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怪しい夫
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ショコラ・ブティックのチョコレートを食堂のテーブルに広げてうっとりとそれら一粒一粒を鑑賞していると、唐突に真横からオレンジピール入りの一粒がヒョイと奪われてしまった。
「あっ! 」
一番先に食べてしまおうと目星をつけていたものだ。
アリアは大事なものは先に食べてしまう主義。
そのアリアよりも上手がいた。
「大事なものは、もっと気をつけないと」
悪戯っぽく片目を瞑って、パクリと一粒を口に放り込む。
「レイモンド! 」
生意気な弟にしてやられた。
「酷いわ! 」
「お姉様は油断し過ぎだよ」
ニヤニヤとレイモンドが揶揄う。
笑い方といい、行動といい、間もなく九歳になるレイモンドはますます父を彷彿させるようになった。
「急にうちに何の用? 」
これ以上チョコレートを取られてたまるかと両手で覆いながら、アリアは問いかける。
レイモンドが屋敷に来るなんて、連絡一つ入っていない。
「ジョナサン卿に頼まれたんだよ」
レイモンドはアリアの向かい側に腰を下ろすと、ジョナサン邸の家令に臆することなくキューリのサンドイッチとミルクティーを頼んでいる。あまりにもその堂々っぷりに、アリアは呆れて溜め息をついた。
「彼に何を頼まれたの? 」
「お姉様をアークライト邸に連れ戻すこと」
「私を? 」
朝、仕事に出掛ける際、ケイムは一言もそんなことは口に出さなかった。
「初耳だわ」
もしや今日、何かしらの事態が発生したのだろうか。昼間のミス・レイチェルとの会話が蘇ってくる。
「彼ったら、そんなに危なっかしい仕事に首を突っ込んでいるの? 」
胸に染みついた嫌な黒い塊が、だんだん大きくなっていく。アリアの動悸が激しくなり、酸素が薄くなってきた。そんな母親の不安に同調するかのように、最近落ち着いていた胎の中が俄かに動いた気がする。
「さあね? 」
レイモンドは立ち上がると、アリアの大きくせり出した腹を優しく撫でた。まるで、不安になった赤ん坊を宥めるように。
「案外、お姉様を追い出して、女性を引き込む算段かも知れないよ」
「何ですって! 」
「やだな。冗談だよ」
彼なりのブラックジョークだが、アリアは本気で捉えてしまう。
ケイムは未だに女性から色目を使われているとか。この間、法律家の彼氏が出来たと報告に来たエマリーヌから、遠回しな言い方で教えられ、心配された。
「冗談だってば」
黙り込んだアリアに、レイモンドは困り顔だ。
「そう言えば、何だか最近とてもよそよそしいの」
「そんなことないよ」
「あんたに何がわかるのよ」
ギロリとレイモンドを睨みつける。
「ジョナサン卿の頭の中は、お姉様の裸のことでいっぱいだよ」
「裸は余計よ」
子供ながら際どいジョークは、絶対にあの父の影響だ。ますますアリアは不快になる。母が知れば激怒案件だ。
「とにかく、お姉様をうちに連れ戻すようにって頼まれたんだよ」
「理由は? 」
「知らないよ」
本当に知らないようだ。レイモンドは舞台役者のような大袈裟な仕草で肩を竦めてみせた。
「だったら、行かないわ」
アリアは頑固だ。
「私はここに残るわ」
とにかく、ケイムに疑いを持ってしまった以上、易々と発つことは出来ない。
「駄目だよ。僕がジョナサン卿に締め上げられちゃう」
レイモンドは急に泣き事を言い出す。弟はケイムに心酔しているから、与えられた使命を全うしたいのだ。
「それに、もうすぐ子供が生まれるだろ」
「尚更よ。私はここで産むわ」
「お父様もお母様も、すぐには駆けつけられないから」
「ケイムがいるから平気よ」
「仕事中なら、すぐには戻れないじゃないか」
もっともな言い分に、アリアは黙るしかない。
「無事に跡取りを産むのが使命だって、散々言っていただろ。お姉様の発言は矛盾してるよ」
アリアが口を噤んだことをいいことに、さらにレイモンドは畳み掛ける。
最早、アリアに反論の余地はない。
「……わかったわ」
アリアは仕方なく頷いた。
お腹の子供を守れるのは、他ならぬ母親のアリアだ。
「明日の午後に帰るわ」
しかし、湧き出した暗雲をそのまま放置するわけにはいかない。
彼が浮気しているにしても、何やら危ないことに首を突っ込んでいるにしても、解決してからしか戻らないつもりだ。
悶々としているのは、胎教に悪影響だ。
