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第14話「少年は死を感じ取る」

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  五月十三日(金)十八時二十四分 駅北口裏通り・廃ビル

 最初、右腕が軽いと感じた。
 次に、右腕が無くなっているのを見た。
 二の腕から先が消えているのを。
 目に映ったその映像を理解するのに、二秒ほど時間がかかった。
 そして、床に転がり落ちている二の腕から先の腕が、自分自身の右腕だと理解するのには、さらに十秒ほどの時間を要した。
 これは……俺の右腕?
「なんだあああああああああああああ⁉」
 ようやく声が出た。
 なんだよこれ⁉
 どういうことだよ⁉
 腕が、腕が消えている⁉
 きれいさっぱり、切り落とされたみたいに⁉
 なのに痛くない!
 痛くないぞ!
 全然全く痛みがない!
 血も出ていない⁉
 なのに右腕の感覚がない!
 肘の感覚も!
 手首の感覚も!
 指先の感覚も!
 わけがわからない!
 何が起こった⁉
 今さっきまで自分自身の一部として生えていたものが、まるで木の枝でも剪定するかのように一瞬で床に転がり落ちた⁉
 しかし、血は⁉ 痛みは⁉
「⁉」
 狼狽える俺の体を、急にタクト君が抱きしめ、右に振り回した。
 その瞬間に目にしたものは、さっきまで俺がいた位置を通過する、二本の半透明の帯状の物体だった。
「なにをやってるの? じん。」
 俺の体を優しく地面に置くと、タクト君は帯状の物体が走ってきた方向——白髪の男を睨みつけた。
 ジンと呼ばれた男は、こちらに向けていた手を下ろすと、タクト君を下から見上げた。
「そいつ、もう逃れた・・・んだろ? だったら、逃げないように手足を切断しとかねぇとなぁ。」
「誰がそんなことをしろと言った。」
「あぁ? 誰も言ってねぇよ。」
「リーダーは僕だ。」
 タクト君が、恐ろしく低い声音でジンを見下ろす。
 そして、俺に振り向き、そっと寄り添ってきた。
「神室君、僕の仲間がごめんね。でも、安心して。肉体的なダメージはほとんどないし、すぐに治るから。」
「はぁ?」
 ジンは不満げに身を乗り出す。
「誰が治すかよ。そいつ、すぐさま逃げ出すぞ。」
「いいから治せ。」
 タクト君に凄まれ、ジンは舌打ちをすると、立ち上がってこっちへ向かってきた。
 周りの人間は、このやりとりに関して一切の反応を示さないでいた。
 まるでいつもの見飽きた日常のように。
 ジンは床の右腕を拾い上げると、壊れた人形でも直すみたいに、ぴったりと腕と腕の切断面同士をくっつけ、そのまま数秒。
「………。」
 シャツの捲り上げられた袖から、嫌でも腕の細かい切り傷が見える。
「……これでいいんだろ?」
 ジンが手を離すと、どういうわけか腕は完全にくっついていた。
 手を閉じて開いてみる。
 すっかり元の調子だ。
 状況に理解が追い付かない。
 意味不明すぎて吐き気を催す。
 タクト君が俺から手を離すと、「ありがとう。」といってジンに微笑んで見せた。
 ジンは、「ふんっ」と鼻を鳴らすと、元の場所へと歩いて行った。
 ……あれ?
 その後ろ姿に、幽かに見える、ジンを包み込む光のような黄色いモノ。
 目をこすり、もう一度見た時には、テーブルに向かう全員からそのモノが見えた。
「神室君、腕、ちゃんとついてる?」
 後ろから、タクト君に手を置かれた。
「はい、なんとか……」
 振り返り、つい笑顔を向け、固まる、体。
 その体を瞬時に駆け巡る戦慄。恐怖。
 途端に全身が震え上がり、呼吸は浅く早くなっていく。
 全ての毛穴から汗が吹き出し、ワイシャツを、パンツを体に張り付かせる。
 タクト君は心苦しそうな顔をする。
「ごめんね、今の、結構怖かったよね。でももう大丈夫。安心して。さっきも言ったと思うけど、肉体的なダメージは無いに等しいからさ。」
 違う、そうじゃない!
 全然大丈夫じゃないし、安心なんかこれっぽっちもできない。
 わかった。
 さっきの悪寒の正体。その原因。
 それは生物的本能に因る直観。
 死の予感。
 噛み締めた歯が、カチカチと音を鳴らしていく。
 タクト君の、可愛らしい顔、体、手足、その全身をくまなく包み込むモノ。
 黒々とした禍々しい気配。
 この場にいる誰よりも大きく、圧倒的なまでに濃く、ただそこにあるだけで場の全てを掌握しているかのような、ソレ。
 触れる物すべてを塗り潰すようなその存在感に、呼吸することすら許されない。
 まるで、それは宇宙。
 すべての心理を司るかのような、原初的欲求。
 この世のありとあらゆるもの全てを呑み込むためだけに存在し、他生物は皆呑み込まれるためだけに存在しているかのような———。
 絶対的な闇、究極的な死。
 終わった……。
 そこまで考えて、思考が停止した。
「——ろくんっ。神室君っ。」
「はっ!」
 タクト君に肩に手を置かれ、信じられない程体が跳ね上がった。
 タクト君が俺に顔を近づける。
 吐息が当たる距離。
「……ひょっとして、もう視えてる?」
 なんのことかはさっぱりわからなかったが、首が勝手に頷いていた。
「そっか。じゃあ、話が早く進みそうだね。」
 にっこり笑うタクト君。
 そして、俺の体を抱き上げ、椅子に座らせた。
 この小さな体躯で。
 ありえない。
「さて、話を戻そうか。確か、僕たちの目的について君が訊いてきたところだったんだよね?」
 椅子の背もたれに手を置き、頬の横から顔を出す。
 動くことが許されない。
「僕たちの目的、それはね———」
 タクト君が耳元で囁くように言う。

「この世界を終わらせることさ。」

 不可避の死が、隣にいた。
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