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夢心地のダンス
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「お嬢様、ダンスを一曲お願いします」
「いや、私が」
「私が先だ」
「是非、私と」
曲調が変わるや否や、アリアは男性陣に取り囲まれてしまった。
エマリーヌといえば、もうダンスの相手を見つけて綺麗なお辞儀なぞ披露している。
取り残されてしまったアリアは、背中に汗をびっしり浮き上がらせる。
真っ黒の燕尾服に四方から詰め寄られ、まるで蟻地獄に嵌ってしまったかのように動けない。
逃げ場もなく、かと言ってお誘いを断るのは無礼に値する。誰か一人は必ず選ばなければならない。貴族の父に要らぬ恥をかかせてしまう。アリアはアークライト家として顔を売り込んでいるのだから。
だが、誰しもがグイグイと手を伸ばして強引であり、おまけに仮面をつけているから余計に迫力がある。
アリアは困り果ててしまった。
「お嬢さん。私とお願い出来ますか? 」
そのとき、聞き間違えるはずのない声が、数多の男らを掻き分けた。
男らしい節の張った大きな手。
また触れたいと願っていた。
もう叶わないと諦めていたのに。
仮面の下の目元が優しく細められている。
零れそうな涙を堪えて、アリアはその手に自分の手を重ねた。
大理石の床を優雅に回る。
ワルツのリズムが耳に心地良い。
彼はアリアをリードしながら、楽団の音色に乗った。
ふわふわして、まるで羽が生えてしまった気分だ。
彼はアリアであることには、きっと気づいていない。知れば、声すらかけないはずだ。
仮面が互いの正体を隠す。
ケイムはきっと、男に取り囲まれている若い娘に、ほんの出来心でちょっかいをかけただけ。
それ以上の理由なんてない。
舞い上がってしまいそうな気持ちを、アリアは必死に押さえ込んだ。
「久しぶりだな。アリア」
「……! 」
確かにケイムは名前を呼んだ。
アリアは息を呑み、一瞬、バランスが崩れた。
ケイムはさりげなくアリアの腰を支えて、バランスを立て直す。悔しいが、女慣れしている仕草だ。
「仮面をつけているのに、私がわかるの? 」
ケイムは相手がわかった上で誘ったのだ。
「当たり前だろ」
彼の顔半分は仮面に隠れてしまっているので、感情は読み取れない。だが、素っ気ない言い方で、機嫌を損ねてしまったのはわかった。
「私のこと、避けてたんじゃないの? 」
彼は答えない。
「……どうして? 」
再度尋ねれば、鬱陶しそうな舌打ちを食らってしまった。
「お前が困ってそうだったからだ。深い意味なんかねえよ」
「……そう」
広間の中央で優雅にステップを踏む二人。
アリアは幸せだった。
この瞬間だけ、恋人に戻れたような。
たった三分。
だけどアリアには、まるで長い夢の中にいるように、頭が微睡む。
永遠にこの時間が続けば。
だが、幸せな時間には限りがある。
音楽が高い調子となり、締めに入った。
「夜会に出るということは、そろそろ新しい男を漁りに来たのか? 」
「嫌な言い方しないで」
アリアはぷいと顔を背けた。
目線の先にいたのは、周囲の男性らと談笑するミス・メラニーの、ほんのり酔っ払った姿。彼女は、恋人が別の女性と踊っていても、見向きもしない。それだけケイムのことを信頼しているというのか。
たちまちアリアの胸に薄暗い雲が広がっていく。
「自分こそ、噂はそこかしこで聞くわ。今はミス・メラニー? 」
「まあな。今度、食事をする」
「食事だけじゃ済まないでしょ」
「お前には関係ないだろ」
「……」
素っ気なく流されてしまった。
アリアの顔から血の気が引いていく。
「え、ええ。そうよ」
ようやく発した声は掠れ、喉がカラカラだ。
彼は否定しなかった。
つまり、もうケイムはベッドを添い遂げる相手を見つけているのだ。
曲が終わる。
アリアはおざなりに礼をすると、ケイムの手を振り払った。
「アリア。待て」
払った手を再び捕まえられ、引かれる。
「離して。私はもう関係ないんでしょ」
「アリア」
勢いよく払えば、今度はあっさりと解けた。
ケイムは忌々しげにポケットに手を突っ込むと、背を向ける。
あのときと同じ、アリアを拒絶した姿。
絶望が蘇り、アリアは身を翻すと、一目散に母イザベラの元へ駆け戻った。
「まあ、アリア。素敵な殿方と一曲ご一緒したのね? 」
「あれ、ジョナサン卿よ」
「そうなの? 」
イザベラは呑気に首を傾げている。
アリアは大声を上げて泣き出したかったが、口元を固く結び必死に堪えた。涙が零れ落ちそうで俯くと、ぎゅっと瞼を閉じる。
「あら? 気分でも悪いの? 」
「……久々の夜会で疲れたみたい」
「屋敷に戻る? 」
「そうしたいわ」
ケイムと誰かがダンスを踊る姿なんて、見たくない。
ましてや、いちゃいちゃと身を寄せ合う姿なんて。
これ以上ない悲嘆が、アリアの全身に波となって押し寄せ、意識が遠退いていく。
