【完結】恋愛小説家アリアの大好きな彼

晴 菜葉

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求婚と決別

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 彼とは何度も体を重ねたが、薄い膜越しでないのはこれで二度目。前回は直後に生理がきたが、今回はどうなるかわからない。
 アリアは小説から知識を得ていたから、何をすれば妊娠するかわからない子供ではない。
 どろっと裂け目から白濁が垂れ落ちるものの、未だに子宮がどくどくと脈打ち、何かが留まっている気がする。
 もし、ケイムとの子供を宿していたら。
 それは子供の頃からの夢が現実になる瞬間だ。
「アリア、これを」
 微睡を貪るアリアの薬指にケイムが軽く口付ける。
 いつの間にか、純度の高い金の指輪が嵌められていた。
「まあ。これって、もしかして」
 指輪に彫られていたのは、カミツレの紋章。
 アークライト家の鈴蘭ではない。
「そろそろ『ケイムおじさん』を終わらせてくれ」
 カミツレは、ジョナサン男爵家の紋章だ。
 つまり……。
「私、ケイムのお嫁さんになれるのね? 」
 アリアの顔が華やぐ。
 幼い頃にしょっちゅうお絵描きした、花嫁の隣で笑顔で笑う花婿のケイム。その空想画が今まさに、現実になろうとしている。
「うれしい! やっと夢が叶うのね! 」
「まだ早いがな」
 ケイムは苦笑いすると、シャツを羽織った。
「アークライトを説得するのは、なかなか骨が折れるぞ。あいつは、お前を異常なくらい溺愛してるからな」
 ボタンを嵌め、タイを締める。すでにズボンは履いており、後はフロックコートに袖を通すだけ。
「そうだったわ」
 未だに裸体を晒すアリアは、途端に項垂れてしまった。
 みるみるうちに、大粒の涙が溢れて、肩が小刻みに揺れる。
 明らかに喜びからではない。
 彼女の頭上には、どっしりと暗く重たい雲が広がっていた。
「私、ケイムのお嫁さんにはなれない」
 ケイムから笑顔が消える。
「何でだよ」
「お父様を裏切ることになるわ」
 アリアとはあまり似ていない父。
 アリアは母親似だ。年を経るごとに、ますます肖像画に描かれた容姿に近づいていっている。
 それがわかっていながら、父はアリアを可愛がってくれる。
「私、お父様の本当の子供ではないの」
 唐突に暴露してしまった。
「お母様とお爺様との間に出来た、不義の子なのよ」
 アークライト家の生涯の隠し事。
 アリアの父は、父ではない。血縁上は、義理の兄にあたる。
 突然の打ち明け話に、ケイムは目を見開き、動きを止める。
「お父様はそれを承知で、私を娘として育ててくれているわ」
 ケイムの戸惑いには構わず、アリアは続ける。
「お父様もイザベラも、私を実の子供のように、慈しんでくれる」
 耐え切れずにアリアは、解雇されたメイドから秘密を聞かされたことを父に報せた。それでも父は、そしてイザベラも実の子供であるレイモンドと何ら分け隔てはしない。
 アリアが立派な淑女になるように。
「だから、家族を裏切れない」
 父の望みは、アリアが貴族の娘として至極当然とされる生活を得ること。彼女の生い立ちが余計にそう思わせていた。
「ケイムおじさまは、お父様の大事な友人でしょ」
 寄宿学校を共に過ごして以来の結びつきは強い。
「私のことも、幼い頃から知る娘」
 アリアのことは十年前からよく知る、友人の娘。
「そんな関係が崩れたら」
 まさか親子ほどの年の差の二人が、関係を変化させていたなんて。父のショックは大きい。
「それの何が悪いんだよ」
 黙って聞いていたケイムだったが、だんだん別れ話に転じていくことへ我慢がならず、遮った。
「俺はアリアを愛してる。それだけだ」
「それが駄目なのよ」
「だから何でだよ」
「皆んなを騙してるのよ」
「騙してないだろ」
 彼の目は怒りを孕んで赤くなっている。
「そもそも、関係を変えたのはお前じゃないか」
「私だけのせい? 」
 アリアの目元が怒りで赤くなる。
「ケイムだって乗ったでしょ。同罪よ」
「ああ。だから、俺はお前と幸せになりたいんだよ」
「それが無理なの」
「意味わかんねえよ」
 舌打ちし、アリアに背を向ける。
 それきり、黙り込んだ。
 アリアに向けた背は、いつになく彼女を拒絶している。声すらかけさせない。
 つい数分前の甘さはもうどこかへ消し飛び、今は冷え冷えした重苦しい空間となってしまった。
「……わかったよ」
 酷く感情のない声。
「お前は俺に『優しいケイムおじさん』に戻れって言いたいんだな」
 それは、アリアとの新たな関係を壊す言葉。
「振られ慣れてるからな。今更、どうってことない」
 彼は足元のドレスを拾うと、アリアに投げつけた。
 そのまま、さっさと扉へと向かう。
「待って! 」
 咄嗟に引き留めてしまった。
 だが、言葉が出てこない。
 これ以上続けたら、出てくるのはきっと未練たらしいものであるとわかっていたから。
 縋りつきたい気持ちをぐっと堪えて、アリアは口元を引き結ぶ。
「表で待っているから。さっさと支度を済ませろ」
 アリアの声が途切れたことで、ケイムはノブを捻った。
 彼が出て行く。
 その扉を出てしまえば、もう、この関係が終わってしまう。
 つい、叫んでしまった。
「待って! ケイム! 」
「ケイムおじさま、だろ? 」
 ケイムは冷たく言い放つと、部屋を出て行った。
 無常に閉まる扉。
 ケイムと呼ぶことを許された彼はいない。
 階下にいるのは、父の友人である「ケイムおじさま」。
 それを望んだのは、アリアだ。
 紙に描いた夢を滅茶苦茶に引き裂いたのだ。自分の手で。
 アリアはシーツに顔を埋め、啜り泣いた。

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