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第159話「致死量未満の快楽⑬」

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  六月十二日(日)十八時十四分 埼玉県大宮市・路地裏

 援護に徹すること。
 そんな信条を持つ嵐山楓の立ち合いは、全てが囮で、囮が全てで。
 そんな彼の援護を受けて、神室秀青は”pepper”の後ろを取った。
 握られた右手には勿論、局所集中させたエーラ。
 後ろを取ることは、戦闘で確かな有利を取ること。
 戦闘を支配する、と言い換えてもいい。
 だから。
 だから、なのだろう。
 この戦闘を支配しているのは、当然の如く、相も変わらず、”pepper”でしかなかった。
「———らぁっ‼」
 神室秀青の右拳を、”pepper”は軽快に、華麗に避けてみせた。
 体を回転させ、背後からの攻撃をいとも容易く。
 他人に本質的な関心はなく、あるのは、自身の欲望を満たすためだけの道具という興味のみ。
 そんな歪んだ他者への思惑は、彼に優れたエーラ感知能力を与えた。
 そして、攻撃を回避するのみに留まらず、回転させた体を勢いそのままに神室秀青の背後へと移動させる。
 回転。
 中国の武術などでは広く、この動きは基礎であり同時に極意である、と伝わっている。
 理想的な流れの運動で、力を正確な精度を持って操る動き。
 ”pepper”はそれを知らない。
 知らないが、実演し、実現して見せた。
 その事に関して、あくまでも囮として動いた嵐山楓のサバットを目の当たりにした影響が、全くもってない、とは言い切れないだろう。
 天才型。
 出来ないことを探す彼には、出来ないことがなかった。
 そして、後ろを取られた神室秀青。
 敗色濃厚。
 そんな四字熟語が脳裏を過った瞬間に、背後へと跳んだ。
 その先には、ナイフを振りかけた”pepper”。
 直後に、衝突。
 (こいつっ…ナイフを振り切る前にぶつかってきやがった⁉)
 背後の、見えもしない攻撃に対して体当たりでの防御。
 神室秀青の狂気にも似たこの行動は、しかしこの上なく理に適っており、”pepper”の攻撃を中断させると同時に自身の間合いへと距離を詰めた。
 本能のみの動きが頭で考えるよりも早く最適な解答を導き出す。
 自然界ではしばしば見られる現象だ。
 野生型。
 しかし、ここは神室秀青の間合いであると同時に“pepper”の間合いでもある。
 もう片方に握られたナイフが、神室秀青に襲い掛かる———のを、一気に振り返っていなす。
 ほとんど、反射のみの動き。
 そして、それはこの後も続く。
 “pepper”が繰り出す猛攻を、神室秀青は的確に確実にいなし、弾いく。
 彼は、戦闘中にもかかわらず別の事を考えていた。
 (嵐山は…出会った時からずっとそうだった。俺を助けてくれた時も、いつだったか、食堂で喋った時も、俺には関係ないって面で、こっちを見やしねぇ。腹が立った。心底腹が立った。けれど、なんとなく悪い奴じゃなさそうだったし、それでも助けてくれた奴だから、俺は仲良くなりたいと思ったんだ。)
 左斜め下より描かれるナイフの軌跡を、右斜め上へと逸らす。
 (この間の痴漢野郎の一件以来、少しは話してくれるようになったし、距離が縮まったと思ったんだ。でも、それは俺の勘違いだったかもしれなくて、さっきは頭に血が上って散々言い合いしちまった。仲良くなんてないとまで言われた。ショックだったし怒りが沸いてきた。けど……)
 頭上より振り下ろされるナイフを、左へと右掌底で弾く。
 (今までだってそれでも助けてくれてたし、戦闘だけじゃなく、今日。まりあさんとのデートだって、ずっとフォローし続けてくれてた。「へー。」とか「あ、うん。」しか言えてなかった俺を、さりげなく助けてくれてた。俺、気付いたんだ。嵐山がずっと達成できてない事。それは多分、エーラの感知。肌で感じるどころか、他人のエーラの質さえも、視ただけじゃわからないんだろう? ”変態性(キャラ)“がそうさせているのか、元々の性格からきてるのかはわからないけど、きっとお前は…他人に興味が持ててないんだ。でも、それでも、お前は、お前なりにお前の距離感で、他人を知ろうと、理解しようとしてる。努力してるんだ。なんだかんだ言いつつ今日俺に付き合ってくれたのも、きっとそうなんだろ?)
