黄昏に縋るは妖異の闇夜

影臣

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 酒呑童子編

 変動

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翌朝、汐莉の姿は坂道の上にある墓場にあった。坂から見下ろせば、まだ道端を歩く通行人の姿も見当たらない。少し離れた場所にあるお社からは微かに毎朝行われるラジオ体操のリズミカルな音が流れてくる。随分と早く起きてしてしまったようだ。

(返さなきゃと思って慌てて出てきたけど、また会えるとも限らないし)

 ワンッ、ワンッ、ワン

思いを馳せていれば、何処からか犬の鳴き声まで聞こえてくる。

(……何処のしょが飼ってる犬だろ。こんな明け方から賑やかに……やけに近いな)

 ワン、ワンッ

「うわっ」

犬の鳴き声がやたら近くから聞こえてくるなと考えていれば、背中に衝撃を受け前方に倒れかけた。咄嗟に手を地面についた為、顔から倒れ込むのは免れた。

えぬ、そない走ると転ぶで」
「あっ、昨日の。会えて良かった!」

聞き覚えがある声だと振り返れば、現れたのは昨日会った女性。犬の散歩でもしてたのだろうか、しかし可笑しな事に犬にはリードも首輪も繋がれていなかった。だがそんな些細なことにも汐莉は気付いていなかった。

「これ返そうかと思って」
「そうや、探してたんよ」
「やっぱり……濡れないようにって持ち帰っちゃったけど、貴女のですよね。それに人様の日記でしょ?」

汐莉は罪悪感からうつむきながら手渡した為に見ていなかったが、と口にすれば紙切れを受け取ろうと伸ばした女の手が止まり、明らかにこちらを見る目付きが変わった。こちらに探りをいれるように注意深く観察するかのような眼差しへと。

「御前様、これが読めたのかえ?」
「うん……あっ、別に読むつもりはなかったんですよ!でもチラッと!チラッと読んだだけで!」
?」

力強く、繰り返し、聞き返してくる。白い指先が紙を広げて指し示すは、花札の絵柄で書かれた月日。

「うん、あ、はい、読めましたよ。花札にあるじゃないですか。一年を十二ヶ月に分けて、各月事に花鳥風月を取り入れた読み方が」

汐莉は知らなかった。花札の読み方が重要な意味を示していたことに。

「一般的では無いゆえ」
「でもお洒落ですよね、昔の人は」
「そう、読めたんか」
「ん、読めましたよ?」
「──では、御前様の御先祖が隠した酒呑童子の首は何処いずこへ?」

「……く、び?」

先程まで他愛ない事を話していたと言うのに、いきなり物騒な単語が出てきた。そんな事、日記のどこを見ても書かれていなかった筈なのだが。

「遡ること数百年前の事、酒呑童子の首はとある神社に祀られていた。いや──隠されていたと言うのが正しいか。それを、村を捨てた裏切り者の巫女様が盗って隠してしまったそうな」

汐莉はすぐに話の内容を理解した。酒呑童子は有名な鬼だ。別の名を酒顛童子、酒天童子、朱点童子、首塚大明神、外道丸、伊吹童子。源頼朝一行にに討たれた後、都に手土産として献上されたと言う話もあれば、都に手土産として献上される前の帰り道の途中にあったお地蔵様に『汚らわしいものを都にいれるでない』と助言を受け、何処と知らぬ寺へ奉られたとか。そして今ではその首は新潟の燕市にある酒呑童子神社へ鎮座され、罪を悔いた酒呑童子の首は首から上のあらゆる病を治したと言う話もある。

「……諸説あるけど、首って隠されてたの?」
「そんな事も知らんと?まさか文月逃げた月をそのまま名にするとは思わんかった」
「今そんな話が出るって……え、え、もしかしなくても?」

こんがらがる頭を抱える汐莉を覗き込んでくる女のかんばせには、先程まではなかった二つの突起物が。

ゆうて言ってやらんと分からんかえ?文月は巫女の分家に当たる家や。そしてウチは鬼や」
「ウワーォ」

 間抜けな言葉しか発せなかった。
 何故なら言葉に出来ないからだ。
 何故なら言葉で言い表せないからだ。
 髪の間から覗く、白い角。
 目元に表れた淡い朱塗り。
 笑った拍子に口許から覗く鋭い歯。
 そこには美しき鬼がいた。
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