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奇跡

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 軋んだ音を立てて扉が開いていく。
 アリアは固唾を呑んで見守った。
 明かりのない真っ暗な部屋に、一筋の光が入っていく。
 書棚が動くに連れて、だんだん光の筋が広がっていく。
 チラリと覗いた、革靴の先。
 薄汚れたズボンの裾。
 節の張った指先。
 肘まで捲り上げられたシャツの袖。
 逞しい二の腕。
 仰向けに倒れた姿。
「ケイム! 」
 まだ完全に扉が開き切らないうちに、アリアは隙間から中へと滑り込んだ。
「ケイム! ケイム! 」
 埃で薄汚れた衣類。ぼさぼさに乱れた栗色の髪。いつになく伸びた顎髭。
 ラピスラズリを彷彿した瞳の色は輝きを見せず、彼の瞼は固く閉じられたまま。
 アリアは彼の左肩を揺すった。
 一瞬、呼吸が停止しているのかとヒヤリとしたが、胸元が微かに上下していたので安堵の息を吐く。
「生きているのか! 」
 父も娘と同じことを考え、率直に口に出した。
「気を失っているだけよ」
 丸一日、監禁されていたのだ。
 もしかしたら、何かよからぬ薬でも含まされたかも知れない。
「ケイム! 」
 真っ青になり、アリアは叫んだ。
 アリアの声が届いたのか。
 彼の目元が微かに痙攣した。
「ケイム! しっかりして! 」
 アリアは見逃さず、夫をさらに揺すった。
 いつしか涙が眦に溢れており、雫が頬を伝っていた。
 行方知れずの夫を発見出来た喜びからか。安堵からか。それとも、なかなか目覚めないことへの不安か。理由はわからない。
 だが、涙は途切れることなく頬を濡らす。
「……泣くな」
 不意に、掠れた低い声が上がる。
 続いて、涙を掬い取られた。
「ケイム! 」
 微かな笑みを口元に浮かべた夫が、上半身を起こしていた。
 物理的なものと心理的なものが合わさり、だいぶとやつれてしまっている。
「もう二度とお前に会えねえって覚悟した」
「結婚式も挙げてないうちに、私を未亡人にさせないで」
 アリアの体調に波があり、様子を見ているうちに、あっという間に間もなく臨月だ。まだウェディングドレスに袖を通していない。
「子供が生まれたら、式を挙げようか」
「順番が滅茶苦茶じゃない」
「俺達らしいだろ」
「そうね。付き合っていないうちからセックスして、結婚もまだなのに赤ちゃんが出来て」
「ああ。プロポーズは断られるしな」
「そうね。それが私達ね」
 くすくすとアリアが笑う。
 つられたように、ケイムも口元を綻ばせた。
 互いに微笑し合い、やがて、声が途切れる。
 どちらからともなく、互いの顔が近づいて唇が重なる。
 たった一日のことなのに、随分長い間触れ合っていなかったように感じる。
 彼の唇は潤いを失い、ガサガサと荒れていた。
 それを補うように、アリアは相手の輪郭を丁寧に舐めて、ゆっくりと互いの舌が絡み合う。
 ぴちゃぴちゃと微かな水音が、静まり返った室内に響いた。
 

 
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