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第11話「『パンドラの箱』へようこそ」
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「普通……ですか?」
少年は、ゆったりと歩いて、俺の眼前に立ち、笑顔で答えを待つ。
その中世的で整った顔立ちから発せられる笑顔、神秘的な雰囲気に圧倒され、一瞬でその少年の問いに答える以外の選択肢を排除された。
「えぇっと……、そうですね。」
自分よりも明らかに年下の少年に対して、何故敬語なのだろうか。
そんな疑問さえ、すぐに雲散霧消してしまう。
「……一般的、ってことですかね?」
疑問形になってしまった。
「……そのまんまだね。」
少年がふぅっと溜息を吐く。
その動作に、その発言に、なぜだか胸が締めつけられ、吐き気を催す。
確かに、確かに何の捻りもない文字通り普通の回答を俺はしてしまった。
頑張って頑張って捻り出した結果があの回答なら、がっかりされて当然。否、がっかりされるべきだ。
辛い悲しい苦しい、死んでしまいたい。
堪え切れず、頬を一筋の涙が伝う。
生きているのが恥ずかしい。
途端に、堰が切れたように涙が溢れ出す。
俺の今までの人生は一体なんだったのか。
何故、生まれてきてしまったのだろうか。
止まらない心の叫びが、涙とともに溢れ出す。
「うわああああああああああああ!」
声が止まらない。
時間が進まない。
誰か、無様な俺を殺してくれ。
涙でひずんだ視界に、不意に少年の顔が映る。
そんな悲しそうな顔で俺を見ないでくれ。
そんな辛そうな視線を俺に向けないでくれ。
そんな苦しそうに、口元を歪ませないでくれ。
目尻に、柔らかい感触を覚える。
「泣かないで。ごめんね、そんなつもりはなかったんだ。」
少年が、ハンカチで俺の涙を拭きとってくれた。
瞬間、襲い来る圧倒的多幸感。
楽園へと誘われた。
体は浮遊し、心は洗われ、俺という人間を構成するおよそ全ての物質が浄化された。
妬み、嫉み、恨み、憎しみ、悪意、殺意、害意、衝動、本能、闘争、戦争。
およそ世界を構成するあらゆる負の側面が、まるでただの妄想の産物であるかのように、信じられないおとぎ話と化していった。
ああ、そうか。生きていていいんだ、俺。
「大丈夫? 少し、立てる?」
少年が不安な眼差しでこちらを覗く。
そんな目は、そんな顔は見たくない。
「大丈夫です。立てます。」
涙を拭い、ベッドから降りようと体を曲げる。
「! つぅっ…」
鳩尾のあたりに激痛が走る。
なんだ、何かを忘れて……。
「やっぱり駄目じゃないか。」
慌てた少年が俺の肩に手を置く。
顔と顔の距離が近くなり、俺の視界いっぱいに少年の目が映っていた。
「無理しないでよ。自分の体を大切にしなくちゃ、駄目だよ。」
「………。」
宇宙が見えた気がした。
「……いえ、ちょっと痛かっただけで、本当に大丈夫ですよ。平気です。」
痛みを我慢して立ち上がる。
尽くそう。
命をとして。
守ろう。
この子の笑顔を。
我は我の為に非ず。
全ては、彼の為に。
「あまり無理しないでね?」
少年は再び俺の顔を覗き込む。
……至福だ。
にやけていると、少年がくるりと俺に背を向ける。
「ちょっと付いてきてよ。紹介したい人たちがいるんだ。」
「紹介したい人たち?」
少年は歩き出し、俺も後を付いていく。
と、足の感触に違和感を覚える。
見ると、外靴を履いたままだ。
外靴を履いたまま寝ていたのか。
なんて行儀の悪い。
ブレザーも着たままじゃないか。
なんだってこんな格好で寝て……あれ?
なんでだ?
なんで俺はこんな……。
なにかがおかし…くない、のか?
