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戻らない日々

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「ジョナサンったら、夜会で見境ないらしいわね」
 呆れた溜め息をつくと、ミス・レイチェルは椅子に深く腰掛け直した。
「今度は高級娼婦のソフィアの尻を追い回しているとか」
 アリアは、わなわなと小さく拳を振るわせつつ、黙って聞き流すしかない。
 唇を引き結び、今にも泣き出しそうに目を垂れ、長い睫毛を瞬かせる。
 恋人達の間に亀裂が入っているのは、誰が見ても明らかだ。
「あなたのスランプの原因は、それかしらね? 」
 ミス・レイチェルはまっさらのままのパーチメント紙をこれみよがしにアリアに見せつけた。
 今日、アリアが持ってきた原稿だ。
 ケイムと別れて以降、あれほど進んでいたペンが止まってしまった。
 せめて紙の上だけでも幸せな二人でいさせてあげようとしたのに。
 一文字だけで、どんどん涙が溢れ出す。
 別れたとき、部屋を出て行くケイムの蔑んだ眼差しが脳内に広がって、黒い染みとなり、思考回路を遮断させる。
「もう締切は伸ばせないわよ。このままじゃ、連載は」
「わかってるわ。でも」
 新連載が控えているというのに。締切が迫っているのはわかってはいたが、今ではペンすら握れない。
「何がどうしてこうなってしまったの? 」
 あれほど意気揚々と原稿を見せつけてきたというのに。
「先月はジョナサンが浮かれて、惚気話を聞け聞けとうるさくて。食事に誘ったのよ。この私をよ。信じられない」
「私も信じられないわ」
 アリアの知らないところで、そんな会話がなされていたなんて。
「それが、急用だとかでキャンセルになって。そして、この状況。一体、どうなってるの? 」
 急展開に、ミス・レイチェルは戸惑っている。
「プロポーズされたんじゃなかったの? 」
 何故、彼女はそこまで情報を掴んでいるのか。
「どうしてわかるの? 」
 アリアの胸元がチクチク痛む。
 返しそびれた結婚指輪は、鎖に繋いでネックレスとして服の下に仕舞い込んである。プロポーズを破棄したのだから、ケイムに返さなければいけない。
 でも彼が何も言ってこないから、アリアは恋の形見として未だに手元に残していた。
「当たり前でしょ。あなたの指のサイズや、流行のデザインだとか、散々聞かれたんだから」
 まさかケイムがアリアに隠れてそんなことをしていたなんて。しかも、大嫌いだと憚らないミス・レイチェルに。
「で、どうして不発だったのかしら? 」
 ミス・レイチェルはそこまでして何故失敗に終わったのか、知る権利を主張した。
「私が断ったからよ」
 アリアは素直に答えた。
「何故? 」
 ミス・レイチェルの表情が明らかに強張る。
 あれほどケイムケイムとうるさいのだから、プロポーズをされたら二つ返事で受け入れるだろうと、誰しもが考えるはずだ。
「年齢差なんて、貴族には珍しくもないでしょ? 」
 実際、男性のほとんどが二十代後半から三十代半ばで婚姻する。寄宿学校で学び、貴族としての仕事が軌道に乗ってからの相手探しなので、珍しくはない。女性は十六から二十三歳が適齢期なので、差があって当然。
「私達は、そうはいかないの」
 何やら複雑な事情があるらしい。
 ミス・レイチェルはアリアの気持ちを汲んで、それ以上の追求はしなかった。
「素敵な男性を紹介しましょうか? 」
「今はそんな気分じゃないわ」
 新しい恋なんてもう出来ない。
 出来るわけがない。
 ケイムを知ってしまった後は。
「酷い顔色よ。随分、痩せたみたい」
「食欲がなくて」
「何だか心配よ」
「大丈夫。ありがとう」
 別れて以来、彼とは会っていない。
 アークライト邸にすら、何かと理由をつけて訪れなくなった。
 そんな中、嫌でも聞こえてくるのは、彼の恋の噂話ばかり。
 アリアの元気は日毎に失われていく。

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