「彼にちゃんと挨拶してからね」
アリアの意思は固い。
「約束だよ。絶対、こっちに戻って来てね」
「ええ」
レイモンドの必死の願いに、アリアは大きく頷いた。
「あっ! 」
一番先に食べてしまおうと目星をつけていたものだ。
アリアは大事なものは先に食べてしまう主義。
そのアリアよりも上手がいた。
「大事なものは、もっと気をつけないと」
悪戯っぽく片目を瞑って、パクリと一粒を口に放り込む。
「レイモンド! 」
生意気な弟にしてやられた。
「酷いわ! 」
「お姉様は油断し過ぎだよ」
ニヤニヤとレイモンドが揶揄う。
笑い方といい、行動といい、間もなく九歳になるレイモンドはますます父を彷彿させるようになった。
「急にうちに何の用? 」
これ以上チョコレートを取られてたまるかと両手で覆いながら、アリアは問いかける。
レイモンドが屋敷に来るなんて、連絡一つ入っていない。
「ジョナサン卿に頼まれたんだよ」
レイモンドはアリアの向かい側に腰を下ろすと、ジョナサン邸の家令に臆することなくキューリのサンドイッチとミルクティーを頼んでいる。あまりにもその堂々っぷりに、アリアは呆れて溜め息をついた。
「彼に何を頼まれたの? 」
「お姉様をアークライト邸に連れ戻すこと」
「私を? 」
朝、仕事に出掛ける際、ケイムは一言もそんなことは口に出さなかった。
「初耳だわ」
もしや今日、何かしらの事態が発生したのだろうか。昼間のミス・レイチェルとの会話が蘇ってくる。
「彼ったら、そんなに危なっかしい仕事に首を突っ込んでいるの? 」
胸に染みついた嫌な黒い塊が、だんだん大きくなっていく。アリアの動悸が激しくなり、酸素が薄くなってきた。そんな母親の不安に同調するかのように、最近落ち着いていた胎の中が俄かに動いた気がする。
「さあね? 」
レイモンドは立ち上がると、アリアの大きくせり出した腹を優しく撫でた。まるで、不安になった赤ん坊を宥めるように。
「案外、お姉様を追い出して、女性を引き込む算段かも知れないよ」
「何ですって! 」
「やだな。冗談だよ」
彼なりのブラックジョークだが、アリアは本気で捉えてしまう。
ケイムは未だに女性から色目を使われているとか。この間、法律家の彼氏が出来たと報告に来たエマリーヌから、遠回しな言い方で教えられ、心配された。
「冗談だってば」
黙り込んだアリアに、レイモンドは困り顔だ。
「そう言えば、何だか最近とてもよそよそしいの」
「そんなことないよ」
「あんたに何がわかるのよ」
ギロリとレイモンドを睨みつける。
「ジョナサン卿の頭の中は、お姉様の裸のことでいっぱいだよ」
「裸は余計よ」
子供ながら際どいジョークは、絶対にあの父の影響だ。ますますアリアは不快になる。母が知れば激怒案件だ。
「とにかく、お姉様をうちに連れ戻すようにって頼まれたんだよ」
「理由は? 」
「知らないよ」
本当に知らないようだ。レイモンドは舞台役者のような大袈裟な仕草で肩を竦めてみせた。
「だったら、行かないわ」
アリアは頑固だ。
「私はここに残るわ」
とにかく、ケイムに疑いを持ってしまった以上、易々と発つことは出来ない。
「駄目だよ。僕がジョナサン卿に締め上げられちゃう」
レイモンドは急に泣き事を言い出す。弟はケイムに心酔しているから、与えられた使命を全うしたいのだ。
「それに、もうすぐ子供が生まれるだろ」
「尚更よ。私はここで産むわ」
「お父様もお母様も、すぐには駆けつけられないから」
「ケイムがいるから平気よ」
「仕事中なら、すぐには戻れないじゃないか」
もっともな言い分に、アリアは黙るしかない。
「無事に跡取りを産むのが使命だって、散々言っていただろ。お姉様の発言は矛盾してるよ」
アリアが口を噤んだことをいいことに、さらにレイモンドは畳み掛ける。
最早、アリアに反論の余地はない。
「……わかったわ」
アリアは仕方なく頷いた。
お腹の子供を守れるのは、他ならぬ母親のアリアだ。
「明日の午後に帰るわ」
しかし、湧き出した暗雲をそのまま放置するわけにはいかない。
彼が浮気しているにしても、何やら危ないことに首を突っ込んでいるにしても、解決してからしか戻らないつもりだ。
悶々としているのは、胎教に悪影響だ。
「彼にちゃんと挨拶してからね」
アリアの意思は固い。
「約束だよ。絶対、こっちに戻って来てね」
「ええ」
レイモンドの必死の願いに、アリアは大きく頷いた。
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