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怪しい宿屋

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「待て。止まれ」
 ケイムは御者に命じた。
 今しがたすれ違った一頭立ての箱馬車を目で追いかける。
「さっきのは、貸し馬車だ」
 それも、あまり品の良くない。
 このような土地で雇うには三頭立て、ケチったところで二頭立てだ。悪路を想定し、客車もそれなりの格のあるものを選択する。でなければ、このようなゴツゴツした道は耐えられない。
 逆に田舎に住む連中は慣れ切っているので、幌馬車で充分だ。
 中途半端な格の貸し馬車は珍しい。
「何故、こんな辺鄙な場所に? 」
 貸し馬車の速度からみて、目と鼻の先の宿屋から来たようだ。
「辺境村へ急ぐ恋人なら、こんな場所で足止めはしないはず」
 一刻も早く結婚したくて、駆け落ちするのだから。
 また、鍛冶屋結婚はなかなか金が掛かるから、仮に馬車をケチったとしても、こんな中途半端な宿屋で無駄金を果たそうとする愚か者はいないはず。
 ケイムは愚か者の単語に、セディを思い浮かべる。
「ジョナサン、どうした? 急いでるのだ。こんなところで停止するとは、どういう了見だ? 」
 足止めされた後続のルミナスが、いらいらと抗議してきた。目は血走り、額に筋が浮き、屋敷を発ってから馬車の中で娘を攫った不埒者に延々と呪いの言葉を吐いていたようだ。
「待て。あの宿屋が怪しい」
 ケイムは閃きを口にする。
「何だと? 」
「アリアはあそこにいる気がする」
「まさか」
「そう思えてならねえんだよ」
「根拠は? 」
「んなもん、勘だ」
 ケイムの思い過ごしで宿屋を探り、空振りすれば、その分アリアとの距離は開いてしまう。
 だが、直感に従えと何者かが頭の中に響かせてきた。
 ケイムは迷うことなく宿屋に入って行った。


 宿屋は表からもわかるように、内装もかなり古びている。
 立てつけが悪く軋んだ玄関の木戸を開ければ、目の前には変色してところどころ捲れた木製のカウンターがあり、そこには禿げ上がった年寄りが人相の悪い目つきで来客を迎え入れた。
「部屋ならまだ空いてるよ」
 ニタニタと黄色い歯を覗かせる。
「人を探している」
 ケイムはムッツリと尋ねた。
「客の情報なら教えられないよ」
 主人は素知らぬ風で紙幣を数えている。
 ケイムは舌打ちすると、懐から紙幣を一枚カウンターに叩きつけた。
「お客さん。うちにも信用ってもんがあるんだよ」
 ケイムはさらに舌打ちしてもう一枚を叩きつける。
「誰をお探しだい? 」
 主人は紙幣を二枚ポケットに仕舞うと、ニタニタと黄色い歯を剥いた。
「男と女だ。どちらも若い。女はまだ十六ほど。黄金色の髪を編み込んで、薄水色の瞳、肌の白い、天使と見紛うほどの美人だ」
 ケイムは大真面目に問いかける。
「お前は本当にアリアが可愛らしくて堪らないんだな」
 後方でルミナスが場違いな台詞を吐いたため、ケイムは睨んで黙らせた。
「いるのか、いないのか」
 ケイムは主人に詰め寄る。
「いるよ」
 あっさりと主人は客の情報を口にした。
「辺境の村を目指しているようだな。男の方は横柄なやつで、わしは気に食わないね」
「いるんだな! 」
 ケイムとルミナスが同時に身を乗り出す。
 勢い余ってケイムは主人の胸倉を掴んでしまった。
「ああ。女の方もな」
 そんなケイムの手を振り払うと、主人は襟元を正した。
「どこだ! 」
「階段を上がってすぐの手前の部屋だ」
 主人は顎先で示した。
「二人ともか」
「ああ。同じ部屋だよ」
 聞き終わらないうちに、ケイムは階段を三段飛ばしで駆け上った。
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