転生した悪役令嬢は元女忍者でした〜忍びの術を駆使して婚約者を守り、その愛を取り戻します!〜

晴 菜葉

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廃れた城

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 狭くて曲がりくねった道を進んだ先に、主人を失い朽ちかけた中世の巨大な城があった。
 花崗岩で組まれた高い塔がまず目を引く。見張り台としての役割だった小窓は風化し、崩れていた。
 規則的な凹凸が鋸の刃ようにつけられた狭間ツィンネも風雨に晒されてボロボロだった。かつて兵士がそこから侵入者に矢を射って払っていたなど考えられないくらいに。
 人殺しの窓と呼ばれる、城壁に縦に細く入ったスリットからは、敵兵を険しい目で睨みつける兵士の亡霊がいそうで、おどろおどろしい。
 シリウスは降ろされたままの跳ね橋を渡り、城門をくぐる。アイリーン、護衛が後に続いた。
 馬留めに馬を繋ぎ止め終えたシリウスは、深く溜め息を吐き出した。
「虚しいものだな」
 城内は隙間風が入り込み、黴臭い。砂岩の壁が余計に寒々させた。
「栄華を誇っていたものも、いつか終わりが来るかと思うと」
 感慨深くシリウスは呟く。
 この城を受け継ぐ意味を噛み締めているようだ。
「フォスター公爵令嬢。私は中に入るぞ。君は護衛と共にそこで待っていたまえ」
 スタスタと彼は速足で奥へと進む。
「あ、あの。お待ちになって」
 慌ててアイリーンがその後を追った。
「わ、私も行きます」
「やめておけ。崩壊するかも知れないから」
「で、でしたら尚更。殿下お一人を行かせるわけには」
 きっぱり言い切る口調とは裏腹に、アイリーンの顔は白さがより顕著となっている。よくよく目を凝らせば、薔薇色の唇が微かに戦慄いているのがわかる。
 誰にも知られてはいないが、彼女は超自然的なことを苦手としていた。
 今も、薄暗い奥から血まみれの兵士がのそりのそりと近寄って来そうで震える。
 そんなアイリーンの普段とは違った些細な変化を、シリウスは確かに捉えているふうだった。形の良い薄い唇が斜めに曲がった。
「自分の身は自分で守るように」
「承知しております」
 シリウスは護衛にその場で待機するよう命じると、長い廊下へと向きを変えた。
 さっさ歩いて行くかと思えたが、意外にも彼はアイリーンと歩調を合わせてくれる。
「床が腐っているから、気をつけろ」
 真紅のペルシャ絨毯は、天井から染み出した雨雫によって床板が腐り、ぶよぶよと柔らかくなっている。踏みどころを間違えると、うっかり抜いて足を囚われてしまいかねない。
「私の腕に掴まっているように」
「で、ですが」
「こういった城は、敵を撹乱する仕掛けがある。うっかり迷い込んで出られないということにもなりかねん」
 よもや、シリウス自ら、腕を差し出してくるとは。
 馬から下りるときに手を貸してくれるときも、ムスッと眉間に皺を寄せていたというのに。
 婚約者にも関わらず、彼は舞踏会でアイリーンとダンスをすることすら嫌がっていた。
 いや、今も仕方なしか。
 単に面倒に巻き込まれたくないだけ。
 アイリーンに怪我でもさせたら、後々難儀だから。
 シリウスの鍛えられた上腕筋にドキドキしつつ、触れることの理由を考えて心が冷えた。
 他の令嬢に対しては愛想良く微笑んでいると言うのに、アイリーンの前では始終口をへの字に曲げ、鋭く目を尖らせている。今も表情は同じだ。見事に変わらない。
「居住区に入るぞ」
 シリウスが言うなり開いた扉は、中庭へと続いていた。
 かつては薔薇を始めとした見事な花々が咲き誇り、噴水の煌びやかな庭園だったのだろう。
 今や見る影もなく、膝丈の雑草が繁り、その隙間から大理石の女神像が傾く壊れた噴水が見え隠れしていた。
 かつては小道だっただろう雑草だらけの石畳を、シリウスは黙って進む。彼の心中は測れないが、明日は我が身だと気を引き締めているのか。
「あっ」
 うっかりと、石畳の隙間に靴先を引っ掛けてしまったアイリーンは、重力に逆らえず前のめりになった。
 しまった!
 このままでは顔面を敷石にぶつけてしまう。
 だが、上手く身動き出来ない。
 アイリーンは自分の顔が血だらけになる様を思い浮かべ、ぎゅっと瞼を閉じた。
「……? 」
 覚悟した痛みは訪れなかった。
 代わりに当たったのは、鼻先での硬い感触。ふわり、とオリエンタルなやや強めのムスクの香りが鼻腔をくすぐる。
「大丈夫か」
 前のめりになったアイリーンの体を真正面から受け止めたシリウス。
 ダンスでさえある程度の距離を保っていたから、これほど密着したのは初めてのことだ。
 どちらの心音かわからないくらいの近さに、アイリーンは耳まで顔を赤らめ、ちゃっかりもう一度彼のシャツに染みついたムスクを吸い込んだ。
 何故かシリウスも、アイリーンの腰に回した腕を解こうとはしない。
 アイリーンはそっとシリウスの胸元に手を置くと、指先を通して心臓の動きが伝わってくる。健康的ではあるが、どことなく拍動が速めだ。
 このまま、耳に心地よいリズムを聴いていたい。
 などと浸ってもいられない。仕舞いにじっとりと蒸してきて、己の汗ばむ匂いが気掛かりとなり、ようやくアイリーンは身じろぎした。
「も、申し訳ありません。殿下」
 声が上擦らないように細心の注意を払いながら、どうにかいつも通りの調子に、アイリーンはホッと息をつく。
「気をつけたまえ」
 平然とした顔つきとは裏腹に、内心は動揺で荒ぶるアイリーン。
 対するシリウスは、眉根を寄せて、ぶっきらぼうに言い捨てる。
 すぐさま、アイリーンを押し退けて。婚約者といえど、あまり好ましく思えない女性と密着して不機嫌極まりないと言わんばかりに。
 そこまで嫌がらせなくても良いものを。
 アイリーンはギリギリと奥歯を噛むと、絶対にこの男に隙は見せまいと拳を握った。

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