに、何秒かかったかすらわからない。そんなにかかっていないのかもしれない。
「”Pepper“は確かに強かった。けど、その強さは破壊としての、殺戮としてのものじゃなく」
あいつは人殺しだ。襲い掛かってきたのもあいつからだ。
でも。
「あいつは、”Pepper“が人を殺すのは、他人の利己的意思のみで歪められた自分自身の存在を、それでも正しかったんだと証明するためだったんじゃないですか⁉ なのに…なのに俺は……それを理解しようともせずに寄ってたかって……」
本当だったら手を差し伸べなきゃいけないのに……俺は抑圧し、弾圧し、排除した。
全ての性癖を繋ぐ架け橋になると、そう決めたのに……。
やってることが”多数性癖“と変わらない。
これじゃあ、”Pepper“を殺したのは俺———
「神室くん」
肩に、強い力を感じた。
立ち上がった先生に、肩を掴まれていた。
そして。
「思い上がるな。」
酷く厳しい声色で、口調で、表情で先生はそう発した。
「そうだよ。その通りだ。君は弱い。弱い君が招いたのが、今回の結末だ。そして、弱いからこそ、君が考えるべきはそこじゃない。そこまで考える必要は、今の君にはない。」
依然、強い力で抑え込まれる肩、体。
「必要はない」?
無いのは必要じゃなくて、資格だろ?
「梶くんにも言われただろう? まずは自衛を最優先しろと。普通だったら、あのまま戦っていれば君は死んでいたんだ。四人がかりじゃなきゃ、君は今ここで呼吸をしていない。それは嫌だろう? 僕だって、君に死なれるのは困るんだ」
「⁉」
瞬間、先生の目が大きく見開く。
「困る」?
「嫌」ではなく「困る」……か………
「あ…いや……っとにかく!」
肩にかかっていた圧力から解放された。
先生はそのまま背を向けてくる。カップを持って、台所へと歩いていった。
「今日はもう寝なさい。今の君がすべきは、終わった事件について考える事じゃなく、心配してくれている人たちに元気な姿を見せる事だよ。」
心配してくれている人たち。
脳裏に浮かんだ女神の姿が、一瞬にして霞んで消えた。
「そうですね……」
声が、急に出なくなった。
「失礼します」
最低限の礼儀。頭を下げて、食堂を出る。
そのまま頭が上がることは、無かった。
六月十三日(月)十九時五分 真希老獪人間心理専門学校・食堂
「はぁ……」
静室と化した食堂に零れ落ちる溜息。
その主は当然と言えば当然、下田従士のものだった。
「僕ってば…本当に生きてる価値ないよなー……はは…」
洗いかけのカップがシンクの流し台に落ちると同時に、彼は力なく床へと座り込んだ。
(「思い上がるな」? 「もう寝なさい」? それは全部、自分に対しての言葉だろ?)
不意に、彼は髪を掻き上げる。
その動作は繰り返され、力は増していき、何度も、何度も頭を掻きむしっていた。
「弱いのは僕の方だ」
(今回の件、神室くんには何の非もなかった。ほんの一月前まで普通の高校生だったんだ。彼がまだまだ力不足なのは当然のこと。なのに、ね……)
徐々に血が滲み出てきた下田従士の黒くしなやかな髪の毛。
ふと、彼は反復動作を行っていた手を止めた。
(今回、非があるのは僕の方だ。彼の提案を大人しく止めていれば、こうはならなかった。学長の計略に加担することだって…なかった……)
「いや、それも言い訳だな……」と、彼は自嘲気味に笑った。
(神室くんだってまだまだ遊びたい盛りなんだ。こんな地下空間に閉じ込めておくだなんて酷だし、かと言って、”Pepper“の存在がなければ、学長の許可すら下りなかっただろうし。……結局、僕の監督不行き届き。油断に他ならない。予感は…あったのにねぇ……)
「最低だよ」
鉤爪のように曲げられた指先、血に塗れた手を眺め、口を歪めて泣くように笑う。
「いつも誰かのせいにして、言い訳ばかり。……しかも、こうして自己嫌悪してる自分に自己陶酔して、気持ちよくなって。生徒は僕のオナニー道具じゃないっていうのに……ってところでまた自己嫌悪と自己陶酔。ほんと、さいってー」
「とりあえず落ち着いてくださいよ。」
不意に響く彼以外の声。
慌てて振り向いた下田従士の目に映ったのは、台所の入り口に立つ嵐山楓の姿だった。
「……いつから居たの?」
「二人が食堂に入った時からです。」
抑揚もなく答える嵐山楓。
「早く言ってよ」と、下田従士はゆっくり立ち上がる。
「神室、随分落ち込んでましたよ。」
「知ってる。」
そう言って、余裕がないことに下田従士は自分で気が付いた。
「声、掛けられる雰囲気じゃなかったです。」
「声を掛けようと思ったのかい? 随分と仲良しさんになったじゃないか。」
辛うじて茶化す彼だが、嵐山楓の直向きな視線に向き合えずにいた。
「元から仲が良かったらしいですよ。」
肩を竦める嵐山楓。
下田従士はその様子に気付けずに、目を伏せ天を仰いでいた。
思考し、志向し、長考する下田従士。嵐山楓は、ただただ見つめていた。
「…………。…………。…………。………うん。」
長らく続いた思考は終わり、下田従士は手を叩いた。軽い音が食堂中に響く。
「やっぱりこのままじゃいけない。彼もだけど、勿論僕も。」
「?」
黙って首を傾げる嵐山楓に、下田従士は人差し指を立ててみせた。
「神室くんには、もう一段階次のステップに進んでもらうことにしよう。うん、そうしよう。」
「はぁ……」
気の抜けた嵐山楓の返事に、下田従士は満面の笑みを浮かべる。
「つきましては、嵐山くん。二十時きっかりに体育館へ来るよう、彼へ言伝をお願いしたいんだ。」
「えぇ……嫌ですよ。自分で言ってください。」
露骨に面倒くさがる嵐山楓に下田従士は背を向けた。
「そうしたいのは山々なんだけど……。………………心の準備と、許可がいる。」
「許可?」と、嵐山楓は首を傾げる。
「うん。梶くんの。」
「あぁ……」
納得する嵐山楓。
人心に籍を置く生徒たちの戦闘面を補助しているのは、基本的には梶消事一人だけだ(付きっきりなのは嵐山楓くらいだが)。
そしてそれは、神室秀青も例外ではなく、また、未だ基礎訓練を終えていない彼の訓練メニューを著しく変更しようと言うのであれば、当然、彼の許可が否応なく必要になってくる。
もう一段階次のステップ。
下田従士の言うソレは、梶消事の許可が必要なその条件を、ゆうにクリアしていた。
「………わかりました。」
嫌々。
実に嫌々、嵐山楓は言伝を請け負った。梶消事、その名を出されては、彼の中で拒否する選択肢は消え失せる。
「お願いします。」
至極丁寧に、手を合わせて頭を下げる下田従士。
その姿を認め、彼に背を向けた嵐山楓は、しかしその時点で既に、言伝を引き受けたことを大いに後悔していた。
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