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第180話「彩芽祐樹⑨」
しおりを挟む六月十三日(月)十八時五十一分 真希老獪人間心理専門学校・食堂
「神室くん、“パブロフの犬”って知ってる?」
「はい。」
先生からの突然の問いに首肯する。
“パブロフの犬”とは、昔行われたとある実験の結果を指す言葉だ。
犬に餌を与えると犬は反射的に涎を垂らす。次に、犬に餌を与える時に特定の音を聞かせると、餌を持たずとも、犬に特定の音を聞かせるだけで反射的に涎を垂らすようになるという。
このように、生物の生理現象、反射としての行動に習慣づけとして特定の事象を刷り込んでいくと、その特定の事象のみで、対象の生理現象、反射を引き出すことができるというのだ。
しかし、それが何だって言うんだ?
「実はね、この“パブロフの犬”に似た実験が昔に行われたことがあったんだよ。その実験内容というのが、①被験者の男性にポルノ写真を見せる。②被験者の男性に性的興奮が見られたら、今度は被験者の男性にポルノ写真と一緒に女性用ブーツも見せる。③それを数日繰り返した後、今度は被験者の男性に女性用ブーツのみを見せる。というものだ。」
なんだそのド阿呆な実験は。
「この実験の目的はね、ポルノ写真とブーツ、これらを同時に見せ続ける事によって、“パブロフの犬”同様の刷り込み効果で被験者の男性はブーツを見ただけで興奮するかどうかというものなんだけれど…パンパカパーン! 結果は見事! 被験者の男性は結果的に、女性用ブーツを見ただけで性的興奮を覚えるようになったそうだよ! やったね!」
お道化る先生。
なんだか変態量産実験みたい……っ⁉
「お、気付いたかい?」
口の端を吊り上げる先生。
「そうだよ。今、僕たちも実験には至っていないけれど、理論の段階として、刷り込みによる変態性の創造について研究している。全ての変態性は“パブロフの犬”的刷り込みのみで作り上げることが可能なのか? っていう感じにねー。これが成功すれば、変態の量産が可能だし、そうなれば、僕達人心の最終目的たる“多数性癖と少数性癖の懸け橋”にも一歩近づくんだ。普通性癖の人間に変態性癖を刷り込めばいいだけだからねー。」
「そんな…乱暴すぎますよっ‼」
軽い調子で言ってるけど、そんなのただの洗脳行為だ。いくらなんでも害悪過ぎる。
「ふふっ。そうだね。こんなの、乱暴すぎるし暴力過ぎる。」
堪え切れない様子で先生は噴き出した。
「勿論、そんなことはしないよ。絶対に。目的の為に主旨がズレてるし、倫理的にもやりたくない。それじゃあ真の意味での少数性癖の理解には繋がらないからねー。体に染みつくような性癖もあるにはあるけれど、それを体で教えるんじゃなくて頭で理解できるようにならなければ、ただの一時凌ぎ。未来に繋がる橋とは言えないよ。それに、デリケートな側面や暴力的な性癖だってこの世にはあるわけだしねー。あと、個人的には性癖と言うのは個人個人が各々の趣向に沿って生まれるべきだと考えている。全てが全て、他人に植え付けられていたんじゃ、本来の多様性が失われてしまう。全部が決まったモノになってしまう。これも、本来とは別のものだね。やっぱり養殖は駄目だよ。」
……なんだ、それを実践しようってわけじゃないのか。焦った。
「まぁ、そんなわけで」先生は片手を広げて話を戻す。「殺人鬼”Pepper”、彩芽祐樹は、性の芽生えである思春期に、幼少の頃より芽生えた暴力性を遺憾なく発揮していた。両親の存在・無干渉によって生まれた暴力性と表面的魅力と孤独感、それらを持つ自分自身に対する自己否定と自己受容の矛盾した均衡こそが彼の小動物毒殺に繋がったわけなんだ。そこに来ての性の芽生え。芽生え、と言ってもそこで簡単に自慰に走ったりとかはしなかった。元々、生まれつき知能が優れている人間ほど性に対して消極的だとも言われている。性欲の発散と言う動物的な行動によって、人間性を高く保っている自分が壊れていくのが恐いんだろうね。…笑えるよね。人間だって立派な動物なのに。そういう人たちは、人間を葦だと思ってるんだろうね。」
薄く笑う先生。
俺はあの言葉、好きだけどな。
「そして、彩芽祐樹も例に漏れず、性には消極的だった。とは言え、精通の準備を終えた体で性衝動を抑えるのにも限度があった。自身の性欲に見向きもせずに夜な夜な小動物を毒殺する彼だったけれど、度々性欲を感じるようになり、いつしか彼は、小動物を殺すことによって性的興奮を覚えているんだ、と感じるようになった。」
「刷り込みですね?」
俺の問いに先生は頷く。
「処理せずに放置した性欲。結果、性衝動は大きくなるばかりで、性的興奮は常に抱いた状態だった。当時から頻繁に行っていた小動物殺しとも、当然タイミングは重なった。ここで”パブロフの犬”さ。彼は性的興奮が小動物殺しからくるものだと感じ、いつしか、小動物を殺す度に性的興奮を抱くようになっていった。」
本当に、末恐ろしい限りだ。
自慰中毒患者である俺だって、いつそうなっていたかわからない。
「孤独を埋める、自我を保つための小動物殺しに性欲が結びついた。だから彼は、人間にも手を出すようになった。彼が初めて人に手をかけたのは社会に出てからなんだけれど、逆に遅いくらいだったね。容疑の絞り込みを恐れて、比較的自由に動けるようになってから殺人に手を染めた。高い知性故の計算高さがここで出たわけだ。」
そして、先生はコーヒーを一気に飲み干した。
「さて、彩芽祐樹——殺人鬼“Pepper”の【変態性】とは、では一体どういうものなのかって話なんだけれど」
「!」
自然と、姿勢を正す。
『パンドラの箱』に属していないにもかかわらず、あそこまで練り上げられた“性癖“の使い方。戦い方。
変態独特のこだわりの強さ。こだわりの強い変態。
”Pepper”の【変態性】は、どうしても気になってしまう。
「彼の変態性の根幹、毒精製能力を有するに至った【変態性】は、二つに大別できると僕は考えている。」
持っていたカップをゆっくりと置き、先生は口を開いた。
「一つは“反社会性パーソナリティ障がい”と呼ばれている病気。」
「病気……ですか?」
聞いたことも無い病名だけれど。
「この病気は、別の名で広く知れ渡っているよ。多分、君も聞いたことがあると思う。」
先生は不意に目を閉じた。
そして、その口から放たれた言葉。名称。
「反社会性パーソナリティ障がい。通称【サイコパス】。」
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