 交差する刃を後方に反って躱し、神室秀青は体勢を瞬時に立て直す。
 (嵐山、やっぱお前は凄ぇよ!)
 思考を排することで不自然を排する。
 不自然を排した先にあるのは、圧倒的自然。
 つまり、一切の無駄がない動きを、神室秀青は土壇場になって体現していた。
 戦闘中に行うべきではない思考を伴う事によって。
 彼は、普段もオナニー中に余計なことを考える癖があった。
 その習慣が、彼の命を救った。
 そして、それだけではない。
 (こいつ……)
 ”pepper”の振るう刃を払いつつ、神室秀青は右ストレートを放つ。
 顔面を狙った攻撃。
 ”pepper”はそれを紙一重で右に躱した。
 (動きがどんどん速くなってる⁉)
 スロースターター。
 ケツ上がり。
 “八分儀オクタヌス”逆撫偕楽の時もそうであったが、彼はギアが上がるのが極端に遅い。
 自慰中毒の彼らしく、非常にマイペースに彼は調子を取り戻していく。
 そして、神室秀青の真骨頂。
 自身に降りかかる危険を一切無視した、猪突猛進戦法。
 自然と整う条件。
 神室秀青の真価が発揮される舞台に、知らず知らずに”pepper”は立たされていた。
 それでも。
「…くく……くくくくひひひひひひひゃはははああああ‼」
 そこで笑うのが殺人鬼”pepper”。彩芽祐樹。
 彼の速度も、さらに向上した。
「っ⁉」
 神室秀青、最速の動き。
 それすらも上回る攻撃を、“pepper”は繰り出し始めた。
 土壇場での動作向上。
 別に彼は、スロースターターというわけではない。
 これこそ、彼の固有“性癖スキル“の真骨頂。
 いなし、弾き、躱し、逸らし、回避するのにも限界が見えてきた。
 次第にまた、押し返され追い詰められていく神室秀青。
 そんな中でも、彼は未だに考えていた。
 (あー…それでもやっぱ認めたくねぇ。お前は面良いし、スタイル良いし、頭も良いし、何でも出来るし、ムカつくし腹立つし冷静に考えると怒りが沸いてくる。認めたくねぇ……)
 左からの切り付けを上体を落として躱し、“pepper”の左手より繰り出される右上段から左下段へのナイフでの薙ぎ払いを、神室秀青は右手で弾く。
 その回避、その行動によってどうしても出来る隙。
「はっはぁー‼」
 ”pepper”の右手が、ナイフを逆手に持って再び神室秀青へと振り下ろされた。
 防御も回避も間に合わない。
 出来るとしたら、振り下ろされる腕を掴むぐらい。
 (認めたくねぇけど……)
 しかしそれでも、“pepper”は止まらないだろう。
 右手ならばいざ知らず、今出せるのは体勢的に左手のみ。
 それでも、彼の手は動いた。
 振り下ろされる腕を掴み、止めにかかるも、やはり”pepper”は止まらない。
 服を脱ぎ捨てた神室秀青の左肩に、毒を塗り込めた”pepper“のナイフが突き刺さる——直前で、ナイフが落ちた。
 ”pepper“が、ナイフを離していた。
「———っ⁉」
 直後に、”pepper”は何かに弾かれた様に右手を素早く引っ込める。
 “pepper”本人にも何が起こったかはわかっていない。
 それでも。
 ”pepper”の右手首には、小さな切り傷があった。
 頸動脈を少し外れた箇所に作られた小さな傷。
 たとえ痛みを無視・・・・・できたとしても、それでも人間である以上、生命活動維持に重要な支障をもたらすようなダメージを受ければ、脊髄反射で避けてしまう。
 殺人鬼と言えど、鬼ではなく人。
 (認めたくねぇけど……助かったぜ。)
 神室秀青の左手には、カッターの刃が握りこまれていた。
 嵐山楓に引っ張られた時、地に手をついて拾い、”pepper”の手首を掴んだ時に彼の頸動脈へと押し付けたのだ。
 しかし、それだと握りこんだ彼の手もズタズタになってしまう。
 それでも、生命活動維持には支障をきたさない。
 痛みを感じても避ける必要がない。
 神室秀青の、狂気。
 そして出来た、“pepper”の大きな隙。
 決定的な隙。
「ああああああああっ‼」
 エーラを込めた神室秀青の右ストレートが、“pepper”の腹部を捉えた。


 下田従士到着まで、残り百五十一秒———
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