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婚約者同士の胸の内

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 丸々と太った羊らが牧草を食み、時折、のんびりした鳴き声を上げている。
 冬を雪の下で過ごした小麦が、白い花をつけていた。
 その畑の脇を馬で走り抜けながら、目指すは古城の跡地だ。小高い丘にあるその古城は、かつては見張り台としての役割を設けて、攻め入る敵を睨んでいた。まさか、海や山を跨いだ他所の国ではなく、反乱軍となった自国の民に滅ぼされようとは、思ってもみなかっただろう。
 西側の豊潤な土地と比べて、岩場の多い最北の大地は農耕には適さない。
 だが、鬱蒼とした広葉樹林と、切り立つ岩山が他国の侵入を阻む。この地をいづれは王弟が引き継ぐ意味は大きい。


***********


 シリウスを怒らせるつもりなどないのに。
 アイリーンは、馬の尻を叩いてわざと速度を上げる彼の背に、こっそりと鼻を啜る。奥歯を噛んでいないと、涙が零れ落ちそうだ。
 婚約破棄、の言葉はアイリーンにこたえた。
 彼は自分がアイリーンに嫌われているのだと信じて止まないが、真相は真逆だ。
 アイリーンは彼に恋している。初恋だ。
 それはもう、誰にも負けないくらいに想いは強い。
 王宮主催の夜会で拝見する彼の姿に憧れを抱き、下品な黄色い声を上げる令嬢らを隠れ蓑に、毎回遠巻きにぼうっと惚けて彼を眺めていた。
 眼福で満足だったのに、突然舞い込んだシリウスとの婚約に有頂天となって、あんまり興奮して丸二日熱を出して寝込んだ。片思い歴十年近くの無垢な乙女には、なかなかに刺激の強い話だった。
 素直にその気持ちを彼に伝えることが出来れば何ら問題なかったのに、一筋縄ではいかないのがアイリーンの性格である。金で王弟が買われただの、相思相愛を引き裂いた悪女だの、周囲の妬み嫉みが激しく、しかも肝心のシリウスはさも迷惑そうな目をアイリーンに向けてくる。
 そうなると、ムクムクと表れてしまうプライドの高さ。高飛車な振る舞い。
 彼への恋心を隠せば隠すほど、二人の溝は深まるばかり。
 きっと夫婦になれたところで、白い結婚となり、シリウスは愛人のいる別邸から帰っても来ないだろう。
 アイリーンは灯の消えた屋敷で、ひたすら夫の帰りを待ち、枕を濡らすのだ。惨め過ぎる。
 簡単に先が読めてしまう未来に、またもやアイリーンは行儀悪く鼻を啜った。
 

***********


 シリウスはチラリと、斜め後方を走るアイリーンを見やった。
 乗馬服に身を包むその姿は、まさに優雅。馬を操る手捌きは未だに辿々しいものの、配慮のないシリウスにどうにか付いて来ており、遅れを取らない。
 黒檀の艶々した髪は三つ編みにして後ろに結い上げ、ほっそりした白いうなじがなかなか色っぽい。アーモンド型の琥珀の瞳は常に吊り上がり、気の強さが顕著に表れている。その目で睨みつけられたものなら、気の弱いお坊ちゃんならたちまち失禁してしまうだろう。
 高飛車な物言いといい、品行方正な振る舞いといい、このように身も心もピンと糸を張った女を組み敷いたなら、どのような反応を見せるのだろうかと、シリウスは妄想が止まない。
 王弟といえど、シリウスも二十七の成人男性。それなりに火遊びはしてきた。仮にアイリーンから過去の女性関係を尋ねられたとしても素直に口に出来るくらいに、後腐れはない。嫌味ったらしく名前を出されたレベッカ嬢との関係はノーコメントを貫くが。
 二人は広葉樹林に沿って流れる小川で、一旦、馬を止めた。
 春の雪解けの茶色く濁った水は流れきり、今は透明に澄んだ水質へと戻ってきている。
 馬を降りてそこらの枝に繋ぐと、シリウスはアイリーンに手を貸した。
 護衛がいながら、彼女はさも当然のようにシリウスが手を差し出すことを待っている。右足を下ろすと、あぶみに掛けていた左足をよいしょと慣れない仕草で外す。馬の扱いにはまだ不慣れだ。このような状態で、よく遠乗りの誘いを了承したものだと、シリウスは呆れた。不慣れを理由に断るのは、どうも彼女のプライドが許さないらしい。
 ぎこちなく馬から下りるなり、そのままシリウスに身を委ねてくる。程よく柔らかい肉付きの体。いつも胸を反らせて必要以上に威圧感を見せているが、実際の彼女は酷く華奢だ。背もシリウスの胸あたりまでしかない。たが、小さな体に反して見た目以上に胸は大きい。遠乗りのたびにそう思わせるくらいに。
 慣れない遠乗りの緊張と疲労で、白い頬が上気している。唇からは憎々しい言葉ではなく、途切れ途切れの吐息が漏れる。
 シリウスの脳裏に、ふと、アイリーンと睦み合うシーンが浮かんだ。まだ想像上でしかない裸の体を組み敷き、微かな喘ぎを耳にしながら、豊満な乳房を手のひらで円く転がしてやる。アイリーンはシリウスの背中に爪を立て、甘く名前を呼んで……。


**********


「シリウス殿下? 」
 アイリーンは、肩を掴んだまま微動だにしなくなったシリウスを、怪訝な目で見上げた。
 心ここにあらずで、彼の視線は遠い。
「シリウス殿下? 」
 再度、名を呼べば、大袈裟なくらいに肩を揺すって、どんとアイリーンを突き飛ばす。
 弾みでよろめいたが、アイリーンは膝で踏ん張って耐えた。
「す、すまない。ぼんやりして」
 シリウスは額から一筋垂れた汗を袖で拭う。
「公務でお疲れではなくて? それなら、遠乗りなどご無理なさらずとも」
 素直に彼の身を案じれば良いものを、口をついて出るのは嫌味ったらしいもの。
「無理などしていない」
 たちまちムスッとしたシリウスは、彼女を素通りし、近くの木陰に入る。
 川で馬が喉を潤すのを眺めながら、木の幹に背をつけて座り込むシリウスは、まさに絵画の一コマのようだ。
 護衛から受け取った水筒の水をちびちびと飲みながら、アイリーンは遠巻きに彼に見惚れた。
「フォスター公爵令嬢。水は飲み過ぎるな。これから森を抜けて、古城へと向かう」
「い、言われなくともわかっております」
 アイリーンは眉を寄せた。
 シリウスと婚約したとはいえ、未だに彼から名前で呼ばれたことはない。


 
 
 
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