【完結】恋愛小説家アリアの大好きな彼

晴 菜葉

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怒りの渦

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 猛火はアリアの恐怖を溶かし、憤怒へと形を変えた。
 天使のような慈愛は、天誅を下す怒りへ。
「アリアを離せ」
 ケイムは何とか感情を押し殺し、冷静さを保っている。
 そうしないと、いつ、イヴリンの怒りが着火するかわからない。
 それがますますアリアの怒りを滲み出させる。
 アリアが囚われているから、彼は動きを封じられている。
 もう迷いはない。
 ガブリ、とアリアは首に巻きついた腕に歯を立てた。
「痛ああ! 」  
 不意打ちに、イヴリンは真後ろにひっくり返る。尻を打ちつける鈍い音が響いた。
 今だ!
 アリアは束縛を振り払うと、とにかく前のめりに走った。
「アリア! 」
 ケイムが両手を広げて待ち構える。
 そこは昔からアリアの安心出来る場所。アリアのために用意された場所。
 アリアはケイムの胸の中へ頭から飛び込んだ。
 凄まじい速さを真正面から受け止め、ケイムはニ、三歩後ろに倒れかけたがどうにか踏ん張った。
「ああ! ケイム! 」
 筋肉質な硬い胸板に耳を寄せる。
 心臓のリズムがまともではない。異常な拍動は、アリアかケイムか、それともお互いのものか。
 体中の血がどくどくと巡って、緊張の汗がぐっしょりと衣服を濡らした。まるで水を被ったように。
「バカ! 無茶しやがって! 」
 つむじに深くて長い溜め息をくらう。
 震えるケイムの指がアリアの髪に滑り込み、さらに胸元へ引き寄せられた。
 彼の異常な心音は直らない。
 アリアの度胸がなければ、事態は膠着していた。
「うう! 何! 何なの! 」
 一瞬のことで、状態を把握出来ていないらしい。イヴリンは打ちつけた尾てい骨をさすりながら、よろよろと立ち上がる。
 すぐさま、人質が逃げたことを知るや、目の色を変えた。
「よくも! 」
 倒された勢いで、手にしていたピストルが弾かれ、床に転がっている。
 イヴリンは慌ててそれを拾おうと手を前に突き出す。
「無駄だ」
 寸でのところで、ルミナスの靴先がピストルを蹴飛ばし、遠くへ飛ばした。
 ピストルは回転しながら廊下へと滑って行く。
「アリアを妬むのはお門違いだろ」
 ルミナスは腕を組み、表情筋を殺して静かに言ってのけた。
「お前だって、もうわかっているはずだ」
 アリアを憎んだところで、男が戻ってくるわけではない。
 イヴリンも耳にしているはずだ。
 ラムの長男は家の再興を早々に諦め、残された財産を食い潰し、遊興に耽っていると。賭博、酒、女の日々。そこには待たせている女の存在など微塵もない。
「そうよ! わかってるわ! 」
 彼女は現実逃避をしていた。
「あの人は来ない! 」
 自覚しながらも、その事実を受け入れることを拒んでいたのだ。
「私だけが、あの人を想ってる! 」 
 だが、ルミナスのあまりにも冷静な指摘に、認めざるを得ない状況に追い詰められた。
「あの人は、最初から私のことなんて! 」
 わああああ! イヴリンは泣いた。泣いて泣いて、とにかく泣き喚いた。
 最早、彼女に殺意はない。
 今まで辛抱していた悲しみを吐き出すように、ただ闇雲に泣き叫んでいる。


 不意に、どかどかと激しい足音がどこからともなく上がって、だんだん近づいて来た。
 二人、いや、三人。五人、六人と、どんどん足音が増えていく。
 腐りかけた床板を踏み抜くのではないかと心配になるくらいだ。
「な、何? 」
 唐突なその音が怖くなって、アリアはケイムの胸元のシャツをくしゃくしゃに握りしめて、さらに引っ付く。
「おい、アークライト。今頃か? 呼ぶのが遅いじゃねえか」
 ケイムが舌打ちする。どさくさ紛れで、その手はアリアの尻に回り込み、がっしりと柔らかい肉を掴んだ。
「タイミングを見計らっていたのだ」
 不機嫌にケイムの手の行き場を睨みつけつつ、ルミナスが答えた。
「警察だ! 」
 どかどかと雪崩れ込んできた集団が、イヴリンを取り囲む。
 イヴリンは抵抗すらせず、ひたすらヒステリックに泣き喚いている。
「い、いつの間に? 」
 いつ、警察を呼んだのだろう。
 アリアは突如現れた集団に驚き、声を上擦らせた。
「最初からだろ」
 ケイムは掴んだアリアの尻を円く撫で回した。
「最初? 」
「ああ。屋敷に入る前から」
「嘘」
「根回しはあいつの得意分野だろ」
 言いながらケイムはルミナスへと視線をずらす。
 ルミナスは当然のように頷いた。
 通りで、屋敷の散策中、背後に視線を感じたはずだ。パキパキと砕けたガラスを踏む音も、彼らだ。
 彼らは息を殺してタイミングを見計らっていたのだ。
 それなら、捕らえられた時点でどうにかしてほしかった。
 アリアが逃げ出すことも計算ずくだったのか。それとも、救出の策を練ってあり、時季を見ていただけか。
 かくして、ケイム監禁事件は幕を閉じた。
 縄で拘束され、何ら抵抗せずに連行されていくイヴリンを、アリアはぼんやりと見送った。








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