夢の中のようなケイムとのダンスが、脳内で黒く塗り潰されていく。
このままでは失神してしまいそうだった。
「いや、私が」
「私が先だ」
「是非、私と」
曲調が変わるや否や、アリアは男性陣に取り囲まれてしまった。
エマリーヌといえば、もうダンスの相手を見つけて綺麗なお辞儀なぞ披露している。
取り残されてしまったアリアは、背中に汗をびっしり浮き上がらせる。
真っ黒の燕尾服に四方から詰め寄られ、まるで蟻地獄に嵌ってしまったかのように動けない。
逃げ場もなく、かと言ってお誘いを断るのは無礼に値する。誰か一人は必ず選ばなければならない。貴族の父に要らぬ恥をかかせてしまう。アリアはアークライト家として顔を売り込んでいるのだから。
だが、誰しもがグイグイと手を伸ばして強引であり、おまけに仮面をつけているから余計に迫力がある。
アリアは困り果ててしまった。
「お嬢さん。私とお願い出来ますか? 」
そのとき、聞き間違えるはずのない声が、数多の男らを掻き分けた。
男らしい節の張った大きな手。
また触れたいと願っていた。
もう叶わないと諦めていたのに。
仮面の下の目元が優しく細められている。
零れそうな涙を堪えて、アリアはその手に自分の手を重ねた。
大理石の床を優雅に回る。
ワルツのリズムが耳に心地良い。
彼はアリアをリードしながら、楽団の音色に乗った。
ふわふわして、まるで羽が生えてしまった気分だ。
彼はアリアであることには、きっと気づいていない。知れば、声すらかけないはずだ。
仮面が互いの正体を隠す。
ケイムはきっと、男に取り囲まれている若い娘に、ほんの出来心でちょっかいをかけただけ。
それ以上の理由なんてない。
舞い上がってしまいそうな気持ちを、アリアは必死に押さえ込んだ。
「久しぶりだな。アリア」
「……! 」
確かにケイムは名前を呼んだ。
アリアは息を呑み、一瞬、バランスが崩れた。
ケイムはさりげなくアリアの腰を支えて、バランスを立て直す。悔しいが、女慣れしている仕草だ。
「仮面をつけているのに、私がわかるの? 」
ケイムは相手がわかった上で誘ったのだ。
「当たり前だろ」
彼の顔半分は仮面に隠れてしまっているので、感情は読み取れない。だが、素っ気ない言い方で、機嫌を損ねてしまったのはわかった。
「私のこと、避けてたんじゃないの? 」
彼は答えない。
「……どうして? 」
再度尋ねれば、鬱陶しそうな舌打ちを食らってしまった。
「お前が困ってそうだったからだ。深い意味なんかねえよ」
「……そう」
広間の中央で優雅にステップを踏む二人。
アリアは幸せだった。
この瞬間だけ、恋人に戻れたような。
たった三分。
だけどアリアには、まるで長い夢の中にいるように、頭が微睡む。
永遠にこの時間が続けば。
だが、幸せな時間には限りがある。
音楽が高い調子となり、締めに入った。
「夜会に出るということは、そろそろ新しい男を漁りに来たのか? 」
「嫌な言い方しないで」
アリアはぷいと顔を背けた。
目線の先にいたのは、周囲の男性らと談笑するミス・メラニーの、ほんのり酔っ払った姿。彼女は、恋人が別の女性と踊っていても、見向きもしない。それだけケイムのことを信頼しているというのか。
たちまちアリアの胸に薄暗い雲が広がっていく。
「自分こそ、噂はそこかしこで聞くわ。今はミス・メラニー? 」
「まあな。今度、食事をする」
「食事だけじゃ済まないでしょ」
「お前には関係ないだろ」
「……」
素っ気なく流されてしまった。
アリアの顔から血の気が引いていく。
「え、ええ。そうよ」
ようやく発した声は掠れ、喉がカラカラだ。
彼は否定しなかった。
つまり、もうケイムはベッドを添い遂げる相手を見つけているのだ。
曲が終わる。
アリアはおざなりに礼をすると、ケイムの手を振り払った。
「アリア。待て」
払った手を再び捕まえられ、引かれる。
「離して。私はもう関係ないんでしょ」
「アリア」
勢いよく払えば、今度はあっさりと解けた。
ケイムは忌々しげにポケットに手を突っ込むと、背を向ける。
あのときと同じ、アリアを拒絶した姿。
絶望が蘇り、アリアは身を翻すと、一目散に母イザベラの元へ駆け戻った。
「まあ、アリア。素敵な殿方と一曲ご一緒したのね? 」
「あれ、ジョナサン卿よ」
「そうなの? 」
イザベラは呑気に首を傾げている。
アリアは大声を上げて泣き出したかったが、口元を固く結び必死に堪えた。涙が零れ落ちそうで俯くと、ぎゅっと瞼を閉じる。
「あら? 気分でも悪いの? 」
「……久々の夜会で疲れたみたい」
「屋敷に戻る? 」
「そうしたいわ」
ケイムと誰かがダンスを踊る姿なんて、見たくない。
ましてや、いちゃいちゃと身を寄せ合う姿なんて。
これ以上ない悲嘆が、アリアの全身に波となって押し寄せ、意識が遠退いていく。
夢の中のようなケイムとのダンスが、脳内で黒く塗り潰されていく。
このままでは失神してしまいそうだった。
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