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崩落の中へ

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 まだ追っ手は見えない。
 だが、じきに姿を捉えられてしまうだろう。
 アイリーンらは広葉樹林が鬱蒼と連なる区域に入る。元来た道に繋がったのだ。
 かつてこの場所は城下にある村として栄えていたと聞く。現国王の祖父の代であるから、およそ百年前か。
 村は跡形もない。
 ただ、獣道が広がるのみ。
「走れるか? 」
 シリウスはチラリと振り返った。
「は、はい」
 アイリーンはすでに息切れしており、酸素が頭まで行き渡らない。くらくらする視界に翻弄されながらも、何とか頷いた。他の令嬢ならば、すでに泣き言を吐いているところだ。アイリーンが気力を保っていられるのは、プライドのためだった。王弟殿下の妻となる以上、これしきのことで音を上げるわけにはいかない。
「泣くなら、無事に屋敷へ戻ってからにしたまえ」
「泣いてなどおりません! 」
「そうだ。その心意気だ」
 幾らプライドによって自身を奮い立たせようとも、ままならない動きに挫けそうになる。
 そのことをすっかり見透かされてしまっており、アイリーンはぐっと奥歯を噛んだ。またしても、七歳という、小さいようで大きな開きを自覚させられる。
 アイリーンが早く大人になろうと努めても、彼はさらにその先を進んでいるのだ。
 こうして手を引かれていても、その存在は果てしなく遠い。


 **********


 いづれは己の領地となるため、シリウスは一帯をある程度は把握していたつもりだ。
 現に、城からの抜け道を使って追っ手を上手く撒けたと思う。
 城からそのまま下れば、メインとなる馬車の通れる道へと出る。
 だがシリウスは右に折れ、左に曲がり、かつて栄えた集落跡地を目指した。集落跡地は広葉樹林帯となっており、メインとは裏側の道に出る。多少遠回りになろうと、逃げ切るのは確実と踏んだ。しばらく友人の所領に立ち寄り、王宮から自分つきの援護の騎士を呼び寄せるしかない。
 一体、誰が裏切りを働いたのか。裏どりが出来ない限り、王宮の騎士を大規模に動かすのは尚早だ。
 アイリーンを慰めつつ、そんなことを考えていたシリウスは、肝心のことを忘れてしまっていた。
 それに気づいたときには、すでに手遅れだった。


 **********


「きゃあ! 」
 不意にアイリーンの足が取られた。
 地面だとばかり思っていたのは、腐った木の板の上に敷かれた土くれと雑草の繁る心許ない足場だったのだ。
 体重をかけて踏み抜いた板は、呆気なく崩壊した。
「井戸の跡か! 」
 シリウスは目を眇める。
 集落があれば、当然、生活用水が欠かせない。
 枯れているのか。それとも、まだこんこんと湧いているのか。いづれにせよ、井戸がある。
 百年をかけて風が運んできた土で盛られ、獣道と一体化していた。草に覆われて気づかなかった。
 アイリーンは、地面が動いた感覚を持った。
 いや、地面が動いたのではない。
 彼女は深い井戸の底へと吸い込まれようとしていた。
「アイリーン! 」
 シリウスは咄嗟に掴んでいた彼女の腕を引いた。
 だが、重力には敵わない。
 従って、ずるずるとアイリーンの体が引き摺られていく。
 勢いのまま、土くれと砕けた板と砂埃の流れに呑み込まれ、シリウスごとアイリーンは闇の中へと落下していった。
 
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