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第134話「致死量未満の快楽②」

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  六月十二日(日)十七時十三分 埼玉県大宮市・オフィス街

 会社を出た後、彩芽祐樹と加賀美恭子の二人は揃って徒歩で帰宅していた。
「もう、オフィスで急にキスするなんて……あんなところ、もしあいつに見られたら」
「今晩のオカズにでもされてたかもね。」
「やめてよ、気持ち悪い!」
 慄く加賀美恭子に、彩芽祐樹はまたも大笑いした。
「ごめんごめん、冗談だよ。さっきのキスも、悪かったよ。君があまりにも魅力的過ぎて、俺も我慢できなかったんだ。」
「もう……」
 満更でもなさそうに、加賀美恭子は顔を赤らめ俯いた。
 その後も二人は雑談を交えつつ歩いていく。
「それで、祐樹くん。見せたいものってなに?」
 彩芽祐樹の顔を覗き込み、加賀美恭子は訊く。
 彩芽祐樹の身長は百七十三センチあり、百六十センチほどしかない加賀美恭子が彼に話しかける時はいつも自然とそうなる。
「もうちょっと待ってて。……あ、見えてきたよ。ここ、ここ。」
 そして、彩芽祐樹は立ち並ぶビル同士の隙間を指さして止まった。
「ここ?」
 加賀美恭子も歩を止める。
「うん。この路地裏に面白いものがあるんだよ。」
 彩芽祐樹が指さす路地裏には、人が二人通れるほどの幅があったが、かなり奥まっているのか、先の方は暗くて見えない。
「ほら、行こうぜ。」
「えー…なんか怖い。」
 怪訝そうな表情を浮かべる加賀美恭子に、彩芽祐樹は爽やかな笑顔を浮かべてみせた。
「大丈夫だよ。なにかあっても俺が守ってやるからさ。」
「うー……」
 加賀美恭子は目を伏せ、結局二人は路地裏へと入っていった。
 路地裏は、入って少し歩くと突き当りがあり、左に道が続いていた。
 素直に左に折れ、また少し進むと、一気に空間が広がった。
「ここって………」
 それなりの空間には、湿ったアスファルトと、周囲のビルの壁以外何も無く、やはりどこか薄暗い。
「ここは元々喫煙所だったんだ。灰皿が複数置かれて、世間から弾かれた喫煙者が集ってタバコを吸っていた場所さ。……けど、今は禁煙ブームの煽りを受けて、ここも撤去されちゃってね。今はもうこの通り、何も無いだけの空間になっちゃったんだ。」
「ふーん、そうだったんだ。っていうか、祐樹くんってタバコ吸ってたんだっけ?」
 大した興味もなさそうに、加賀美恭子は前に出て空間を見回す。
「いや。学生の頃に吸ったことはあるけど、マズくてすぐやめちゃった。それ以来吸ってないよ。」
 彩芽祐樹は手に持っていた鞄を置き、中から荷物を取り出しつつ答える。
 そんな彼に構うことなく、加賀美恭子はどんどん前に出て行く。
「だよね? 禁煙反対ってキャラでもないし……じゃあここで見せたいものって一体……あ、わかった!」
 人差し指を立て、元気な声を出す加賀美恭子。
「さては私と青姦したかったんでしょ! いつものエッチに飽きちゃったんだ! だから見せたいものーとか言ってこんな奥まったところに連れてきたんだ! 「君だってこういうの好きだろ?」とか言って襲ってくる気だったんだ! もう、祐樹くんは本当に仕方ない……な……」
 笑顔で振り返った加賀美恭子は、そこで表情を動きを止める。
 彼女の視線の先、彩芽祐樹が立っていたはずの場所にはレインコートを着て、ガスマスクを被った人物が立っていた。
「ピンポーン。大当たりー。」
 ガスマスクを通る声は非常にくぐもっていたが、しかしその声は彩芽祐樹の声そのものだった。
「え……嘘、本当に祐樹くん?」
 思わず後ずさる加賀美恭子。
 表情は依然、固まったままだ。
「え? でも、その恰好って…例の殺人鬼の……」