「あ、そうだ。」
少年が足を止め、後ろ手を組み、こちらを振り向く。
「『パンドラの箱』へようこそ。」
笑顔が眩しい。
「『パンドラの箱』?」
「僕たちの名前さ。」
『パンドラの箱』……。
パンドラの箱……。
パンドラの……。
『……パンドラの人間か?』
一瞬、不明瞭な映像が脳裏を過る。
なんだ……。
何かがおかしい。
何かが……。
「さ、早く行こう。みんな、待ってるよ。」
少年は再び歩き出す。
「あ、はい。」
俺も迷わず後を追う。
まぁ、どうでもいっか。
五月十三日(金)十八時二分
五月十三日(金)十八時十八分 駅北口裏通り
「住所だとあそこだな……。」
住所をもとに携帯で調べた建物の写真を、前方に建つ建物と照らし合わせる。
俺は足を止め、呼吸を整える。
神室の周囲にはパンドラの連中がごろごろいるだろうな。
これ以上近づけばエーラを感知される。
「さて、どうしたものか……。」
少年は、ゆったりと歩いて、俺の眼前に立ち、笑顔で答えを待つ。
その中世的で整った顔立ちから発せられる笑顔、神秘的な雰囲気に圧倒され、一瞬でその少年の問いに答える以外の選択肢を排除された。
「えぇっと……、そうですね。」
自分よりも明らかに年下の少年に対して、何故敬語なのだろうか。
そんな疑問さえ、すぐに雲散霧消してしまう。
「……一般的、ってことですかね?」
疑問形になってしまった。
「……そのまんまだね。」
少年がふぅっと溜息を吐く。
その動作に、その発言に、なぜだか胸が締めつけられ、吐き気を催す。
確かに、確かに何の捻りもない文字通り普通の回答を俺はしてしまった。
頑張って頑張って捻り出した結果があの回答なら、がっかりされて当然。否、がっかりされるべきだ。
辛い悲しい苦しい、死んでしまいたい。
堪え切れず、頬を一筋の涙が伝う。
生きているのが恥ずかしい。
途端に、堰が切れたように涙が溢れ出す。
俺の今までの人生は一体なんだったのか。
何故、生まれてきてしまったのだろうか。
止まらない心の叫びが、涙とともに溢れ出す。
「うわああああああああああああ!」
声が止まらない。
時間が進まない。
誰か、無様な俺を殺してくれ。
涙でひずんだ視界に、不意に少年の顔が映る。
そんな悲しそうな顔で俺を見ないでくれ。
そんな辛そうな視線を俺に向けないでくれ。
そんな苦しそうに、口元を歪ませないでくれ。
目尻に、柔らかい感触を覚える。
「泣かないで。ごめんね、そんなつもりはなかったんだ。」
少年が、ハンカチで俺の涙を拭きとってくれた。
瞬間、襲い来る圧倒的多幸感。
楽園へと誘われた。
体は浮遊し、心は洗われ、俺という人間を構成するおよそ全ての物質が浄化された。
妬み、嫉み、恨み、憎しみ、悪意、殺意、害意、衝動、本能、闘争、戦争。
およそ世界を構成するあらゆる負の側面が、まるでただの妄想の産物であるかのように、信じられないおとぎ話と化していった。
ああ、そうか。生きていていいんだ、俺。
「大丈夫? 少し、立てる?」
少年が不安な眼差しでこちらを覗く。
そんな目は、そんな顔は見たくない。
「大丈夫です。立てます。」
涙を拭い、ベッドから降りようと体を曲げる。
「! つぅっ…」
鳩尾のあたりに激痛が走る。
なんだ、何かを忘れて……。
「やっぱり駄目じゃないか。」
慌てた少年が俺の肩に手を置く。
顔と顔の距離が近くなり、俺の視界いっぱいに少年の目が映っていた。
「無理しないでよ。自分の体を大切にしなくちゃ、駄目だよ。」
「………。」
宇宙が見えた気がした。
「……いえ、ちょっと痛かっただけで、本当に大丈夫ですよ。平気です。」
痛みを我慢して立ち上がる。
尽くそう。
命をとして。
守ろう。
この子の笑顔を。
我は我の為に非ず。
全ては、彼の為に。
「あまり無理しないでね?」
少年は再び俺の顔を覗き込む。
……至福だ。
にやけていると、少年がくるりと俺に背を向ける。
「ちょっと付いてきてよ。紹介したい人たちがいるんだ。」
「紹介したい人たち?」
少年は歩き出し、俺も後を付いていく。
と、足の感触に違和感を覚える。
見ると、外靴を履いたままだ。
外靴を履いたまま寝ていたのか。
なんて行儀の悪い。
ブレザーも着たままじゃないか。
なんだってこんな格好で寝て……あれ?
なんでだ?
なんで俺はこんな……。
なにかがおかし…くない、のか?
「あ、そうだ。」
少年が足を止め、後ろ手を組み、こちらを振り向く。
「『パンドラの箱』へようこそ。」
笑顔が眩しい。
「『パンドラの箱』?」
「僕たちの名前さ。」
『パンドラの箱』……。
パンドラの箱……。
パンドラの……。
『……パンドラの人間か?』
一瞬、不明瞭な映像が脳裏を過る。
なんだ……。
何かがおかしい。
何かが……。
「さ、早く行こう。みんな、待ってるよ。」
少年は再び歩き出す。
「あ、はい。」
俺も迷わず後を追う。
まぁ、どうでもいっか。
五月十三日(金)十八時二分
五月十三日(金)十八時十八分 駅北口裏通り
「住所だとあそこだな……。」
住所をもとに携帯で調べた建物の写真を、前方に建つ建物と照らし合わせる。
俺は足を止め、呼吸を整える。
神室の周囲にはパンドラの連中がごろごろいるだろうな。
これ以上近づけばエーラを感知される。
「さて、どうしたものか……。」
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