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第15話「普通に関する考察①」

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  五月十三日(金)十八時三十一分 駅北口裏通り・廃ビル

「せ……世界を、……お、おわら、終わらせる……?」
 驚くほど震えた声を精一杯の力で振り絞る。
「そう。今のこの世界を、ね。」
 タクト君は顔を後ろに下げる。
「ところで話はまたさらに戻るけれど、君にとって『普通』とは『一般的なもの』だって言ってたよね?」
 タクト君の声が遠くなるが、振り向くことはできない。
「じゃあ、君にとって『一般的なもの』って何?」
 テーブルに向かっている全員が、俺と、その後ろのタクト君を見る。
 その視線のおかげで、ようやく俺も振り返る。
 タクト君は、後ろ手に組んで笑顔を向けていた。
 その笑顔の意味を、俺はもう額面通りには受け取れない。
「い、一般的なもの……っていうのは……、お、多くのひ、人が、同じように感じるもの……、みたいな、か、感じではないかと……多分……」
 しどろもどろになりながらも、なんとか答える。
 一瞬、テーブル側の人たちの雰囲気が良くない方向に変わった気がした。
 それでも、タクト君の笑顔は崩れない。
「うん、僕も似たように考えているよ。『一般的なもの』、大多数の人間が共通の認識をもって認めるもの。」
 タクト君は両手を広げて、後ろを振り向き歩き出す。
「即ち、『普通』だ。普通の考え、普通の感性、普通の言葉、普通の性格。」
 足を止め、こちらに向き直る。
「そこでいくと、神室君、君は普通じゃないよね。」
「え……?」
 真っ直ぐに見据えられたその視線に、疑問を返してしまう。
「だってそうだろう? 一日に最低でも二桁以上は自慰を行う。時に自室でアダルトビデオを見て、時に同じ高校の女生徒の放尿音を盗み聞きして。場所も時間も関係なしに。それのどこが普通だっていうんだい? 挙句の果てに、折角できた初めての彼女も、それが原因で君の元を去っていった。」
「!」
 な、なんであの事・・・を……。
 俺の心中を察してか、タクト君は胸に手を当て、顔を伏せる。
「ああ、ごめんね。申し訳ないけど、君のことはこの二年間、調べさせてもらっていたんだ。運命を開く『鍵』としてね。」
 か、鍵?
 そういえば、あいつもそんなことを……。
 横目で黒髪の女性を見る。
「そんなわけで、君は『普通』足りえないんだ。そう、君は立派な『変態』さ。僕たちと同じでね・・・・・・・・。」
 僕たち……。
 タクト君や、この人たちと、同じ……?
「僕たちも、皆各々の特殊な性癖を持っている。それが原因で社会から隔絶された者も少なくない。」
 タクト君が片手を広げる。
 タクト君も、変態……?
「『普通』ではないから、『変態』だから、社会を追い出された。犯罪を犯したわけでもなければ、他人に迷惑すらかけていないものだっている。なのに、『普通』じゃない、それだけの理由で、人権を剥奪された。」
 タクト君が、再びこちらに歩み寄る。
「『普通』とはなんなのか。僕はね、『普通』とは、『その他大勢』だと考えているんだ。その辺にいる、漫画のモブキャラのような。」
 タクト君の後ろの気配が、徐々に大きくなっていく。
「だってそうだろう? 規格化された感性を量産して拡大させていく連中さ、およそ見分けのつかない没個性だよ。」
 俺の眼前まで来て、足を止める。
「没個性であるにもかかわらず、いや、没個性であるからこそ、我々『変態』という個性に対して、『普遍的価値観』などという至極曖昧なものを盾に牙を剥く。個性を受け入れられず、力によって排除する。」
 目を閉じ、胸の前で拳を握りしめる。
「力……?」
 いつの間にか、話に引き込まれ、声の震えが止まっていた。
「数の力さ。『変態』よりも『普通』の方が圧倒的に数が多い。数が少ないからこそ、我々は『変態』なんだから。今の世界は、そういう風に出来てるだろ? 数の多い方が清く正しく美しい、とね。そしてなにより、人間は数の多い方が強い、という史実が証明した事実もある。」
 タクト君は再び両手を広げる。
「神室君、ブレーズ・パスカルって知ってるかい?」
「哲学者の……」
「そう、フランスの哲学者さ。彼の死後、刊行された哲学書『パンセ』。そこに、こんな文が綴られているんだ。『正義は議論の種になる。力は非常にはっきりしていて議論無用である。その為、人は正義に力を与えることができなかった。なぜなら、力が正義に反対し、それは正しくない、正しいのは自分たちだ、と言ったからである。このようにして人は正しいものを強くすることができず、強いものを正しいとしたのである。』と。」
 年齢に似合わぬ仰々しさが、しかし様になっている。
「力あるものが正しい世界。多数派マジョリティが正しい世界。世界がそうであり続ける限り、我々#少数派__#マイノリティ__#は常にその存在を脅かされ続けなければならない。」
 タクト君が両手を下げた。
「なら、そんな世界は壊してしまえばいい。」
 片手をあげ、
「少数が多数に常に負け続けるとは限らない。これも、史実が証明している事実だ。『普通』が数の力で我々を蹂躙するというのなら、こっちは個の力で『普通』を打ち砕く。この世界に引導を渡す。」
 拳を固く握る。
「世界を壊し、別の世界を作る。」
 手のひらを開く。
「個性が支配する、新たな世界さ。」
 タクト君は、「ただ、」と続ける。
「実は戦力がまだ揃っていないんだ。いくら我々に個の力があっても、数の不利はそう覆せない。そこで———」
 タクト君が手のひらを俺に向ける。
「君にも、協力してもらいたいんだ。君には、その力がある。」
 タクト君の気配が、俺を包み込むように伸びてきた。
「————っ」
 生命が警鐘を鳴らす。
 恐怖が蘇る。
 この誘いを断れば、俺は死ぬ。
 生々しい死の予感が俺の選択肢を壊していく。
 だが、それ以上に。
 選択肢を壊される以前に、俺はタクト君の話に共感していた。
 『変態』に対する『普通』の在り様。
 普遍を以てして異常を排する不偏的世界。
 ずっと前から、疑問を持っていた。
 でも、俺に出来ることはないと、俺に出来るとしたらせいぜい偏見を持たぬことくらいだと。
 諦めていた。
 世界を変えることを。
 それは、自分が変わっていなかっただけなのに。
 タクト君から差し出された手を見る。
 絶対に関わるべきではない危険思想の持ち主。
 けれども。
 俺が口を開きかけた———その時。
真綾まあや、君が会った嵐山楓という男、限定型・・・だったんだよね?」
 タクト君の表情が曇り、板を打ち付けられた窓、その先に視線を移した。
「恐らくは。」
 黒髪の女性——マーヤが端的に答える。
「………来てるな。」
 タクト君の言葉に、テーブル側の人間全員の光るモノが揺れ動いた。

  五月十三日(金)十八時四十分 駅北口裏通り

「はい。よろしくお願いします。」
 俺は電話を切り、携帯をズボンのポケットへしまう。
 周囲の人間の喚声や歓声の中、震える右手を睨み、薄暗い赤茶色の四階建てビルを見る。
 スキル・・・は使えてあと二回。
 だが、有利は作った。
 そろそろ動くか。
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