「それ、俺。」
 レインコートの人物———彩芽祐樹は途端に猫背になる。
「え? え? 嘘? 冗談、だよね? ほんと、やめてよそういうの。はは……」
 状況を一切呑み込めず、しかし加賀美恭子の目には涙が浮かび始めていた。
「本当だよ。」
 彩芽祐樹はゆっくりと、体を左右に揺らしながら歩き出す。
「本当…って……え? なに? 意味わかんない。なんで…え?」
 加賀美恭子は、彼の動きに合わせて一歩ずつ後退していく。
 体を震わせながら。
「………」
 ふと、彩芽祐樹の足が止まった。
 加賀美恭子はそれにすら大きく身を震わす。
「……足りないんだ。」
「……え?」
「刺激が、足りないんだよ。俺はずっとそうだった。最初っからなんでもできた。できないことがなかったんだ。初めは楽しかった。褒められるし、嬉しかったんだ。でも、すぐに楽しくなくなった。退屈になったんだ。つまんなかった。だから、俺はなにも出来ないふりをした。楽しいかもしれなくって。」
 再び、彩芽祐樹は足を動かした。
「ひっ!」
 加賀美恭子も後退を再開する。
「でも、つまらなかった。できないと怒られるし、本当はできることがわかってたから。」
 彼女が後退する速度を、彩芽祐樹は徐々に上回って近づいていく。
「だから、探した。退屈を忘れられるものを。」
 加賀美恭子は、それに気付きつつも後退の速度を上げられない。
 恐怖で、足が上手く動いてくれない。
「そしてある日、出会ったんだ。中々見つからなかったけど、出会った。中学校の理科準備室、夜中に忍び込んで盗んできた劇薬で、トカゲを、殺した。」
 容赦なく、彩芽祐樹は加賀美恭子との距離を縮めていく。
「とても刺激的な体験だった。今でも忘れられない。中一の時に初めてセックスしたんだけど、正直言ってあれ以上だったね。……すぐに、色んな動物に手を出したよ。最初は虫とかだったんだけど、次第に小動物、大きな動物とどんどん刺激を求めるようになっていって……あ、これは元からか。あっはっは!」
「ひゃっ!」
 突然の大笑いに恐怖し、一気に後ろへ飛び退く加賀美恭子。
 しかし。
「あ……」
 背中が、壁に当たった。
 行き止まり。
「でも、それらの刺激にも飽きてきちゃってね。」
 加賀美恭子を、彼の影が覆う。
「つい最近のことなんだけど……ついに人間にも手を出しちゃったんだ。」
 一歩。
「あんな刺激受けたら、もうやめられないよ! すごかった!」
 また一歩。
「セックスよりも気持ちいい! あ、君とのセックスも勿論気持ちよかったのかもしれないけど、それ以上って話ね。」
 彩芽祐樹は近づいていく。
 レインコートの袖を通って、ナイフが一本、彼の左手に握られた。
「とにかく…俺を満たせる刺激はもう、これしかないんだ………!」
 そして。
「刺激が欲しいんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼」
「きゃあああああああああ‼」
 彼はナイフを振り上げ、彼女に向かって振り下ろす。

 しかし、その刃は彼女には届かなかった。

 突如現れた金髪の少年が、彩芽祐樹のナイフを蹴り上げた。
「⁉」
 ナイフは大きく弧を描き、地面に落下する。
 その落下音が聞こえるとほぼ同時に、少年はもう一度、今度は彩芽祐樹に蹴りを放つ。
 彩芽祐樹はそれを躱し、大きく後退。少年との距離を取った。
「……え? え?」
 涙を流し、鼻水を垂らし、ようやく開いた瞳で、加賀美恭子は少年の後ろ姿を認める。
「女性に向かって、そんなものを向けてはいけない。」
 少年は、加賀美恭子を庇う様にして構える。
「女性に向けて良いのは……そう! 俺の熱い視線だけさ。」
 美神𨸶が、彩芽祐樹の前に現れた。
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