上 下
11 / 186

第11話「『パンドラの箱』へようこそ」

しおりを挟む
「普通……ですか?」
 少年は、ゆったりと歩いて、俺の眼前に立ち、笑顔で答えを待つ。
 その中世的で整った顔立ちから発せられる笑顔、神秘的な雰囲気に圧倒され、一瞬でその少年の問いに答える以外の選択肢を排除された。
「えぇっと……、そうですね。」
 自分よりも明らかに年下の少年に対して、何故敬語なのだろうか。
 そんな疑問さえ、すぐに雲散霧消してしまう。
「……一般的、ってことですかね?」
 疑問形になってしまった。
「……そのまんまだね。」
 少年がふぅっと溜息を吐く。
 その動作に、その発言に、なぜだか胸が締めつけられ、吐き気を催す。
 確かに、確かに何の捻りもない文字通り普通の回答を俺はしてしまった。
 頑張って頑張って捻り出した結果があの回答なら、がっかりされて当然。否、がっかりされるべきだ。
 辛い悲しい苦しい、死んでしまいたい。
 堪え切れず、頬を一筋の涙が伝う。

 生きているのが恥ずかしい。

 途端に、堰が切れたように涙が溢れ出す。
 俺の今までの人生は一体なんだったのか。
 何故、生まれてきてしまったのだろうか。
 止まらない心の叫びが、涙とともに溢れ出す。
「うわああああああああああああ!」
 声が止まらない。
 時間が進まない。
 誰か、無様な俺を殺してくれ。
 涙でひずんだ視界に、不意に少年の顔が映る。
 そんな悲しそうな顔で俺を見ないでくれ。
 そんな辛そうな視線を俺に向けないでくれ。
 そんな苦しそうに、口元を歪ませないでくれ。
 目尻に、柔らかい感触を覚える。
「泣かないで。ごめんね、そんなつもりはなかったんだ。」
 少年が、ハンカチで俺の涙を拭きとってくれた。
 瞬間、襲い来る圧倒的多幸感。
 楽園へと誘われた。
 体は浮遊し、心は洗われ、俺という人間を構成するおよそ全ての物質が浄化された。
 妬み、嫉み、恨み、憎しみ、悪意、殺意、害意、衝動、本能、闘争、戦争。
 およそ世界を構成するあらゆる負の側面が、まるでただの妄想の産物であるかのように、信じられないおとぎ話と化していった。

 ああ、そうか。生きていていいんだ、俺。

「大丈夫? 少し、立てる?」
 少年が不安な眼差しでこちらを覗く。
 そんな目は、そんな顔は見たくない。
「大丈夫です。立てます。」
 涙を拭い、ベッドから降りようと体を曲げる。
「! つぅっ…」
 鳩尾のあたりに激痛が走る。
 なんだ、何かを忘れて……。
「やっぱり駄目じゃないか。」
 慌てた少年が俺の肩に手を置く。
 顔と顔の距離が近くなり、俺の視界いっぱいに少年の目が映っていた。
「無理しないでよ。自分の体を大切にしなくちゃ、駄目だよ。」
「………。」
 宇宙が見えた気がした。
「……いえ、ちょっと痛かっただけで、本当に大丈夫ですよ。平気です。」
 痛みを我慢して立ち上がる。
 尽くそう。
 命をとして。
 守ろう。
 この子の笑顔を。
 我は我の為に非ず。
 全ては、彼の為に。
「あまり無理しないでね?」
 少年は再び俺の顔を覗き込む。
 ……至福だ。
 にやけていると、少年がくるりと俺に背を向ける。
「ちょっと付いてきてよ。紹介したい人たちがいるんだ。」
「紹介したい人たち?」
 少年は歩き出し、俺も後を付いていく。
 と、足の感触に違和感を覚える。
 見ると、外靴を履いたままだ。
 外靴を履いたまま寝ていたのか。
 なんて行儀の悪い。
 ブレザーも着たままじゃないか。
 なんだってこんな格好で寝て……あれ?
 なんでだ?
 なんで俺はこんな……。
 なにかがおかし…くない、のか?
「あ、そうだ。」
 少年が足を止め、後ろ手を組み、こちらを振り向く。
「『パンドラの箱・・・・・・』へようこそ。」
 笑顔が眩しい。
「『パンドラの箱』?」
僕たち・・・・の名前さ。」
 『パンドラの箱』……。
 パンドラの箱……。
 パンドラの……。

 『……パンドラの人間か?』

 一瞬、不明瞭な映像が脳裏を過る。
 なんだ……。
 何かがおかしい。
 何かが……。
「さ、早く行こう。みんな、待ってるよ。」
 少年は再び歩き出す。
「あ、はい。」
 俺も迷わず後を追う。
 まぁ、どうでもいっか。

  五月十三日(金)十八時二分



 五月十三日(金)十八時十八分 駅北口裏通り

「住所だとあそこだな……。」
 住所をもとに携帯で調べた建物の写真を、前方に建つ建物と照らし合わせる。
 俺は足を止め、呼吸を整える。
 神室の周囲にはパンドラの連中がごろごろいるだろうな。
 これ以上近づけばエーラ・・・を感知される。
「さて、どうしたものか……。」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

由紀と真一

廣瀬純一
大衆娯楽
夫婦の体が入れ替わる話

かつて僕を振った幼馴染に、お月見をしながら「月が綺麗ですね」と言われた件。それって告白?

久野真一
青春
 2021年5月26日。「スーパームーン」と呼ばれる、満月としては1年で最も地球に近づく日。  同時に皆既月食が重なった稀有な日でもある。  社会人一年目の僕、荒木遊真(あらきゆうま)は、  実家のマンションの屋上で物思いにふけっていた。  それもそのはず。かつて、僕を振った、一生の親友を、お月見に誘ってみたのだ。  「せっかくの夜だし、マンションの屋上で、思い出話でもしない?」って。  僕を振った一生の親友の名前は、矢崎久遠(やざきくおん)。  亡くなった彼女のお母さんが、つけた大切な名前。  あの時の告白は応えてもらえなかったけど、今なら、あるいは。  そんな思いを抱えつつ、久遠と共に、かつての僕らについて語りあうことに。  そして、皆既月食の中で、僕は彼女から言われた。「月が綺麗だね」と。  夏目漱石が、I love youの和訳として「月が綺麗ですね」と言ったという逸話は有名だ。  とにかく、月が見えないその中で彼女は僕にそう言ったのだった。  これは、家族愛が強すぎて、恋愛を諦めざるを得なかった、「一生の親友」な久遠。  そして、彼女と一緒に生きてきた僕の一夜の物語。

処理中です...