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第152話「致死量未満の快楽⑥」

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  六月十二日(日)十八時九分 埼玉県大宮市・路地裏

「嵐山っ‼」
 神室秀青の雄叫び。
 同時に、走る。
「っ⁉」
 彼の声を聞いてナイフから視線を外した嵐山楓はようやく気付く。
 目の前の殺人鬼。
 ナイフを振り翳している。
 (こいつ……)
 咄嗟に身構えるも、間に合わない。
 ”pepper”の持つナイフが、嵐山楓に一直線に振り下ろされ———直後に神室秀青が両者の間に割って入った。
 間に合った。
 左手の甲で殺人鬼のナイフを弾く。
 いなす。
 しかし、“pepper”は右手を弾かれたまま一切体勢を崩すことなく、左手を自身のスーツの内ポケットに忍ばせる。
 取り出したのは追加のナイフ。
 その切っ先を神室秀青に向け、一瞬のうちに突き出す。
 今度は神室秀青が間に合わない。
 攻撃をいなした直後のタイミング。
 誰しもに起こる行動の反動による身体の硬直。
 一瞬の硬直を突かれた。
 が、そのナイフは彼の眼前で弾き飛ばされた。
 嵐山楓が両者の間に割って入って、そのナイフを大きく蹴り上げた。
 今度は嵐山楓が間に合った。
 瞬間。
 “pepper”はさらに次の動作へ。
 右手でズボンのポケットからナイフを取り出し、嵐山楓に向かって一閃。
 それを、神室秀青の放った右パンチが殴り落とす。
 刹那。
 今度は右手に握られたナイフを神室秀青に向ける。
 それを、すんでのところで嵐山楓が蹴り落とす。
 ここまでで、一瞬の攻防。
 時間にして僅か三秒。
 (こいつ……)
 (変な格好してるくせに…速ぇ!!)
 二人の頬を嫌な汗が伝った。
 それもそのはず。
 殺人鬼“pepper”は既に消耗しきっている。
 美神𨸶との戦闘で、体力面はおろか精神面もそれなりに削られており、自身の体を想うように動かせていないのだ。
 にもかかわらず、神室秀青と嵐山楓、二人の“変態性キャラ“持ち、エーラ持ちを相手にしながら、後れを取るどころか戦いを優位に進めている。
 二人は彼の攻撃を凌ぐので手一杯。
 どころか、段々と押されつつあった。
 二人は彼の消耗の理由に気付いていない。
 それでも、彼が本調子の動きではないことをなんとなく直感していた。
 故に、精神的にさえ後れを取っていた。
 その状況の全てを、僅かな距離を置いて俯瞰している心音まりあは見抜いていた。
 瀕死の殺人鬼“pepper”。
 それに遠く及ばない神室秀青と嵐山楓。
 倒れ伏す美神𨸶を抱きかかえた彼女がそこで取った行動。
 ポケットに入っているスマホを取り出し、通話をかける。
 相手は、下田従士だった。
『やっほー♪ 神室くんとのデート…ゲフンゲフンッ! みんなでお出かけはどうだった? ごめんね、ちょっと渋滞にハマって駅まではもうちょいかかりそうなんだー。』
 下田従士の状況を選ばない暢気な声が端末越しに届く。
「先生! “pepper”が現れました! 𨸶先輩は意識不明の重体で、シュウ君と楓君が交戦中です! 位置情報を送るので、助けに来てくださいっ!」
 心音まりあの悲痛な叫び。
 それに反応して、端末越しに纏う下田従士の雰囲気が急変した。
「! ……あと十五分…いや、あと十分! なんとか持ち堪えて!」
 それだけ言い残して、彼との通話は途切れた。
「う……」
 同時に、美神𨸶が目を覚ます。
「⁉ 𨸶先輩!」
 美神𨸶を抱き起すようにして、心音まりあは彼の顔を覗く。
「………」
 虚ろな目、光の失われた目で彼は彼女を見ると、震える口を力任せに動かした。
「い……え…ろ……」
 『いえろ』。
 『逃げろ』。
「………っ!」
 心音まりあが驚いたのは、美神𨸶がまともに口をきけなくなるほどにダメージを負っていたからではない。
 美神𨸶が。
 あの美神𨸶が現状況を一切把握できない程に追い詰められていたからだ。
 あの最強のナルシストが一切の余裕を見せない。
 見せられない。
 心音まりあは、美神𨸶を抱きしめた。
 それらの様子、やり取りを背後に感じつつ、神室秀青、嵐山楓の二人は“pepper”との交戦を続けている。
 殺人鬼の熾烈な連撃をギリギリのところで凌ぎつつも、心音まりあと下田従士の通話を耳に入れていた。
 (殺人鬼“pepper”!)
 (こいつが……)
 止まぬ刃の暴風雨。
 躱し、いなし、叩き落とし。
 それでも二人は攻勢に出られなかった。
 この時点で、二人が殺人鬼“pepper”と拳を交えて一分三十秒。
 下田従士との連絡を終えてから二十秒。
 すなわち、下田従士到着まで、あと五百八十秒。
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